二章 取り柄

 フィアナスタ家の皆と関わり始めた日の夜、あたしは借りた部屋の窓から夜空を眺めていた。

 元々はミラの家に帰るつもりだったが、マリーが駄々をこねるため泊まる事にしたのだ。

 そこで用意された部屋もとても豪華な部屋で平民のあたしには遠慮したくなるような雰囲気だった。後ずさりしてしまうくらいには。


 だがパパはこの部屋をいつでも好きに使っていいと言ってくれた。これもミラが言う恩を返すための行動だろうか。本当にバカバカしい。

 バカバカしいが、今あたしの抱えている気持ちが純粋な嬉しいという気持ちなんだと思う。ミラに指摘されなければずっと忘れたままの感情だっただろうに。


「あたしもなにか返さないとな……」


 星を見上げながら呟いた時だった。ちょうど扉を叩く音が聞こえた


「ゼラー入って大丈夫?」

「大丈夫」


 声の主はメリアだった。彼とは二人きりで話したい事があったが、タイミングが合わなかったため夜遅い時間に来てもらう事となっていた。主にマリーが原因だったが可愛いから問題ない。


「話したい事は俺もあるんだけどさ、先に一つ言わせてくれよ」

「なに?」

「こんな時間に男を部屋に誘うのは控えた方がいいぞー? 俺はいいけど」


 メリアの言葉にあたしは首を傾げる。

 その様子を見て呆れた表情を見せるメリアだったが、思わぬ援護が彼に届く。


「それに関しては私も同意見です。エリカ様はもう少し警戒心を持つべきかと」


 声の主はベルだ。彼女はあたしの世話をするためにフィアナスタ家にもついてきていた。


「いや、誰よりも警戒心あるでしょあたし。あたしに闇討ち出来る奴なんかまずいないわよ」

「その返しの時点で無防備なのバレるからねエリカさん」

「ほんとそういうのに疎いですよねこの方。うなじのキスマがその証拠です」


 ……キスマ? なにそれ。別に首は違和感ないけど。

 首筋を押さえてみても無防備の証拠になるような違和感は特になかった。


「うわっ、どうせミラさんにされたやつでしょそれ。ベルっちよく隠せたね」

「それが私の仕事ですので。まぁ今はパジャマに着替えてますし見えますよ。汚らわしい吸われた痕が。というかなんで男性を部屋に入れる時にこんな薄着なんでしょうこの人」


「俺に聞くなよ。あんたが着替えさせたんじゃないのかよ」

「用意されていた服は全てヘリダ様が選ばれた物です」

「……ごめん」


 なんだか二人のバカにするような、憐れむような視線を感じる……。

 それが嫌になりあたしは話を逸らすように本題へ入った。


「えっと……悪いけどベルは部屋の外で待っててもらっていい? メリアと二人で話したいの」

「はぁ、いいですけどいずれ気がついてくださいね。女遊びに慣れてる連中は私達の敵なんですから」


「人聞きの悪い言い方だなーベルっち。俺結構一途だよ?」

「婚約者と上手くいってからそう主張してください」


 呆れた態度のベルはそう言い部屋から出ていった。

 以前も聞いたがメリアは婚約者とあまり上手くいっていないようで。まぁ……飽きずに女遊びしてる人が婚約相手じゃ愛想つかすか、と少し女性の方に同情してしまう。

 目の前のメリアは少しも気にしていないようだが。


「ははっ、あの返しには勝てねーや。それでエリカさんの話したい事って? 俺のは後回しでいいよ」

「その前にあんた、婚約者の事少しも気にしてないの?」


 別に自分が気にするような事でもなかったがあたしは訊ねていた。すると彼は引きつったような表情を見せる。


「いや、なんていうか気にしすぎてウザがられるようになってさ、会う度に顔真っ赤にしてアホだのバカだの言われて、そこまで嫌われる事した覚えはないんだけどな。そのくせ他の女の子と話してると婚約者アピールして周囲に見せつけようとしてくるんだから、典型的な公爵家の肩書きを狙った政略結婚さ」


