第7話 私は魔王を倒していない

「討伐記録全書を見させていただきたい」


 魔術師団本部最上階にあるゼゼの一室。

 唐突に面談を希望した勇者の孫に対し、ゼゼはその日のうちに会うことを決めた。ゼゼなりの誠意を示したつもりだが、当の本人は開口一番本題を切り出す極めて礼節を欠く行為だ。

 自然とゼゼは渋い表情に変わる。


「唐突な面会に驚いたが、要望も思わぬものだな。なぜだ?」

「特に意味はないですよ。強いていえば関心が湧いた」

「どういう意味だ?」

「今度、勇者にまつわる本を出版する予定なんですが、その際改めて討伐記録を読み直そうと思いましてね」

「討伐記録ならどこでも見られるはずだぞ」

「原文を見させていただきたい」


 それは魔術師団の機密の部分も見せろと言っているに等しい。ゼゼはその要望に驚きを通り越して呆れていた。


「勇者の本を出版するため……か。動機としては弱いし、許可は下ろせんな」

「なら祖父の戦いに関する部分だけでもいいですよ」


(この男、何が狙いだ?)


 ゼゼはディンの目をじっと見る。


「勇者の孫だから優遇できるわけでもなくてな。シーザにでも聞けばいいだろ?」

「国王からの申し入れでも断るのですか?」

「申し入れがあるならな。国王は機密の意味を理解しておられる」


 皮肉を込めた言い回しで牽制を入れる。

 これはある種の嫌がらせだとゼゼは理解した。であるなら、毅然とした態度で相手の要求を突っぱねるのが正しい。


「妹のユナについてはこちらに全面的に非があるのは認める。その詳細を知りたい気持ちも家族なら理解できる。だが、機密にかかわる問題で、教えるわけにはいかんのだ。討伐記録全書も同じだ」

「勇者特権を使う」

「……はっ?」

「知ってますよね? 勇者特権。それを行使する」


 勇者特権とは魔王討伐の褒美として、祖父エルマーが国王から与えられた権利だ。その権利は国王に自分の要望を直接嘆願し、可能なものなら国王の尊厳により即叶えるというもの。


「お前は勇者じゃないはずだ」

「ですね。だが、孫の代まで保証すると文面にはある。つまり、権利の行使は可能だ」

「祖父が一切使わなかった権利を、孫のお前がいきなり行使するのか……」


 あきれた様子でディンを見る。


「なぜおまえの祖父が特権を行使しなかったと思う? 我欲を優先して特権を振りかざすことを良しとしなかったからだ。勇者は国の象徴でもあるからな。なぜ孫のお前がその意図をくみ取れんのだ」

「得た権利を行使することがなぜ悪となるのです? 勇者が特権を振りかざす? 周囲の外圧で行使させない雰囲気を作ることこそ問題だという視点はないのですか?」


 ゼゼは嘆息しそうになるのをこらえる。ディンの主張は間違いではないが、ゼゼの言葉の真意をディンは全くくみ取れていない。が、どれだけ言葉を並べても、相手が理解しないことを察し、ゼゼは押し黙る。


「私は外圧に屈して、権利を放棄するようなことはしない」


 迷いなく言い切るディンにゼゼは角度を変えた言葉を投げる。


「本の出版ごときで勇者特権か。国民がくだらない理由で特権を使ったと知れば反動は大きいだろうな」

「その時は、魔術師団の内部を暴くため必要な行為だったと説明しましょう。妹のことも含めてすべてね」


 ゼゼは思わず舌打ちをする。

 ユナの事故の件は祖父エルマーと相談の結果、公にはされていない。機密が関係しているので、エルマーも同意した。が、エルマーは死んだ。そして、勇者の孫であるユナが姿を見せない噂に関しては消えることがない。


 ここで魔術師団の事故によるものだとディンが国民に知らしめれば、魔術師団は少なくないダメージを被る。


「お前が私を脅すか」

「人聞きが悪い。私も事を荒立てるのは良しとしない。なので、内密にだ。一切他言無用。この空間だけで処理すればいい」


 甘いささやきのような言葉遣いになる。その表情はまるで悪徳政治家の振る舞いと同じだ。ゼゼは別の意味で呆れつつも関心してしまう。


「言っておくが、譲歩は一切しない。この場で保留になるのなら、即座に権利を行使する」


 自然と静寂に包まれる。ゼゼはディンを睨みつけ、その本気度を推察する。瞳孔にまったく揺らぎがない。


 ここで折れると、今度も同じ手を使ってくる可能性があるが、こいつはエルマーとは明らかに違う。やると決めたら、絶対にやる。

 そして、権利行使時に魔術師団を悪と印象付けるため裏で間違いなく立ち回る。いや、もう根回し済みの可能性もある。ゼゼは目を閉じ、軽く息を吐いた。


「権利の行使は必要ない。討伐記録全書の原文を見せよう。ただし、これは貸しだからな」


 貸しという部分をゼゼは強調する。


「ご許可をありがとうございます」


 それに対し、ディンは口元だけ微笑む。


 



