三章 死人
イヴを鍛え始めて一週間、彼女は自分の身を壊すんじゃないかと不安になるほど熱心にあたしを求めてきた。
「身体はまだ動きます。これくらいで休む必要なんて――」
「――ダメ。今はあたしが判断する側。一人の頃より成長は感じるでしょ?」
「……分かりました」
フィアナスタ家の訓練所やミラの家の地下を使えないあたし達は、ギルドで依頼を受けて外に出てからイヴの修行を始めていた。
それもあり長い休憩はギルド内でするようになっていた。食事もついでに済ませられるのは都合がいい。
そんな日々の中で一つ気になる事があった。イヴがアクセサリーをつけなくなったのだ。
初日は暇さえあればネックレスに触れ、メリアを思い出そうとしていたのに。
まぁ、邪魔になるから外すようになっただけかもしれないので何も訊かないが。
「ゼラから見て私はどうですか? 客観的意見を聞かせてください」
「ん〜……一般的なレベルならかなりいい魔導士だと思う。でも人に合わせる能力は三流。だからどこかのパーティに入るならその欠点は痛い。まぁイヴの事だから一人でやっていきたいだろうけど、その場合は単純に実力が物足りない」
あたしはここ一週間での評価と以前一緒に仕事をした時に感じたものを伝えた。
あの時は前衛があたしや探知魔法で背後の情報を把握出来るメリアだったから連携に問題はなかったが、一般的な前衛なら彼女と組むのは難しい。というか、イヴが本来の力を発揮出来ない。
この子は敵の小さな隙も見逃さずに氷魔法を撃ち込めるが、基本的に小さな隙では前衛が邪魔になる。だから動き回れるあたしやメリアは相性がよかった。あたし達ならイヴの魔法を探知して射線を用意出来るし。
あと単純に味方ごとぶち当てようとする癖もあるのがよくない。絶対その辺のパーティだと喧嘩するタイプだ。
「……まぁだいたい私と同意見です。ですがそこまで連携下手ではないと思います。初めて共に戦った時にそこまで足を引っ張った記憶はありません」
「足は引っ張ってないけど、あたしとメリアがイヴに合わせてたから動きやすかったのよ。機動力ない前衛の方が世の中多いわよ」
「確かに世の雑魚はそうかもしれません」
うん、やっぱりこの子に連携は難しそう。一人で生き延びられる力の方が重要そう。
「……もしメリアが生きていたら、私のいいパートナーになっていたのでしょうか」
「きっとなってたよ。いなくなると、静かすぎるよね……あいつ」
「そうですね……あの時は二人の時間を騒がしいのが邪魔をして、と感じてましたが、案外三人の方がよかったのかもしれません」
あたし達二人だと静かすぎて、あいつがいた時の事を何度も思い出してしまうから。
あたしもイヴもそこまでは口にしなかったが、おそらく同じだろう。そう思える雰囲気が目の前のイヴにはあった。
「チッ、泥棒猫はどこまでも図々しいのね……婚約者がいる男のパートナー? 夢見すぎよイヴレイド」
二人で話していると突然後ろから知らない女がイヴに声をかけた。真っ直ぐに憎悪を隠さない瞳でイヴを捉えながら。
裕福そうなドレスを身に纏う彼女は明らかにこのギルドでは場違いで目立ち、それだけでそれなりの家の人間だと分かる。
「……珍しいですね、こんな所に来るなんて。亡くなったフィアンセの真似事……にしては余計なお供を沢山連れてますが……私に何か用ですか」
声をかけられたイヴは一瞬で雰囲気を変えて立ち上がった。初対面の時から冷たい雰囲気が彼女にはあったが、あの時とは比べ物にならないほど今のイヴは人を寄せつけない雰囲気を放っている。
「チッ、なんなのその態度。貧民街育ちのくせに」