「ふぅん……貴族ってのも大変ね。あっ、隣座っていいから……って言ってもここあんたの家か」


 メリアの話を聞いて納得したあたしはベッドに座り彼に座るよう促した。

 ここで今更だが彼らとは住む世界が違うのだと自覚させられた。

 政略結婚って。しかも嫌われてる相手と……なんて面倒な世界なのかしら。


「……貴族ってよりかは一人の男として今の俺は大変だよ。まっ、その子は社交界での評価は悪くないし親に迷惑かけたくもないから継続ってとこ。これで納得してくれた?」


 そう言いながらメリアはあたしの隣に座った。何か言いたげな視線は感じるが、こちらからは尋ねない事にした。


「うん、理解した」

「それでエリカさん、なんでベッドなの? ソファあるじゃん」


「いや、なんか触れるの勿体なくて。あんな高価そうな物を汚したくないじゃない。ベッドなら既に使ってるしいいかなって」

「なるほどこれが産まれの違いね。もう突っ込まない。で、エリカさんの用事は?」


 そうあたしに促す彼はどこか納得していないようだった。やはり貴族の世界は面倒くさそうだ。そう感じながらもあたしは口を開いた。


「それなんだけどさ、お願いがあるの。多分メリアが適任で」

「おっ、なになに? 俺に出来る事ならなんでもやらせてよ!」

「えっと……あたし人付き合い苦手だから手を貸して欲しい……」


 何故か声が大きくなるメリアとは対象的にあたしの声は小さくなっていく。理由はとても言いにくい事だからだ。


「へ?」


 実際伝えられたメリアは目を点にしている。やはりおかしい事なんだ。


「いや、だからあたしメリアみたいに色んな人と仲良くなれるタイプじゃないの。だから色々と慣れるまでそばにいて欲しいっていうか、メリアがいてくれたら話しやすいっていうか……」


「俺がいなくてもアルやマリーと上手くやっていけそうだったけどな。両親は俺関係なくエリカさん来て喜んでるし、特に母さん」

「マリーは例外よ。あれはなんかもう特別なの。アルとも悪くはないけど、メリアがいてくれた方が助かる。あと出かける時とかも隣にいてくれたら……助かるっていうか」


 正直こんな事で頼りたくはない。だが苦手な分野なのだから近しい人に頼るしかない。だからと言ってミラにこんな頼みをしてはバカにされる。

 なら年が近くて明るいメリアがちょうどいいんじゃないか。そう思い頼っているのだが、やはり恥ずかしい。


「…………なにこれ、無自覚デートってやつ? 想像以上に重症なんだなエリカさん」


 あたしの頼みを聞いたメリアはしばらく固まった後認めたくない言葉をぶつけてくる。

 自分でも分かってるわよ。人間関係の構築が苦手で重症な事くらい。だが表向きには認めたくないあたしは話を逸らす。


「何を言いたいのか分からないし今更だけど、さんづけいらないわよ。ゼラの時と同じでいい」

「はぁ……分かったよエリカ。でも誰彼構わずそんな態度取らない方がいいと思うぞ」

「だからそれがよく分からないのよ」


 良くも悪くも目立つ勇者として生きてきたからだろうか、どういう態度が良くないとかが分からない。特に今は脅してるような話し方をしているわけでもないし。


「確かに距離感測るの苦手そうだなエリカは。逆に俺も距離感測れないもん。どこまで聞いていいのか分からないし」

「うーん、気になるならなんでも答えるけど、面白い話なんてないわ」

「なら聞くけどエリカにコミュニケーション教えてくれた人っている?」


 そう言われあたしは故郷での経験を思い出す。と言ってもコミュニケーションより戦闘能力を求められていたので教わった記憶はない。


 だから伝えられた言葉を思い出す。

 別に無理に体裁を整える必要はない。結果で黙らせればいい。だから素のエリカでいい。そう伝えられた言葉をあたしは信じてきた。


「いないけど素のあたしでいいとは言われた」

「……こりゃ社交界に出たら荒れるな。分かりきってはいたけど」


 どうやらあたしの対応は間違えていたようで、メリアは呆れた視線を送ってくる。そして一度ため息をついてから彼は口を開く。


「とにかく分かったよ。この際だからパラヴィアのいいところ沢山案内してやるよ」

「あっ、ならその時冒険者ギルドに登録したい。お金稼ぐ手段いい加減見つけないと」


 ギルドにある依頼はどうせどれも簡単だろう。本来複数人で行く依頼を一人で達成すればお金も多く稼げる。

 そう思っていたあたしは再びメリアに呆れた視線を送られる事になる。


「…………もうエリカさん、このフィアナスタ公爵家の人間なんだよ? 自分で稼ぐ必要なくない?」

「いや、そうは言われても何もしないわけにはいかないし、ミラのとこでは何もしてなかったけど流石に気になり始めたから」


「逆ヒモ生活に?」

「逆紐?」


 謎の言葉を使われたあたしは聞き返した。紐って結んだりするやつよね? どういうこと?