 ディンが部屋から出て行った後、しばらく沈黙が続いた。

 後ろで黙って聞いていたフローティアは表情には出さないが驚いていた。

 ゼゼの傍で行動してまだ間もないが、ゼゼがこれほど負の感情を露わにする様子をはじめて見るからだ。


「想像以上に面倒な人間だ。エルマーの死から間もないからしばらくはおとなくしていると思ったが」

「やはりユナの件の調査が目的でしょうか?」

「わからん。が、目に揺らぎがなかった。ほかに目的があるかもしれん」


 他の目的と言われてフローティアがピンとくるものは魔術師団への攻撃以外なかった。ディン・ロマンピーチは妹ユナの件で間違いなく魔術師団に恨みを抱いている。それは仕方のないことかもしれないし、フローティアとしても申し訳ない気持ちもある。


 が、こちらとしても魔術師団を潰されるわけにはいかない。

 フローティアは、危険人物の一人としてディンの情報を細かく集めていたので、ディンという人物の輪郭は理解していた。ディンは己の欲に忠実であり、特に出世欲は底が見えない。


 が、その行動原理の根本は、一族の繁栄。言い方を変えれば、意外にも家族という存在を大切にしている人間だ。

 幼いころに父を亡くし、母も遠くに気軽に出歩けない人間であることが関係しているのかもしれない。


 どちらにしろ魔術師団の責任により妹は三年間、意識が戻らない状態となった。

 勇者エルマー存命中は、露骨に行動していなかったが、その枷が外された今、ディンを止める人間はいない。

 牙を向けてくることは容易に想像できた。勇者の孫という影響力のある人間であることを考えれば、無視していい存在ではない。


「先んじて打つ手を考えるべきです」

「わかってる」


 二人の声は部屋の中で冷たく響いた。

 




 翌日、ゼゼの使いとしてフローティアが直接ディンの邸宅に来た。フローティアが使者としてくるのは極めて珍しいことを知っていたディンは、これは魔術師団にとっても秘匿性の高い取引になると察した。


 最低限の挨拶だけで、すぐに説明に入る。フローティアは怒りを押し殺すような無表情で淡々と話を始めた。


「条件として、まず口外禁止。基本的に特別な魔術師以外は入れない不可侵領域なので。あと、入るためにはこれが必要になる」


 フローティアは魔術印の刻まれたカードをディンに渡した。


「秘密の場所を知られないよう、瞬間移動させるわけか」

「使えるのは往復の一回切り。当然、持ち出し禁止だし、紙に書いて持ち出すのも禁止。あとで文書にサインしてもらう」

「当然だな。了解だ」

「あと、そのカードはゼゼ様のものなので一週間以内にはこちらに返却してもらいます」

「了解」


 飄々と答えるディンをフローティアはまじまじと見る。そこでフローティアははじめて人間味の感じる表情に変わった。


「どういう魂胆で?」

「昨日の話を聞いてなかった?」

「聞いていたけど。あなたが思っている以上にあそこは膨大よ。言ってみれば、大量の資料にあふれた物置。乱雑で整理されておらず、自分の欲しい情報を見つけるのも一苦労だし、原文自体もまとまってなくて読みにくい。一般人でも見れる討伐記録の方が要領よくまとまっていて参考になると思うけど?」

「まあまあ。祖父の記録を少し確認するだけだ。悪いように取るなよ」


 口元で笑うが、ディンの目は笑っていない。

 それがフローティアの眼には不気味に映ったのか、不審げな眼を一瞬向けるが、何事もなかったかのように話を続けた。





 フローティアから転移カードを受け取り、その日のうちに出発することにした。

 やることは山積みだ。

 王都オトッキリーの南に位置する港町アルメニーア。


 「勇者の軌跡」と銘打った展示会は王都オトッキリーで開催予定だが、他の製品販売はアルメニーアに拠点を置いている。最大の港町を拠点にした方が世界展開しやすいと考えた。向こうにいる腹心とも音声転移魔道具で連絡は取っているが、直接会わないと詰められない部分もある。


「ついでに向こうによるか」


 侍女や母にはアルメニーアにしばらく滞在すると告げた後、妹のユナの部屋へ向かう。部屋に入ると、侍女が本をユナに読み聞かせていた。

 ディンに気づき、本を閉じて立ち上がろうとする侍女を逆に止める。


「区切りのいいところまで読み聞かせてあげて。ユナは好きだからさ」


 ユナは本を読むのが好きで、幼いころは母から読み聞かせて眠るのが習慣だった。ベッドの傍に座り、黙って本の内容を聞く。

 今まで聞いたことのない内容だったので、ディンは読み終えた侍女に尋ねる。


「それってどういう話?」

「最近、人気が出た作品です。事故にあった主人公が生まれ変わって貴族としてやり直すんです」

「生まれ変わる?」

「転生っていうんです。まあ、そういうお話です」

「色々考えるもんだ」


 その後、侍女は部屋から出て行き自然と二人きりになった。特に話しかけたりはしないが、しばらく自分の邸宅を離れる時は、それだけの時間ユナと一緒にいることは重要だとディンは考えていた。