「その事実を否定する気はありませんが、貴方よりは有能ですので」
「ふざけないで発言権もない弱小貴族のくせに! 貴女のせいで私のメリアは死んだのよ! 貴女なんかとつるみ始めるから危険な事を覚えて、それで仲間を助けようとして……!」
発言から察するにこの子はイヴを虐めている一人だろう。関係のないイヴに責任転嫁して、本当に汚らわしい。
悪いのはあたしとメリアを見捨てたクズ共なのに。
「はぁ、無知は罪ですね」
「なんですって!」
「まぁどうでもいいですよ、今の貴女は。それでどうしてあの日死にかけた皆さんがここにいるんですか? 私の予想では貴方方が婚約者様の八つ当たりを受けるものだと思ってましたが」
「っ……私がそんな事するはずないでしょ!? だって皆は帰ろうとしたのにメリアが大丈夫って言うからついて行ったのよ! あの人が危険な仕事を好み始めたのは貴女がフィアナスタ家に通うようになってからじゃない!」
二人の会話を聞いているとこのピーチク騒いでいるのがメリアの婚約者だという事に気がつく。
あーなるほど。これは確かにメリアからの印象が悪い理由が分かる。注意しても直らないいじめっ子が婚約者だったとはね。
そして後ろにいるのがメリアとパーティ組んでた連中か……少し詰めたいな。
「はぁ……死人に口なし。それなら私のせいではなくメリア本人のせいだと思いますが。そもそも貴女は婚約者なのにメリアの事を何も知らないんですね。彼が誰に憧れていたか言えますか?」
「っ……知らないわよそんなの」
あーこれは流石にあたしでも分かる。冒険者やってるのはミラの影響って言ってたし。
「メリアが憧れていたのは女勇者エリカと吸血鬼の王ミラージュ・ダチュラ伯爵です。特に後者はダンジョン巡りが趣味な物好きな男ですからね。そんな彼に憧れていたのなら、私と関わる前から死地に飛び込むと思いますよ」
「っ……でも貴女がフィアナスタ家に通う前は私の家に来てくれてたわ! ずっとあの時のままならこんな事にはならなかった! 貴女がいたからメリアは家に来なくなったのよ!」
イヴの言葉に押し負けそうな彼女は話題を変え、半ば狂乱しながら言い返す。
いやぁ、ごめん多分それあたしが原因だ。あたしがフィアナスタ家に来てからメリアはずっとあたしに気を使ってそばにいてくれたし。
なんて事実を知らない彼女にイヴは無慈悲な言葉を叩きつける。
「それは貴女と過ごす時間が無駄だと感じただけでしょう。それに私がゼラとメリアの三人で強い魔物の相手をした時は、常に引き際を考えた方がいいとメリアに伝えてましたからね。そんな経験を積んだメリアが、果たして隠し扉の奥に進みますかね」
「っ……何が言いたいのよ……」
ここにきてイヴはあたしが思っていた事を彼らに伝えてくれた。
メリアが奥へと進んだのは本当に彼の意思なのか。正直あたしはメリアならしないんじゃないかと思っている。バカはやったけど初めての仕事の時ですら、大型の魔物は回避するか相談してきたのだから。
「そこのお仲間三人が好んで奥地へ進んだんじゃないかって事です。全員コンプレックスを抱えていて何かしらの成果を出したい立場でしょうし、未開のダンジョンの宝は魅力的だ。それで想定外の魔物に襲われメリアを囮に離脱。ご丁寧に扉に土魔法の壁まで用意して、おかげで貴方方は重傷だけで済みましたね」
淡々と推論を語るイヴの言葉にはあらゆる所に棘があった。そんな彼女を見てあたしはイヴの今後が少し不安になる。
まるで自暴自棄になっているようで、どう接接するべきかが判断しにくい。
「えっ…………?」
「どうです? これまで仲良く話していたご友人が、自身の婚約者を見殺しにした気分は。私なら許せませんけどねぇ」