「いや、ごめん。ニートって言ったら伝わる?」

「っ……まぁ、分かるわよ。そうね、ずっとニートだったからいい加減稼がないと。これ以上周りに迷惑かけたくないし」


 聞きたくない言葉を理解してしまったあたしはその意味を認めざるを得なかった。蘇ってからニートだったわあたし。手持ちのお金なかったし。

 そう考えているとメリアは少し意外な事を口にした。


「いや、俺もミラさんもエリカ一人養うくらい余裕だよ。多分あの人も迷惑なんて思わない」

「どうかしら。それにあんたは親の保護下でしょ」


 フィアナスタ家があたしを養うと言うなら理解出来るが、メリアはまだあたしと同い年だ。そこまで自分で稼いでるとは思えない。


「って思うじゃん? これでもちゃんと飲食店のオーナーとして利益出してるんだぜ。だから父さんやミラさんほどではないにしろ稼いでるわけだ俺は」


 得意気にそう語るメリアは少し可愛かった。聞いてる話の内容よりもそちらに注目してしまうぐらいには。


「へぇ。メリアも結構凄い事してるのね」

「まぁ父さんの金で始めた小さな事業だけど。てか自覚なさそうだから言うけどエリカの方が凄いからね? もう余生は養ってもらうだけの徳を積んでると思うよ」


 過去のあたしならお世辞だと思い流していただろうが、ミラからメリア達の想いを聞かされた今なら少しは素直に受け取れる。

 と言っても経営して儲かってる人の方が凄いと感じるが、あたしにはよく分からん。


「そうは言われてもなんていうかね。言語化出来ないけどなんか引っかかるのよ」

「うーん、なら聞くけどエリカはフィアナスタ家が何かに襲われたら守ってくれる?」


 少し悩んだ後メリアは即答出来る質問をあたしにした。


「なに当たり前の事聞いてるのよ。生け捕りでもなんでも指示通りにそいつらどうにかするわ」

「うん、勇者様が用心棒として家にいるだけで十分なの理解して。いるだけでお金払うレベルなの貴女は。その辺の衛兵の何倍もの価値があるの貴女は」


 メリアの噛み砕いた説明のおかげでなんとかあたしは理解した。

 勇者時代は国からあたしへの報酬なんてなかったからあまり意識した事がなかったな。


「そっか、なるほど。なんとなく言いたい事は分かったけど、もう勇者じゃないからねあたし。それに昔は出来なかったダンジョン巡りもちょっとはしたいし、冒険者登録はしておきたい」