 少しの間、ユナの頬を撫でた後、ディンは首にかけた秘匿物をじっと見る。

 赤く透明に煌めくそれは人間を魅了する何かがあった。少なくともディンはそれを恍惚とした表情でしばらく眺めていた。


 秘匿物に触れていると、わずかに亀裂が入っていることに気づく。そっと丸く小さな宝石に触れてじっと握り続ける。

 それが綺麗に割れた時、素直にディンは驚いた。

 球体の秘匿物は綺麗に半球に分かれて、ディンはそれぞれを見入る。


 美しく均等に割れたそれの役割をふと思いついたのは、ユナと別れる直前だったからだろうか。

 首飾りにかかった半球の一つをディンはユナの首にかけた。今後、有効利用できるかわからない秘匿物であるならユナに半分託してもいいはずだ。深い意味もない行動だ。


 残りの半分をディンはポケットに入れて、荷物をまとめ地下の転移装置へ向かった。

 転移石板の上でゼゼからもらったカードを掲げる。

 いつも通り一瞬で目の前の景色が変わる。


 目の前は白で染まる不思議な空間だった。

 そこには白い書庫が五つ並んでおり、それはどこまでも続くと思うほど、縦に伸びていた。

 おそらく空間を操作する魔術で作り上げたのだろう。

 ディンは荷物を置いて、棚と棚の間を歩く。


「流石は魔術師団といったところか」


 ここから必要な情報を抜くのは骨が折れるが、やらなくてはならない。

 勇者エルマーが伝えようとした言葉の真意を読み解くため本を一冊ずつ物色していく。


「私は魔王を倒していない、私は魔王を倒していない……」


 作業をこなしながらも、祖父が亡くなってからの情報を思い出す。


 解剖の結果判明した魔王の寿命は残り短かったという事実。

 魔王は人体実験をして未知の魔術を開発していたというゼゼの証言。

 魔王が疑似家族を作り、人間を観察していたというシーザの証言。

 祖父が昏睡から目覚めた人間たちを調べていた理由。


 繋がりそうで繋がらなかった話がふと繋がる。

 思い出したのは侍女との何気ないやり取り。


 転生。


「魔王ロキドスは余命間近の状況を打開するため、未知の魔術を開発しようとした。それは人に転生するという魔術。疑似家族を作り人間を観察していたのも人間をよく知るためだ。その企みに最近気づいた祖父は、昏睡から目覚めた人間を調べ、孫に重要な事実を残した」


 ふとディンは手を止める。


「つまり、魔王は人に転生して生きている……なんてな」


 すぐにディンは頭の中で否定する。

 そんなこと現実であるわけがない。

 その時、聞こえたのはわずかに響く背中からの足音。

 振り返ろうとした一瞬の出来事。

 背中に衝撃が走る。

 それは今までにない衝撃だった。

 目に飛び込むのは、自分の胸部から飛び出る切っ先鋭い剣。

 あふれ出てくる大量の血。


「はっ……?」


 思考がついてこない。

 ただ身体は正直で、足から崩れ倒れこむ。


「なんで?」


 見えるのはどんどん広がる自分の血の池。

 死にたくない……

 声もかすれ、景色もかすれ、意識も薄れる。


「ディン・ロマンピーチ。その死は必然」


 深く深くどこかに沈んでいく。

 ディンを刺した人間の声が遠くから聞こえた。

 その時、無意識のうちにディンはポケットの中にあるモノを握りしめていた。

 母からもらった謎の魔道具、その半球。

 その秒針がピタリと止まり、崩れて消えていく……

 

 



 身体をうまく動かせない。

 でも、ゆっくりゆっくり瞼を開くことができた。

 それは見覚えのある景色。

 いつもの景色。

 ロマンピーチ家の邸宅の一室だと気づきほっとする。

 よかった。

 あれは何かの間違いだったんだ。

 悪い夢だった。

 起き上がろうとするが身体が重くて動けない。

 隣にいる侍女は窓からの景色を見ていたせいか、こちらに気づかない。

 声を出そうとするが、うまく声が出せない。

 が、それに反応したのか侍女はこちらを見た。

 目を見開き、手を握り、何かをまくしたてる。

 ものすごい形相だ。

 そのまま侍女は勢いよく部屋から出ていく。

 起こしてくれよ、と言葉にならない言葉を出そうとするがやはり出ない。

 もう少しで言葉が出そうだ。が、何かうまくいかない。

 なんだか身体にも違和感がある気がする。

 やがてなだれこむように人が入ってくる。


 ロマンピーチ家に従事する人間が勢ぞろいしていた。

 何が何だかわからず、混乱しそうになる。

 その中をかきわけるように母が近づいてきた。

 その目には涙が浮かび、母は右手を握りしめながら言った。



「ユナ。おかえり」




これはディン・ロマンピーチによるユナ・ロマンピーチの勇者物語だ。

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