「な、何ふざけた事言ってんだよ! 何も知らないくせに!」
好き勝手に言われたせいか、クズの一人が激昂した。だがイヴは迷いなく次の言葉をぶつける。
「貴方よりは知ってますよ。それに私もあの日あのダンジョンに潜ったんです。隠し扉の奥までは入れませんでしたが、壊された土魔法の壁は確認しています」
「っ…………!」
「ようやく貴方方が集まって私達の前に現れた理由が分かりました。あの吸血鬼の王に会いたいのでしょう? 完治前に私が彼を動かしたから。そしてあの人は今多忙で会えない。だからあの場で話していた私経由で会うために、私に常日頃から因縁づけてきたこの女と共に来た」
そう言いながらイヴは魔導陣を展開して氷の魔力を解き放つ。いつでも彼らに攻撃出来るように。
「……イヴ」
「あまりにも陳腐で愚かだ。これまでは私が貴方方に逆らう事は出来ないと知り好き勝手に振舞ってくれましたが、もう何もかもどうでもいい」
あたしの声掛けも届かないほど集中しているイヴはあまりにも危険だったため、あたしは袖を掴んでもう一度声をかけた。
「イヴ」
「……なんですかゼラ」
「落ち着いて」
「嫌です。ようやく私はこのゴミ共にやり返す機会を得たんです。だから友人ならただ見ていてください」
これは止めるべきなのだろうか。友人なら彼女の意思を尊重した方がいいのだろうか?
分からない。今のあたしにはイヴが覚悟を決めている事しか分からない。こんな時メリアなら……。
あたしがあらゆる迷いで身体を動かせないでいた時だった。
「っ……!」
青い長髪をたなびかせた男がイヴの手を掴み、両者の間に割って入った。
「そこまでだ」
「ミスミ様……!」
突然現れた男をメリアの婚約者はそう呼んだ。
ミスミ……? どこかで聞いた事があるような、ないような。
だが彼の名前なんてどうでもよくなるくらい痛々しいものがあたしの目に映る。
「チッ、離せ! フィアナスタの人間が何故私の邪魔をするっ!? こいつらのせいでメリアがいなくなったのはお前も知ってるはずだ!」
魔力を全方位に荒ぶらせるイヴにあたし達と一緒にいた時の面影はない。二人で過ごした時や、三人で話した時の彼女とは全く違う。
そしてあたしはフィアナスタの人間という言葉で彼の正体に気がつく。
そうだ、確かこいつはまだ会っていないあたしの義兄だ。フィアナスタ家の長男はミスミという名だった。
「少しは落ち着け、今ここでそんな事をして誰かが幸せになるのか。メリアがそんな事を望むわけないだろ」
「っ……うるさいうるさいうるさいうるさい!」
目の前で暴れるイヴはあたしの知ってる彼女からどこまでも離れていく。氷の魔力から生み出される棘は全てがイヴの敵を狙い、ミスミの防御魔法に阻まれる。
そんなイヴの発狂具合が胸に刺さり自分の事のように痛みを覚える。
そうか、本当にメリアは色んな人に影響を与えていたんだ。だからいなくなったらこんなに多くの人を狂わせる。あの明るく人を理解してくれる彼に皆心を支えられていたんだ。
「っ……おい妹」
痛々しいイヴを見つめているとミスミに声をかけられる。彼は目配せであたしにイヴを止めろと伝えているように見えた。
……その通りだ。何故すぐに身体を動かせなかったのか、自分が嫌になる。友人の醜態なんて大勢に見せるものじゃない。
そう思いながらあたしはイヴの首を叩き意識を奪った。
「ふぅ……助かった。だが一体なんだこの騒ぎは」
「……ミスミ様、ありがとうございます。突然この女が我々に――」
どの口が、と思った瞬間に彼女の言葉は弾かれた。