「そういう事なら今度連れて行くよ。一人で行かせるのなんか怖くなってきたし」

「なによその言い方。まぁ……いてくれた方が助かるけど」


 話していくほど失礼になっているように感じられるメリアだが、別に悪い気はしない。話しやすいから彼に頼る事にしたのだから。


「それじゃ次は俺の話だな。ついでにエリカの仕事にもなるような話だぜー」

「あたしの仕事?」


 メリアの言葉にあたしはつい聞き返した。あたしに出来る事ってそれこそ用心棒や魔物退治くらいでは。


「そっ、お金稼ぎたいなら俺の先生になってよ。魔法も剣もエリカさんに教わりたいんだ」

「あーそういう事。問題ないけどそれって仕事って言えるような内容?」

「なるに決まってるじゃん。これが今の先生の一月あたりの給料ね」


 そう言いメリアはポケットから紙を出す。くしゃくしゃになったその紙に記入されていた額はあたしの知っている一月の給料より一桁多い。


「っ……!?」

「さっき父さんに相談したんだけど、もしなってくれるなら父さんから毎月この額の倍以上が支払われる事になるから」

「これの更に倍!?」


 理解が追いつかないあたしは声を大きくして聞き返していた。ダメだ、貴族のお金の感覚が全く分からない。


「そりゃあそうでしょ。貴女元勇者じゃん。倍でも安い気するけど最初は様子見かなきっと」

「いや、あたし教えるの上手いわけじゃ……」

「昔うちの長女に高難度魔法教えてたじゃん。あれかなり難しい魔法で他所からの評価凄かったんだぜ?」


 当たり前のように言うメリアにあたしはどうしようもない脳で必死に思い出そうとする。が、やはり無理だった。

 そもそも屋敷に訪れた時もなんか見覚えあるようでないようなぐらいの感覚だった人間が、この国での出来事を鮮明に覚えているわけがない。


「悪いけど思い出せない」

「まぁエリカからしたらきっと些細な出来事でしかないもんな。んっ……?」


 何かに気づいたのかメリアは少し考え込む。あたしの顔をじっくりと見ながら。


「あれ、エリカさんあれから歳とってるよね? なんかむしろ若返ってるように見えるんだけど。てかゼラの方って歳誤魔化してたりする?」


 メリアの疑問は至極真っ当なものだったが、歳を誤魔化すという言葉に何故か拒絶反応が出てしまった。


「……別にサバ読んでないわよ。色々あって五年間生きてなかったの。だからあたしは十六のまま」

「マジかよ……俺からしたら憧れのお姉さんだった人が気がついたら同い年になってたわけで……複雑だ」


 本来ならありえないような話もメリアは少しも疑わずに受け入れた。そこは少しも疑わないのかと少し不安になる。


「どういう意味よそれ」

「言っても分からないと思うぞ。小さい子の好みを歪ませる側だった人間には」


「ほんとによく分からないわ」

「まっ、俺もアルも勇者だった頃の貴女に憧れてたわけだ。一番はミスミ兄だけど。それが今や同じ屋根の下だもんな。アルが知ったらどんな反応するのやら」


 憧れるなんて言葉を簡単に使うメリアに今度はあたしが疑問を抱いた。

 なんで恐れられていたあたしなんかに、と。


「一つ聞きたいんだけどさ、あんたはこの瞳が怖くないの? 魔族のように真っ赤な瞳が」

「えっ、どこが? むしろかっこよくて羨ましいんだけど」

「えっ……?」


 訊ねたあたしはメリアの返事に困惑してしまった。これまで聞いた事もない言葉だったからだ。


「そんな顔しないでくれよ。他所では嫌悪する人もいるだろうけど、パラヴィアには吸血鬼がいるから魔族みたいって理由で恐れたりはしないよ」


 メリアは口を動かしながらあたしの手に手を重ねた。その温もりが少しくすぐったい。


「そりゃあ中には悪い吸血鬼もいるし、魔族全体を嫌悪してる連中だってパラヴィアにもいる。でも俺はミラさんをそばで見てきてるから、そんな理由で恐れないよ。それにエリカさんあの時かっこよかったもん」

「…………そっか」


 ああ、あたしはまたミラに助けられてるんだな。そう感じさせられる。

 でもあいつはそれを伝えたら「貴様がしてきた事だ」なんて言うんだろう。


 本当に物好きな連中だ。ミラも目の前のメリアも。

 大事にしたい。この人を。そう思いながらあたしはメリアの手を握った。


「っ……それでエリカは俺の先生になってくれる?」

「うん、あたしでいいなら」

「よっしゃ! じゃあ明日から朝と帰宅後よろしく!」


 顔を赤くしながらも元気に答えるメリアを見ていると、あたしまで嬉しくなってしまう。

 そんなにあたしなんかに教わるのがいいんだ。そう感じながらあたしは一つ訊ねた。


「帰宅後?」

「学校だよ学校。貴族のめんどくさい学校が休み以外はあるの。あっ、これからはゼラとして一緒に通う事になったりするのかな」


 学校と聞いてあたしは納得した。そういえば産まれのいい人達が通う場があると聞いた事がある。公爵家の子供なら当たり前か。


 そう感じながらも自分が通う可能性を考えると一瞬嫌な気持ちになった。あたしの交友関係は狭くていい。

 というか、なんだかミラとの星域巡りからはどんどん遠のいてる気がするが、それでいいのかあの男は。


「……何も聞いてないわ。ちなみに学校って楽しいの?」

「うーん、人見知りな友人をからかってる時は楽しいぜ。他にも良い奴多いし。でも結構めんどくさいんだよなぁ、俺の好きな奴同士が仲悪いとか」

「あー理解したかも」


 咄嗟に出た疑問への答えは嫌悪感が出るドロドロとしたものだった。あたしにも経験がないわけではない。


「まぁ悪いのは偉い貴族だからってその人見知りを虐める連中なんだけどさ。でもそいつらにもいいところはあって、でも俺の注意じゃあいつらは繰り返しちまって……何が正解か分かんねーんだ」

