第3話 貴様はいかにして魔王を倒した?

 ポールを気のすむまで罵倒して、樽のような腹に蹴りを入れたい。


 そんな衝動を抑え、冷静さを取り戻す。ポールが魔術師団関係者に匂わせる発言をしたのは間違いないが、まだ中身までは把握されていないのなら問題ない。

 ジョエルとの会話後、会食も滞りなく終わり、国王との面談のため王都へ向かう。


 ロマンピーチ家は王都を見下ろせる小高い丘に領地がある。

 街並みを一望できるすばらしい景色を眺められるが、王都は馬車を使ってもやや遠い。よって、いつも通り地下へ向かった。


 地下の一室は殺風景で何もないが、大きい魔術印が刻まれた丸い石板がある。

 目的の場所へ飛ぶ瞬間移動の使える魔道具。これは上流貴族でも一部しか持っていない超一級魔道具だ。勇者特権の一つといえるだろう。


 王宮へ向かう時のみ、この魔道具をディンは使用していた。金属製のカードをポケットから手に取る。これにも魔術印が刻まれており、石板に乗ると魔術印が反応し、自然と魔術が発動する。


「詠唱する必要もなく、魔力の有無も関係ない。便利になったもんだ」


 本来、魔術は特別な才能を持つ者にだけ与えられた力だ。が、魔道具が開発されたことにより、ディンのように魔術の素養がまったくない人間でも手軽に使えるようになった。


 瞬間移動の転移先は王宮隣にあるゼゼ魔術師団の本部地下だ。

 瞬間移動は大変便利で素晴らしいが、魔術師団の本部を通る必要があるというのが、ディンにとって唯一の不満だった。


 王宮を守る守護隊と一線を画するのがゼゼ魔術師団。魔術のエリートが集まる場所だが、それは魔族と争っていた時代の話であり、今は少し事情が違う。少なくとも平和が続いていることで現在は縮小の一図を辿っている。

 転移先の部屋を出ると、見覚えのある女性が立っていた。


「おじい様の件伺いました。この度はお悔やみ申し上げます」


 フローティア・ドビュッシー。

 肩までかかった美しい金髪の髪と透明感のある肌、どこか浮世離れしたような存在。ひと昔前に口説いて、デートまでしたことがあるが、そこで見事に撃沈している。無論、魔術師団の人間だと知らなかったときの話だ。


「それより話は聞いてる」

「ご案内します」


 必要最小限の会話でフローティアは足を進める。

 ゼゼは魔術師団の団長だ。祖父とも関わりがあったことは知っていたが、直接対面するのは今回がはじめてだった。階段を上りながら、わずかに心音が高まる。


「にしてもフローティアは相変わらずだね」


 ディンは自分の緊張をごまかすように、フローティアの背中に軽口を飛ばす。


「どういう意味でしょう?」


 振り返ってこちらを見るフローティアの腰にある剣を指さした。剣自体は珍しくないが、女性がそれを常に持っているというのは少し珍しい。


「私にはこれが合っているから」

「意固地だね。魔道具の方がいいと思うけど。時代は魔銃だよ」 


 魔銃というのは鉄製の長い筒状の魔道具で、魔弾と呼ばれる魔力の塊を遠隔から放つことができる武器だ。これが一般市民にも流通したことで、女子供でも自分の身を守れるようになった。