「――悪いが普段から立場の弱い人間を虐める女の主張は信じられん。それと誤解が広がっているようだから伝えておくが、メリアの死は確認されていない。現在行方不明で探索中だ。だから今は焦らずただ待っていてくれ」
そうだった、一応は行方不明という扱いだった。
だが重傷を負ったメリアの仲間は気がついている。あそこで生き延びられるほどメリアは強くないと。
だからか彼らの空気はとても重い。
あたしが彼らを許す事はないだろうが、彼らの表情を見るに罪悪感がないわけではないようだった。
「ゼラ、でいいな? 悪いがすぐに場所を変えたい。フィアナスタ家に戻ってもらっていいか?」
「話すだけならあたしが泊まってる宿じゃダメかな。ここから近い」
「構わないが、本当にそれでいいのか?」
「何が? イヴを休ませたいから近い方がいいんだけど」
「……そうだな、悪いが案内を頼む」
少し間を置くと彼は納得してくれた。何に疑問を持ったのかは分からないが、大丈夫そうならそれでいい。
あたしは意識のないイヴを持ち上げ、膝裏と背中を支えながらギルドを出た。
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「……こんなに散らかすなら戻ってきたらどうだ。家を出てからまだ一週間前後と聞いているが」
「あはは……まぁ生活は出来てるから。それに……あたしはいたらダメだと思うから」
宿に戻り自分の部屋に入るとミスミにすぐ散らかり具合を指摘された。自分でも片付けが苦手なのは自覚している。
あたしは浮遊魔法でベッドに近づきイヴを降ろしてからミスミに向き合った。
「さっきはありがとう。本当に助かった」
「問題ない。たまたま妹の様子を見てこいと言われた時にあんな出来事があって驚きはしたが……いや、私達は自己紹介からだな。ミスミ・フィアナスタだ。こんなタイミングでの挨拶で申し訳ない」
最初は気がつかなかったが、落ち着いてから彼を見るとメリアとは別方向のイケメンだと感じた。
群青色の長髪と赤い瞳は何かを思い出させるが、真面目そうな雰囲気と噛み合い魅力的に見える。少なくとも乱暴そうには見えないし、恐れられたりもしなさそうだ。
「申し訳ないのはこちらよ。えっと、ローダンセ・ゼラ・フィアナスタ。その、よろしく」
「ああ、よろしく頼む」
今のところミスミは少しお堅い印象があるが、特に関わりにくさはない。あるとすれば、弟を奪った事への罪悪感だ。
「それで、家で何かあったの?」
「いや、そういうわけじゃない。ただ父上も母上も君を心配していた。アルも寂しそうにしていたし、マリーは本当に元気がない。だから戻ってくる気はないか? どうやら自分がいたらダメだと誤解しているようだが、現状の方がよくないように私には見える」
群青色の長髪をなびかせながらミスミはそう口にする。
あたしだって分かってるわよ、それくらい。
でも、戻ればきっとあたしは幸せを享受する。甘やかされ失った先の日常を得る。
それはきっと、守れなかった者には許されないものなんだよ。
「…………」
「責任感が強いのはいい事だが、自分に罰を与えるような形になるなら捨てた方がいい。初対面の人間に言われても信じられないだろうが、両親も弟達もこういう役目は苦手でな」
「……そう。だから貴方が様子見に来たって事ね」
少し話しただけでもう伝わった。ミスミもいい人なんだなって。会った事すらなかったあたしの心配をしているなんて、お人好しだ。
「ああ、父上は本人の心の問題だと時間任せにするし、母上は会って自分が負担になる事を恐れている。おかしな事に話した事もない私が適任だったというわけだ」
「……貴方はあたしを恨まないの? 大事な弟を失った原因、あたしなのよ」
