色を聞く

きみどり

色を聞く

 ハンバーガーにかぶりついていると、友人がぽろぽろ涙をこぼし始めた。

「えっ、なに!? どした!?」


 ここまでの行動を思い返してみる。

 番号を呼ばれて、注文した品を受け取って、「なんか今の店員、でっかいコアラのバッジつけてたね」、「障害って書いてあった」なんて他愛ない話をしながら席についた。そして「いただきます」と普通に食事を始めた。どこにも泣く要素はなかったはずだ。


「ごめん……ちょっと……」

 紫藤しどうはぐずぐずとした声でそれだけ言って、ハンバーガーをトレーに下ろすと、両手で顔を覆った。体が震えないよう、ぎゅーっと力を入れているのが見ていてわかる。


 僕はたまらなく不安になった。家で何か嫌なことでもあったんだろうか。それとも、気づいていないだけで、僕は彼に何かひどいことをしてしまったんだろうか。


 嫌われたらどうしよう。

 突然そんな気持ちに襲われて、僕はトラックに轢かれる直前みたいな心地になった。


「ごめん、何でもない」

 紫藤しどうはやっと両手を顔から剥がして、ぐしっと目尻を拭ってから、またハンバーガーを食べ始めた。


「いや、何でもないってことはないだろ」

「気にしないで」

「気にするよ」

「唇の裏噛んだだけだって」


 唇と言われて反射的に視線をやってしまい、なんだかドキッとしてしまう。「はい、嘘ー!」と煽るように言って、それを隠した。


 いや、隠せなかったんだと思う。


「……僕のせい?」

 いくらかの応酬の後に、気がつけば、僕の口からは女子みたいな言葉が転がり出ていた。カアッと全身が燃え上がる。


「ちげーよ!」

 紫藤しどうが目を見開き、ぶんぶんと首を横に振った。

 なんだよ、そこはマジにとるなよ。茶化してくれよ。


 少しの沈黙に、店内BGMが軽快に響く。

 きっと僕は葬式みたいな顔をしていたのだろう。紫藤しどうは視線をあちこちにやり、体を揺らし。

 それから、諦めるようにして呟いた。


「あんまりにも綺麗で……」

「え?」

「キラキラしてて、いろんな色の桜吹雪に巻かれたみたいで。それに圧倒されて泣いちゃったんだよ!」


 ぽかんとしている僕に、紫藤しどうは苦く笑って天井を指差す。


「誰にも言うなよ? 俺、たまに音に色が見えるんだよ」

 天井にあったのは、店内BGMの流れるスピーカーだった。

「さっき流れてた曲のサビが、色の嵐みたいで。渦巻く色の花吹雪の中心に俺はいて、その嵐の壁の……花びらと花びらの隙間からは、透明な光があふれ出てキラキラしてるんだ。すごく光に満ちてて……本当に、綺麗だった」


 うっとりと言った後で、紫藤しどうは慌てて付け足した。

「ごめん。イタいこと言って」


 今度は、僕がぶんぶんと首を振った。

「そんなことないよ。綺麗じゃん。紫藤しどうって想像力豊かだったんだな」

 言ってから、「想像力豊か」はバカにしたように聞こえたかも、と後悔した。紫藤しどうの表情がいくらか暗くなったように見えた。


「想像、じゃないんだ。本当にんだよ。って以外に、どう言ったらいいのかわからない」


 再び二人の間に沈黙が落ちる。場違いなポップスが天井から降ってくる。

 せっかく僕に歩み寄ってくれた紫藤しどうが、また離れていってしまう気がして、僕は「見える。想像じゃなくて見えるんだな、うん」と意味のない羅列で時間を稼いだ。その間に、この場に相応しい起死回生の言葉を求めて、脳内のありとあらゆる引き出しをひっくり返す。

 幸運にも、僕はそれらしき言葉を引き当てた。


「そうだ! それってあれだろ? えっと、何だっけ……そう、共感覚!」

 文字に色が見えたり、音に色を感じたり。共感覚とは、何かに対して通常の感覚と共に、他の感覚も起こるという現象だったはずだ。


 これで紫藤しどうの近くにいられる。

 そう思って満ち足りたが、彼の反応は芳しくなかった。


「いや、そんなの本当の共感覚の人たちに失礼だよ」

「本当の、共感覚?」

「俺、いつも音に色が見えるわけじゃないから。共感覚とは違うんだよ、多分」

「そう、なのかな?」


 所詮はどこかで見た付け焼き刃の知識。紫藤しどうに反論することも、有益な情報を語ることも出来ない。


 なら、彼は何者なのか?


 僕が眉根を寄せる一方で、紫藤しどうの表情はなぜか、どことなく晴れやかになっていた。

「さっきみたいに、ふとした時に音の色が突き抜けてくることがある。さすがに泣くなんて初めてだったけど……ま、お前にはもうバレちゃったし、俺が挙動不審になった時はフォロー頼むわ」

 そんなふうに、冗談めかして言うのだった。

 そして現金なことに、僕の心も一気に華やぐのだった。


 紫藤しどうの心の近くにいたい。

 それが、僕が胸に秘めている願い、いや、執着だった。

 友情、恋。どちらも違和感がある。

 紫藤しどうは一番の友達だ。自信を持ってそう言える。でも、友達関係以上の好意と期待を抱いている僕がいる。実際に、一緒にいてときめくこともある。でも、恋人関係を心からは求めていない自分もいる。

 この感情を何と呼べばいいのか、僕は知らない。


 僕は、何者なんだ?


 急にバーガー屋の店員の、コアラのバッジが思い出された。あのバッジもなんとか障害のことも僕は知らないけど、あの店員の抱えている何らかには世間から与えられた名前があって、そのことをあの店員は知っているんだ。

 じゃあ、僕のこの感情はなんという名前なのか。

 紫藤しどうの持つあの感覚はなんという名前なのか。

 僕らが知らないだけなのか。それとも、名前なんて存在しないのか?


 フンフンという鼻歌に、物思いがパチンと弾けた。紫藤しどうがスマホに鼻歌を聞かせている。

「おっ、出た」

 画面を見せてもらうと、曲の検索結果が表示されていた。

「さっきの曲、これらしい。帰ったらまた聞いてみよっかな」

「で、人目を気にせず、思い切り泣くわけ?」

 意地悪く笑ってやると、紫藤しどうはニヤリと笑い返した。

「羨ましいだろ? 曲に色が見える、俺だけの特権なんだぜ?」

 僕の胸が、またも愛しさに震える。これは僕だけの特権だ。


 僕らは身の内に得体の知れない何かを持て余しているけど、僕は僕だし、紫藤しどう紫藤しどうなのだ。そんな当たり前のことを、僕は今日知った。

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