第二章 魔術師団編

第8話 勇者物語に続きがあったとはな

 目の前の状況に、自分の身に起きている現象に、ディンは理解が追い付かなかった。


(俺が俺じゃない。なぜ俺に向かって皆がユナと呼びかける?)

 

 何かが歪んでいる。いや、なんとなく頭で理解できているが腹に落とし込めない。ベッドを囲む母をはじめとしたロマンピーチ家の従者たちは皆涙を流し、祝福していた。


「ちょっと待って」

「どうかした、ユナ? どこか具合が悪いの?」

「ど、どういう状況?」

「あなたは魔術師団で事故にあって、三年近く眠っていたのよ」


 母のエミーは落ち着かせるように手を握ってゆっくりと話す。

 母の手の感触はある。問題は握られる自分の手が小さいことだ。その小ささで自分の身体じゃないことを察する。

 恐る恐るディンは尋ねる。


「お、お兄ちゃんは? お兄ちゃんはどこ?」

「ディンは今朝、出かけてしまったわ。しばらく家を空けるそうよ。タイミングが悪かったわね」


 母は涙をぬぐいながら答える。

 時系列はさっきの続きだ……

 自分の頬を思いっきりつねってみる。明らかに痛みがあり、夢でもない。


「ちょっとどうしたの、ユナ! 身体を痛めつけちゃダメ!」


 頬をつねっただけで、皆が前のめりで心配する。ディンの時には全くなかった反応である。ちょっと過保護すぎる気がするが、とりあえず現実だと理解できた。

 

 ディンの妹、ユナ・ロマンピーチ。

 三年間意識不明で眠り続けたロマンピーチ家の眠り姫。

 そんな姫が目を覚ますのは一大事件だが、身体の中では信じられない現象が起きていた。


 ユナの中に自分が入り込んでいるという異常現象。

 問題解決のためには誰かに相談しなければならない。

 現在自分に起きている現象をどう説明するか考えた瞬間、よぎる。

 

 背中から突き刺さった剣の感触。

 自分の血の池で意識を失っていく感覚。

 気持ち悪くなり目がくらむ。


「大丈夫、ユナ!」


 母が身体を支える。


「ちょっと一人になりたい」

 

 ディンの言葉にそれぞれ心配した表情になる。


「落ち着く時間を与えた方がいいかもしれません。無理もない。状況を飲み込めないんでしょう」


 医者の検診を受けて、身体に問題がないと判断された後、皆が部屋の外に出た。

 一人になったディンは落ち着かせるように深呼吸して自分の身体を確かめる。

 肩にかからない程度の金髪は明らかにディンの髪より長く、寝巻きも女物だ。


 身体中に触れて徐々に現実を認識しつつあるが、まだ信じられず、ディンは手っ取り早く服を全部脱ぐことにした。抵抗はあったが、いつかは通らなくていけない道だ。ベッドの上で寝そべり大股を開いて確認し、ディンは悟る。


「あるべきものがない。完全に女だ」


 これ以上、腹に落とし込む事実はない。ユナに対して急に申し訳ない気がして、ディンは服を着てその場に座る。


「ユナの身体に入り込んでいる」


 その現象を口にして再び混乱しそうになったが、ふと頭によぎったのはゼゼの言葉だ。


――魔術は不可能への挑戦


 自分の常識で考えられない事象のほとんどは魔術の効力である。そう考えると思い当たるものがあった。暗く意識が沈んでいく中、無意識のうちにディンは右手に母から譲り受けた秘匿物を握りしめていた。

 

 魔力を秘めた謎の宝石。

 ふとユナの首飾りの半円の宝石を見る。半円の宝石は粉々に溶けたかのように残っていなかった。謎の秘匿物は役割を終えたように見えた。

 

 祖父からもらった秘匿物が魔道具だったとしたら?

 魔道具の発動条件を偶然にも満たしてしまっていたとしたら?

 二つに魔道具を分けて、片方を持つ者が死んだ時、その魂がもう片方を持つ者の肉体に乗り移る。


 転生。


 そんな魔術は聞いたこともないが、知らない魔術があってもおかしくはない。

 ディンは魂という概念をそもそも信じていなかったが、今はそれを嫌でも信じざるを得ない状況だ。自分の魂がユナの肉体に定着したというのが一番しっくりくる。その仮説が正しいなら、ユナの魂の行き場はどうなった?


 その先を考えることが怖くなり、いったん思考を止めた。

 それより考えるべきことがあった。

 討伐記録全書のある空間へ瞬間転移した後のことだ。

 背中から誰かに襲われた。

 深く沈む中聞こえた声はあいまいで男か女かわからなかったが、背中から剣を突き刺された。


「俺は殺された……」


 人生において人から恨まれることはあったかもしれないが、殺されるほど恨みを買った覚えはない。それに勇者の孫であるディンを殺すのは、一般人を殺すのとはわけが違う。

 王族とも家族ぐるみで交流のある勇者の孫が行方不明になれば国が捜査に乗り出すだろう。大事になるのを覚悟の上でディンを殺したとしたら……

 

 ディンは立ち上がり、自室を出て、祖父であるエルマーの部屋に入る。

 机にしまっておいた祖父の手帳を確認する。

 私は魔王を倒していないと書き殴られた文をじっと見る。


「……じいちゃん、魔王ロキドスは人に転生して生きてるのか?」


 その事実に近づいたため、ロキドスに殺された……転生を身をもって体験してしまった以上、十分ありうる仮説だ。

 つまり、ロキドスは転生魔術を開発して、あろうことか人の世界でぬけぬけと生きている。祖父であるエルマーはそれを孫のディンに伝えようとしたのだ。

 ディンは自分がわずかに震えていることに気づいた。


「勇者物語に続きがあったとはな」


 ため息をつき、気だるげに窓の外を眺める。見覚えのある人間がちらりと見えて、ディンは部屋を出て、階段を降りる。

 玄関前に立っていたのはフローティアだ。その後ろにもぞろぞろと人を従えており、その団体が何なのか察する。

 ゼゼ魔術師団。


「ユナ!」


 静止を振り切るように駆けこんできて勢いのまま抱きしめられる。


「本当に良かった!」


 その目には涙が浮かんでいた。

 これはきっとほほえましい温かい光景なのかもしれない。

 だが、ディンは知っていた。


 仮定ばかりで曖昧な部分が多いが、これだけははっきりしている。

 ディンが殺されたのは魔術師団の限られた人間しか入ることのできない空間。

 つまり、ディン・ロマンピーチを殺したのはゼゼ魔術師団の団員だ。

 魔王ロキドスは魔術師団内にいる。


「おかえり。ユナ」

「ただいま。フローティア」

 

 ディンは妹になりきることを決断した。

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