後から拒絶される事を恐れたあたしは尋ねた。パパから聞いていないのなら、あたしから話さなければいけない。
「ミスミでいい。私は父上から話を聞いているし、メリアが戦場で長生き出来ない可能性も理解していた。だからこの件で誰かを責める気はない」
「……大人ね」
結局ミスミは真実を知っていて、それで考え方もパパと一緒だった。そんな彼が眩しい。
あたしを否定する者がいないフィアナスタ家という環境は、やはり戻れば甘えてしまうよくない環境に見える。少なくともあたしが自分を許せるまでは帰れないな。
「強いて言うなら弟と妹をこんな目に合わせた連中だが、それに関してはダチュラ伯爵が上手くやるはずだ」
「そうね……」
もうあたしを妹扱いしてくれるのも、ずるいあの二人の長男って感じだ。
そしてあたしはふと気になった。
そういえば、ミスミは髪や瞳の色が両親に似てないのよね。なんでかしら。
「……ところで、その髪色と瞳、両親とは全然違うけどどうしたの?」
「ああ、答えてもいいが笑わないか?」
「笑うような理由じゃなければ」
「勇者エリカに憧れて染めたんだ。瞳の色は魔法でな」
「…………」
気になったあたしは尋ねたが、返ってきた答えは予想以上にあたしを困らせるものだった。
いや、確かにあの時のあたしと同じではあるが……目の前に本人がいるのに言ってしまうのかそれを。
パパやママからあたしの正体を聞いててやってるなら相当性格悪いぞそれ。
あー…………どうしよ、面と向かって言われると困るなこれ……。
「無言はやめてもらえないか?」
「あっ、いや……そうじゃなくて……ほんっと、調子狂うなこの家族は」
どれくらい自分が考え込んでいたのかは分からないが、少なくとも気がつくと顔を覗かれていた。
「どういう意味だ?」
「なんでもない。とりあえず、気使いは嬉しかった。ありがと。でも……あたしはまだ、自分がどうしたいのかよく分からない」
ひとまずあたしは話を逸らして現状の意思を伝えた。どうすればいいのか分からないという、情けないものだが。
「……そうか、また来てもいいか?」
「うん。ていうか、マリーがぐずったらその日は帰るから」
「ふっ、それなら毎日ぐずれば会えると伝えておく」
「やめてよ、あの子賢いから本当にやりそう」
「ああ、賢いから君の感情にも敏感なのだろう。元気でいてくれ」
そう言い残してミスミは帰った。ほんの少し話しただけなのに、あたしはあの家の温もりを感じてしまう。触れたくて、触れてはいけない温もり。
あたしはその背について行けず、ただ扉の前で立ち尽くしていた。
結局あたしは、ワガママで迷惑をかけているだけのようだ。でもどうしようもない。
行き場を失っていた頃とは違う。人と繋がっているからこそ感じる虚無感が胸を襲うんだ。
どれだけ周りに許してもらおうと、自分が自分を許せないからあの人達の輪に入れない。入ってはいけない。
挙句の果てには躊躇い、八つ当たり混じりな仇討ちに加担しようとした。メリアが守ろうとした対象なのに。
「はぁ……ダメだ。あたしこんな時の生き方教えてもらってないよ。村長にもクソ女神にも……どうすればいいのよ」
自然と自嘲気味な笑いが漏れ、気がつくと崩れ落ちるように座り込んでいた。
そして次の瞬間、予想外の声があたしの耳に届く。
「……以前にも言いましたが、本当に無防備な口ですね。勇者さん」
「いっ……あっ……」
「そこまで狼狽えないでください。カマをかけただけなのに答え合わせしてますよ」
振り向き言葉を失っていたあたしにイヴは呆れた視線を強く送ってくる。
や、ヤバっ……バレちゃった。
どうする? 脅す? 一旦意識奪う?