「銃の有効性は理解してますが、私にはこれが合ってるので」

「変わらないねぇ。成長したところもあるけど」


 ディンは露骨にフローティアの身体を上から下まで舐めるように見る。胸から腰までのラインは女性らしい曲線を描き、スタイルの良さが目につく。

 フローティアは眉をしかめて背中を向け、再び歩き出す。


「あなたも変わらないわね。勇者様が亡くなったのに」

「かもな。そういえばユナも三年前と変わらないよ。魔術師団と関わったときと同じ状態だ」


 ディンの皮肉に対し、フローティアは何も言わなかった。

 最上階まで上り、廊下の角を曲がると窓から景色を眺める子供のような見た目の女を確認する。こちらに気づくと悪戯な笑みを見せた。


「お前がエルマーの孫、ディンか? よく来たな」


 これが最強の魔術師、ゼゼ・ストレチアとの邂逅かいこうだ。





 最上階にある一室のソファに座り、ディンは改めて対面する人物を観察する。


 ゼゼ・ストレチア。肩にかかる白髪と尖った耳で絶滅危惧種と言われるエルフ族だと一目でわかる。

 見た目は子供にしか見えないが年齢は千歳に近いという噂だ。が、正確な年齢を知るものは誰もいないという。


「よく来たな。勇者の孫、ディンよ。この度は勇者が―――」

「形式だけの言葉は不要です。で? お話というのは?」


 階級で言えばゼゼは元帥げんすいにあたり、身分としてもディンよりずっと上だ。

 いきなり本題に入るというのは態度として無礼に当たるが、あえてそうした。

 後ろに控えるフローティアがわずかに眉をひそめたが、ゼゼはそれに反応しない。


「ふむ。まずはお悔やみの言葉をかけるべきだが、なかなか歓迎されていないらしい。まあ、私としても形式だけ取り繕うのも好きではないのでな。尋ねたいのは一つだ」

「なんでしょう」

「勇者の最後の言葉を教えてもらいたい」

「断ります。まだ王宮に報告もしていないので。近いうちに公式で発表されると思いますのでそれからでも遅くはないかと」

「おかしなことを言ったという風の噂を耳にしたが?」

「勇者らしい名言は吐きませんでしたね。祖父も人間。人間らしい言葉を残しました」


 ディンはすでに最後の言葉を改竄かいざんする決意を固めている。ゆえに揺らぎは一切ない。


「私は死んだことはないが、死にゆく人間を数多く見送ってきた。だいたい二つに分かれるんだ。一つは感謝。もう一つは……後悔」


 視線が絡み合う。ディンは表情を一切変えず口元だけ微笑む。明らかに探りを入れられている。どこまで把握しているのか不明だが、情報を渡す気は一切なかった。


「後悔の言葉があるとしたら、妹のことでしょうね。こんな魔術師団に預けなければよかった。そうすれば、妹は元気でいたはずなのに」

「あれはユナの決断だし、私は後押ししただけだ」

「当時八歳の子供が好奇心にそそられて始めたことを決断と言うな」


 思わず声を荒げる。対するゼゼは微動だにしない。


「確かにな。しかし、あの子は魔術に選ばれたのだ。どういう経緯を辿ろうと、この道を進んでいただろう。おっと、先回して言っておくと、今のような目を覚まさない状態のことを指すわけじゃないぞ。私はあの子が必ず目覚めると信じている」

「根拠のないことではなく、事実に目を向けてほしいですね」

「魔術は不可能への挑戦。魔術師は時に根拠のない言葉を並び立ててしまうこともある」

「ふん。不可能への挑戦ねっ。聞いて呆れる」


 ディンは嘲笑の目を向けながら言った。


「どういう意味かな?」

「ゼゼ・ストレチア。あなたは魔王討伐時、何をしていた?」

「ここにいた」

「なるほど。魔王討伐という皆が不可能と思えた挑戦をしていたころ、あなたはのんびりティーを楽しんでいたということか?」


 露骨な皮肉だが、ゼゼが動じる気配はない。


「私はこの王都を守る責務がある。当時の国王からも最重要任務として託されていた」

「王都は魔族から百年以上襲われていないが?」

「私がいるからだ」


 ゼゼは悪びれず答える。


「そういう解釈もできるが、別の解釈も可能ですね。最も安全で強力に守られた王都でぬくぬくと待機していた」


 はじめてディンに対する視線の鋭さが増す。


「と! 誰かから耳にしたのです。ですが、魔術兵器と称されるあなたが魔王討伐に何もしなかったというのは事実だ。そして、私の祖父が世界を救ったというのも事実だ」

「薄っぺらい紙の上をなでただけでなんでも知った気になるなよ、小僧」


 ゼゼの身体をまとう魔力が膨張するように膨れ上がっていく。それは魔術の才能がないディンにもはっきり感じ取れた。

 異様な圧迫感にたじろぎ、口を真一文字に閉める。


「貴様はロキドスの何を知っている? 奴が幼い子供の四肢をばらばらにしながら魔術の開発をしていたことを知ってるか? 獣人をスパイに仕立てあげて魔術師団の情報を抜いていたことは? 東部ルビナスの街をすべて焼き払おうとしたことは? 歴史に書かれてないことなどいくらでもある」

「当然私の知らない細かな歴史はあるでしょう。しかし、重ねて言うが祖父がロキドスを倒した事実は変わらない」


 ゼゼはそれを聞いて、軽くせせら笑う。


「ふん。では無知な勇者の孫に一つ面白い話を聞かせてやる。知ってるか、小僧? 魔王討伐作戦には一軍と二軍がいた」

「常識でしょう」

「ならこれはどうだ? お前の祖父がいた二軍は一軍に実力的に劣る。ゆえに魔王の巣の周りで暴れる囮役だったのだ」

「はっ?」


 はじめて聞く事実に思わず目を見開いた。


「私が編成したからな。魔王の巣の近くに重要拠点となっていた巣があってな、そこをエルマーがいた第二軍がまず潰しに動いた。その後、魔王の巣の周りにいる魔族を引きつけて第一部隊のサポートをするのが主な任務だった」


 作戦内容は知っているが、はっきりと一軍と二軍で序列があるなど初耳だ。少なくとも紙の媒体でそんな逸話は残っていない。


「勇者とあがめられたおかげで捻じ曲げられた事実はいくらでもあるものよ。少なくとも当時、あいつより強い戦士は複数いた。そして、最強戦力を結集させた一軍は全滅。ここで疑問だ。実力的に劣るはずの二軍がなぜ魔王を倒せた?」