「とりあえずあたしが行きたくない場所なのは理解した」


「まっ、父さん母さん次第だなそこは。それじゃ明日から早速頼むぜ!」

「うん、分かった」


 何故そんなめんどくさい場に行くのだろうか。なんて考えながらあたしがそう伝えるとメリアは部屋から出ていった。最後におやすみと伝えて。


「とても喜んでましたが、どうされたのです?」


 メリアが出ていくのを見届けると部屋に戻ったベルから声をかけられる。もっとも彼女は分かっていて聞いているのだろうが。


「ちょっとした約束。ベルの聴覚なら聴こえてたんじゃない?」

「流石ですねゼラお嬢様。魔族の特徴は全て頭に入ってるようで」


 この言葉は肯定だろう。部屋から出した意味はあまりなかったかもしれない。


「ねぇベル。そのお嬢様ってのやめてよ。なんかくすぐったい」

「いずれ慣れなきゃですよ、お嬢様」

「実感湧かないわよこんな環境の変化」


 ベルの言う事は分かるが、平民の田舎者には豪華な客室の時点で目が回るレベルなのだ。それを皆には理解してもらいたい。

 そう思いながら見つめているとベルは少しだけ表情を変えた。


「まぁそうですよね。ふふっ」

「何がおかしいのよ」

「いえ、朴念仁のたらしが同族に堕ちる姿が忘れられなくて。ほんと、少し環境が変わるだけで人からの評価は変わりますね」


 彼女の言っている意味は分からなかったが、とりあえず気になった点は指摘した。


「ベルにはあたしの環境変化が少しに見えるのかしら」

「ふふっ全く少しではありませんでしたね。でも、環境が貴女様の価値にようやく気がついたようです。これからも私にエリカ様のお世話をさせてくださいね」


 どことなく楽しそうなベルはほんの少しだけ笑顔を見せる。満面の笑みというものは見せない彼女だが、それでも十分可愛い。

 そんな彼女があたしの世話をすると言うのだから拒む理由はないだろう。


「こちらこそ頼みたいわベル。あたし化粧とか服選びとかよく分からないから」

「お任せください。エリカ様に合う服は私とヘリダ様で用意しますので」


 このベルの言葉に嫌な予感を覚えたあたしはすぐ口を開いた。


「ならスカートはやめ――」

「――ダメです」

「いや、着慣れな――」

「――ダメです着てください」

「…………」


 あたしの中では最善の抵抗を見せたと思うのだが、ベルの意志の方が強かった。というか彼女の圧にあたしは逆らえなかった。

 なんていうか、あたしの方が強いはずなのに逆らってはいけないプレッシャーを感じたのだ。


「パンツスタイルも似合いますが、生前とは差別化するべきでしょう。勿論人に見られている時の戦闘スタイルも」

「うっ……」


 ベルはただ否定するだけでなく納得出来る理由まで用意してくる。

 生前のあたしはスカートの類いを避けていたのだから、元勇者だと知られたくなければ正しい判断だろう。


 戦闘スタイルだってそうだ。何事もなく過ごしたければ過去の自分を表にしてはいけない。

 でもどうしても嫌なのよね、あのヒラヒラ。落ち着かないっていうか……。


「少しは遠慮してくださいね? 左片手の剣技と右手の魔導砲は特に。魔法に関しては自覚されてるでしょうから私から言う事はありません」


 あたしがベルの言葉に小さくなっていると彼女は追い打ちをかける。おそらく今後あたしが冒険者ギルドに行く事を見越して言っているのだろう。

 もっと遠ざけてからメリアと話せばよかった。そんな小さな後悔が胸に残る。


「ギルドに行きたいってとこも聞いてたのね……」

「当たり前です。本気でなくとも目立つでしょうから。エリカ様の実力では」

「……気をつける。でもそうすると少しは魔法も使わないとやれる事が少ないというか……」


 ベルの言っている事は当たり前なのだが、そうすると本当にやれる事がない。

 別に利き手である右手で剣を握ればいいだけだが、結局はそれしかない。それだと味気ない。