「……誰にも言わないので危険な事は考えないでください。今私が貴女すら失えば、本当に生きる理由がなくなるので」
「えっ、いや……大袈裟でしょ」
冷静さを欠いていたあたしだが、イヴの言葉で少しは理性を取り戻した。流石にあたしは誰かの生きる理由になれるような人間ではない。
「そうでもないです。メリアがいなくなってから数日経って気がつきましたが、私にはもうこの国にいる理由がない」
「どういう事?」
「彼がいた時は実感が湧きませんでしたが、メリアという馬鹿な聖人がいなくなると私に喧嘩を売ってくるゴミ共が増えるようで、私が思っていた以上にメリアは私を守ってくれていたようです」
そういえば先程イヴは「私が貴方方に逆らう事は出来ない」と言っていた。あたしの知らない学校という場ではずっと想像以上の酷い扱いを受けてきたのだろうか。
本当はメリアから話を聞いたあの時、すぐにいじめっ子を全員脅すべきだったのだろうか。
それが気になりあたしは尋ねた。
「具体的にどんな事されてきたの?」
「……物陰で囲まれて魔法の実験台にされたり、手を出されたり。でもそれくらいなら別にもういい」
「っ……!?」
別にいいと語るイヴはあまりにも痛々しく、あたしはこうも簡単に愚かな行いをする人間に呆れる。
そして少し間が空いてからイヴは再び口を開いた。
「一番嫌なのは物を壊される事。私がお金を必要としている理由が、それなんです……」
「物……って、まさか!?」
最初は手を出されるよりは……と感じてしまったが、イヴの耳を見てすぐに察してしまった。あんなに気に入って、会う時はいつもつけてくれたあのイヤリングが今はもう見当たらない。
「……ごめんなさい、ゼラ。嫌われたくなくて……言えなかった」
泣きそうな声でイヴはそう言い耳に触れる。それだけで彼女の後悔と悲しみが嫌というほど伝わってくる。
「…………私の道具や装飾品、制服にドレス。全部親は出してくれないんです。私の力が欲しいくせに。だから稼いだお金で用意しているのに、産まれた環境がよかっただけの無能にバカにされて、汚されて! メリアがいなくなってからは何もかも壊された! 八つ当たりみたいに……全部……二人から貰った物まで奪われ壊された!!」
俯き泣き叫ぶようにイヴは言葉を吐き続けた。身に覚えのある光景だ。
なにより納得した。イヴがさっきやろうとしたのは、八つ当たり混じりの仇討ちなんかじゃない。自分の身を守る為に必要な復讐だったんだと。
「メリアと私を繋いでくれる物がもうない……初めての親友から貰った大事な物すら、私は守れなかった……ごめんなさい……ごめんなさいゼラ……」
「……大丈夫。あたしはそんなんでイヴの事嫌悪したりしないよ。だから落ち着いて」
身体を震わせ俯くイヴをあたしはただ支えた。あの時ミラがあたしにしてくれたように。
あたしなんかで意味があるのかは分からないけれど、少しでもイヴの心を助けたかったから。
でも多分もう遅い。イヴの心はきっとどうしようもなく追い込まれ、ほぼ壊れている。
ずっと長い間一人で虐められ続け、それを守ってくれた人がもういないのだから。
国にいる理由がないとはそういう意味なのだろう。
「はぁはぁ……本当ならもっと我慢するつもりだったんです。でも貴女が隣にいる時にあいつらは現れた。その時心のどこかで感じてしまったんでしょうね。この人が隣にいれば、私が多人数相手に負けても助けてくれるって。だから……あんなに本音を吐いて、イキがって……次学校に行ったら今まで以上に酷い目に合う……」
「…………」
理不尽に怒り、どうしようもない恐怖に怯える彼女を見てあたしは、一人では支えきれないと感じてしまう。
あたしじゃダメだ。こういうのはミラやメリアが得意なんだ。それなのに、メリアがもういない。
「もういや……もういやだ……浅ましい妬みに付き合うのも、大人の打算で生かされるのも……」