 試すような問いかけにディンは思考を巡らせ、答える。


「一軍が致命傷を与えていたのでは? そこを祖父たちは狙った」

「一軍の一人が死ぬ寸前、音声転移魔道具で報告をしてきた。『ダメージを与えられなかった。二軍は撤退を』という内容だ」


 それが事実なら明らかにおかしい。が、ディンは戸惑いを表情に出さず、即座に別の答えを出す。


「祖父は増幅魔術の達人だったと聞きます。一時的に力を何倍にも増幅できた。それなら隙を突けば、魔王に剣を突き付けられることも可能だ」


 増幅魔術は魔族討伐に最も貢献したと言われる魔術だ。魔力により身体能力を劇的に向上させるという単純なものだが、それによりただの一等兵でも固い魔族の皮膚や鉄壁の魔壁も貫通させることができた。

 つまり、何倍も力を増幅させられるなら、一時的に最強をしのぐ戦士になれるはずだ。


「増幅魔術は当然一軍の人間だって使えたぞ? むしろお前の祖父以上の達人だっていた。自分だけじゃなく他者の力も増幅することが可能だったからだ。これで常人には考えられないスピードと力を引き出せたのだ」

「……」

「さて、ここで疑問が残るな。私がさんざん勇者にぶつけてことごとくかわされた質問をあえてその孫にぶつけよう。貴様はいかにして魔王を倒した?」


――私は魔王を倒していない


 祖父の死に際の言葉が頭に浮かぶ。


(馬鹿な……ありえない)


 口の中に溜まった唾をディンは飲み込み、動揺を噛み殺す。


「細かいことはいいでしょう。重要なのは魔王を倒したという事実です」

「逃げたな。お前ら一族はこう追求すると、同じかわし方をするな」


 ゼゼはせせら笑う。不快感が増していく。感情を押し殺すが、ユナの件もありどうしても抑え込めないものがある。


「老害の妬みとは醜いものですね」


 後ろに控えているフローティアが睨みを利かせるが、ディンは気に留めない。


「私を見下す権利があなたにあるのか? 指揮官気取りでこの場に待機して、現場の様子がわからなかった愚か者の戯言に付き合う気はない」

「ディン! その言葉は看過できない! あなたは――」

「フローティア。勝手に会話に入ってくるな! この無礼者が!」


 ディンが睨みを利かせて、逆にフローティアは押し黙る。それを確認して、視線をゼゼの方に向ける。


「ゼゼ様。あなたはもっと自分の立場をわきまえるべきでは?」

「どういう意味かな?」

「時代は変わった。世は魔道具全盛。身体に魔術印を刻む魔術師などもはや時代遅れだ」


 魔王討伐以降、世界は形を変えた。

 魔獣と呼ばれるものはダーリア王国でほぼ絶滅した。脅威が駆逐されたことで冒険者ギルドもすべて廃業となった。


 ゼゼ魔術師団や冒険者の存在が確かに平和に貢献したのは間違いないが、最も大きかったのは、魔道具の量産化だ。

 限られた人間しか扱えなかった魔術が、女子供でも扱える代物となり、一方的に狩られる側だった動物に対して、今では純粋に狩りを楽しめるようになった。


「魔道具で光を照らし、人類の活動時間も増えた。魔道具で獣を狩ることで、女子供も身の安全を守ることができるようになった。魔道具により移動手段が増え、魔道具により建物はより高く、情報伝達もより速く……どれだけ便利な世の中になったか、あなたも身に染みているでしょう?」

「皮肉なものだ。魔術の恩恵を誰もが受けられることで重要性が世間に理解された反面、魔術師という存在は急速にこの世から減りつつある」


 ゼゼの瞳は失望というより諦観ていかんの色を帯びていた。


「世の中の必然の流れでしょう。魔術師の時代は終わり、役割を終えた」


 フローティアの眼圧がよりきつくなったことを肌で感じるが、ディンは気にも留めぬ表情を取り繕う。


「お前は浅いな」


 ゼゼのつぶやくような一言。


「どういう意味でしょう?」

「たとえ使うことがなくても、刃は研ぎ澄まし続けなければならぬ」

「使わぬ剣を研ぎ澄ます意味はないでしょう?」

「平和しか知らぬ小僧が! 平和ボケしたモノサシで世の中を語るな!」

「戦時を知らないのは悪いことではない。急速に変わりつつある現代に五十年以上前の価値観で物申されても困りますね!」


 にらみ合う時間が続く。圧迫感を感じるが、引く気は毛頭ない。

 ディンは深呼吸して立ち上がる。


「ただこれ以上話し合う意義はお互いなさそうですので、失礼させていただきます。この後、重要な用があるので」


 答えを聞かず、部屋を出ていくディンにゼゼは腕組みをしたまま何も言わなかった。


 ディン・ロマンピーチが死ぬ六十七時間前のことだ。

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