 無属性の防御魔法と剣術だけの立ち回りは基礎の練習になるから悪くないが、今更雑魚相手に基礎となる動きを練習しても実りがない。

 だから弱めな魔法くらいは使いたいのだが、目の前のベルが許してくれるかどうか。


「ならリーテン・デューダを使えばよいのでは?」

「アレはその辺の人間に見せちゃダメ。新たな争いの火種になる性能してる」


 一度ミラを相手に試した感想だが、魔法の才能がない人間でも練習すれば使えるようになる飛び道具は危険だ。弓や大砲と違い本体が自由に動けるのも危険なポイントであり、全方位攻撃が魔法より簡単なのもよくない。

 こんな武器が出回れば人間同士の争いが悪化する。だから他人に見せる気はない。


 もっともこれらの理由は建前であり、魔法剣による全方位攻撃を自分の特権だと思っていたあたしが、他人の全方位攻撃を見たくないというのが本音だ。

 近接武器による全方位攻撃とかいう訳分からない選択肢を実力がそうでもない他人に真似されたくない。という幼い理由でリーテン・デューダは流行って欲しくない。


「流石ですお嬢様。私も同意見です。もっともどこかの誰かはデチューンした物を売ろうとしてましたが」

「は? あいつバカなの?」


 ベルの言う誰かはミラだろう。彼女の言葉を聞いてあたしは反射に近い形で本音が盛れた。


「バカですよ。人間には難し過ぎて買い手がいませんでした」

「現状ですら簡単ではないのにそりゃあそうよね。はぁ、魔導士として立ち回れたらなぁ」


 そしたら戦闘スタイルを変えるのも簡単なのに。まぁあたしの魔法は属性が勝手に混ざるからすぐに元勇者だとバレて無理だけど。

 そう思っているとあたしの夢に近い呟きにベルは答えた。


「ソロの魔導士は珍しいのでそれはそれで目立つかと思いますが、魔法を人に見せても問題ないレベルの見た目にする事は可能かと」

「ほんとっ!?」


 ベルの言葉にあたしは飛び起きるような反応をする。これまで努力ではどうにもならなかった現象を変えられるのならその可能性は捨てたくない。


「私が毎朝魔力を鎮静化させます。それで属性が混ざり今のように濁る事はなくなるでしょう。所謂セーフティですね。その気になれば魔力量で強制解除出来ますから、セーフティ中にミラ様から襲われても問題はないかと」


「えっ、ベルそんな事まで出来るの? 早速試したい」

「今日は遅いので明日の朝にしましょう。エリカ様の属性融合は魔力量の多さも原因でしょうから多分出来ます」


 夜中に心が踊るあたしだが、そんなあたしをベルは飼い慣らすように促す。


「じゃあ朝起きたらすぐお願いね」

「はい。ですからゆっくり休んでくださいね」

「あはは、今ので少し目覚めたかも」


 予想外の事が起きて驚いたのだからこれは仕方ないだろう。それに朝が楽しみで寝つけなさそうなのもある。

 少し子供っぽいな。


「では今夜も魔力入りのミルクでも飲みますか?」

「うん、お願い」


「報酬は血で支払ってもらいますね」

「ベルもだんだん隠さなくなってきたね」


 二人で小さく笑うと彼女はいつも通り用意してくれた。

 あたしはその対価に手首を差し出す。彼女が暴走しなければ貧血になる事はないだろう。


 この人と魔族の安らかな日常を気に入っている自分がいる。

 おかしな事にあたしは魔族を殺して生きてきた勇者時代より今の方が有意義に感じている。勇者として生きる役目を与えられておきながら。


 でも平和ならいい。この国であたしの居場所があるならそれでいい。

 そう思いながらあたしは横になりまぶたを閉じた。


「そういうところですよ、エリカ様」


 意識を失う直前にベルの声が聞こえたが、その内容までは分からなかった。ただ心地よい声だと感じながらあたしは意識を手放した。

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