「イヴ……」
それから彼女はしばらくあたしの胸の中で震えていた。
何が正解か分からないあたしには、ただ抱きしめ続ける事しか出来ない。
そしてある程度時間が経ってから彼女は顔を上げる。
「はぁはぁ……ゼラ、今理解しました。私がどうして貴女に話してしまったのか。貴女が私以上の地獄を見てきた人だからなんですね。詳しくは知りませんが、あの国が勇者に濡れ衣を着せて裏切ったのは知ってます。世界を救った人への仕打ちじゃない」
あたしと目を合わせるイヴの声音は気がつくと変わっていた。感情的な訴えから、世界への諦めを感じさせる声に。
「ねぇ、ゼラ。一緒に逃げましょう。結局私達は利用され捨てられる人種なんです。なら二人で国を出て、幸せになりませんか?」
イヴはあたしを抱きしめながら逃避を誘った。
彼女はあと少しで唇が触れ合いそうな距離でも構わずに欲望を吐き続ける。
「それで復讐するんです。私はこの国の貴族共に、ゼラは貴女を裏切った者全てに……!」
うん、いいね。悪くない。あたしだって興味がないわけじゃない。この手でかつての仲間に命乞いさせてみたいよ。
「力及ばずでしょうが、なんだってします。どこまでも付き合います。ですから、ですから私と一緒に復讐の道を……!」
でもごめんねイヴ。あたしは先に吸血鬼に拾われてるんだ。その逃避には乗れない。乗りたくても乗れないんだ。
「そんな事したって、メリアは喜ばないよ」
あたしの拒絶にイヴは表情を変えた。これまでの期待と実力への信頼が作り上げていたあざといものではなく、失望一色のものに。
そしてその感情はイヴをもう一度激昂させるには充分だった。
「……今更何を言っているんですか? あいつらはメリアを見殺しにしたんですよ!? そんなゴミ共殺したっていいじゃないですか! メリアだって見捨てられたのを知れば――」
「――喜ばないよ。あたし達の知ってるメリアなら、一度見捨てられたとしてもきっと許す。あいつ他にいい所あるからなって、不満は漏らしても許す。時間はかかるだろうけどね」
「っ……それは……」
「そうよ……だから困ってるのよ。あたしだってあんなゴミ共痛みつけたい。でも、メリアが命に替えても守った連中なのよ。そいつらをあたしが傷つけたら、多分メリアは嫌がる」
あたしの語ったメリアをイヴは否定出来ず勢いを失う。
ほんとバカみたい。何も考えず、ただ復讐という名の逃避を行えば楽になれるのに。この心からは解放されるのに、どういうわけかあたしは進めなかった。
こういう綺麗事は嫌いなんだけどな。
「……でもっ、結局メリアはもういないじゃないですか! 死んだ人間はもう二度と蘇らない! 行方不明? 何のためにそんな誤魔化しをしているのかは知りませんが、もうメリアの感情はどこにもないんですよ!!」
「…………!!」
一瞬怯んだイヴだが、その感情は収まらずにもう一度火がつく。
そしてこの時あたしはようやく気がついた。イヴの言葉のおかげで気づく事が出来たんだ。
「だったら! 生きてる人間の感情を優先してもいいじゃないですか! 私はあいつらが憎い。あいつらの親も纏めて壊してやりたい! メリアがいたから耐えられたのに、私からメリアを奪うからあいつらは死ぬんだ! 必ず殺して――」
「――大丈夫、もう一度会えるよ」
「え…………?」
そうだ、基本的に死んだ人間は蘇らない。
でもいるじゃないか、一人だけ蘇った存在が。
「あたしが絶対見つけてくる。もう一度メリアと会わせる。だからさ、それまで待てる?」
「な、何を言って……なんでそんな事を自信満々に言えるんですか……」
「あたしが一度死んだ人間だからだよ」
こんな事を伝えられたイヴは当然困惑し言葉を失う。
その間にあたしは畳み掛けるように事実を口にする。
「あたしさ、五年間死んでたんだよ。そして少し前に蘇った。だからイヴやメリアと今は同い年なの。サバなんて読んでないからね」
「えっ……」
「そんなあたしだから知ってる。もう一度あたし達があのバカに会う方法を」
おそらくミラが忙しい理由もこれだ。あたしの魔力を必要としていた理由も。
あんのクソ吸血鬼、抜け駆けは許さないっての。
「っ……私にも手伝わせてください!! なんだってやるから私にも!!」
「イヴは大人しく待ってて。悪いけど力不足」
「くっ……でもっ!」
もう一度会う手段があると知ってからのイヴは更に感情的だった。こいつ、メリアに気はないとか言っておきながら大好きじゃん。
蘇ったメリアにイヴはこんなにあんたを想っていたよって伝えないといけないわね。
「それでもって言うなら、二人きりの時はエリって呼んで。あたし故郷ではそう呼ばれてたから、仲のいい相手にはそう呼ばれたいんだ、イヴ」
「っ……エリ……」
少し動揺しながらもあたしを呼ぶイヴは、普段より可愛かった。あたしに魅了が使えたらかけたくなるような、そんな可愛さだ。
「ふふっ、懐かしいな。ありがと」
「……本当に大丈夫なんですか」
「正直分からない。ミラに止められるほど危険なとこっぽいし。でもあたしは絶対やり遂げる。それでメリアに見せつけてやろ。あたし達が前より仲良くなってるところ」
理性を取り戻したイヴは疑うように訊いてきた。
そんな彼女の不安を取り除きたかったが、あたしは真実を伝える。隠したくはないからだ。
けどその上で約束もした。少しでも自分を奮い立てて起きたいというのもあるが、これはこれでかっこいいんじゃないかな、今のあたし。
「……こ、こんな人間相手に、よく仲良くなんて言葉使えますね。口を開けば汚ればかりの私に」
「あたしもそんなんだから。というか、そっちから同族を求めてきたんでしょ。それなのに今更自信なくしたわけ?」
「そ、そういうわけではありませんが……」
落ち着いたイヴは珍しく弱気な姿を見せる。こういう姿、メリアにも見せてたくさん弄られてくれないかな、なんて想像をしてしまう。
……うん。やっぱり、この三人の時間が欲しいね。なんて思えば思うほど力が湧くような気がしてきた。
「……帰ってきてくださいね」
そう口にしたイヴの表情はこれまでで一番魅力的だった。普段の無表情や怒ってる表情とは違い、純粋な心配や期待が混ざった表情。
元勇者としては、そんな顔で頼られたら応えるしかない。
「勿論」
「私、本ならハッピーエンドが嫌いで、主人公が何かを失うビターエンドの方が好きです」
「奇遇ね、あたしも」
現実はそんな甘くない。だから似た者同士ハッピーエンドが好きじゃないのだろう。
でも今回は別だ。
「でも今回はビターエンドじゃ嫌ですよ。ハッピーエンド以外認めません」
「分かってる。元勇者を信じなさい」
あたしがそう伝えるとイヴは見せた事のない笑顔を見せてくれた。これはメリアにいい自慢が出来そうだ。
あたしの親友は、笑顔がとても可愛いっていうね。
「……何よりも信じられる言葉ですね」
「でしょ」
「では元勇者様にもう一つ頼みたい事が」
「なに?」
なんだろう、メリアの件で他に何かあっただろうか。
そう考えたあたしは予想外の頼みを聞く事になった。
「その……フィアナスタ家かダチュラ家に私を匿うよう頼んでもらえませんか。あんな出来事があった後なので家に帰れないと言いますか、権力ある家の力を借りたくて……」
今まであんなに強い口調だったのに落ち着いた瞬間これだ。そのなんとも言えない情けない姿があたしには更に可愛く見えた。
「あー……ごめん気が利かなくて。ちょうどミラに用があるから行きましょうか」
この部屋ともお別れかな。そう思いながらあたしは立ち上がり、イヴに手を差し出した。メリアがダンスの練習の時にあたしにしたような、カッコつけたやり方で。
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