二章 二人きりの世界

 目を開いた時、あたしの目の前には幼い自分がいた。山奥の小さな村に拾われ、勇者として選ばれるために育てられていた頃のあたしだ。

 あたしは村長に鍛えられ、あたしが力を示せば周りの人はあたしを褒める。そんな光景だ。


 当時のあたしはただひたすらに必死だったから気にしなかったが、大きくなった今だから言える。当時の毎日も大変なものだった。

 毎日剣と魔法の技術を教えられ体力と魔力の大幅強化。そのために平均的な成人男性でも難しい事を何度もやらされていた。


 これは世界を旅するようになってから知ったが、産まれてから一桁しか生きていない人間にそんな苦しい鍛錬はさせないものらしい。

 だからあたしの環境は異常側だったのだろう。


 けど恨みも後悔もない。あるのは感謝だけだ。力があれば大半の事はどうとでもなるのだから。


「エリちゃんは凄いわね、もうこんなに強くなって」

「もし勇者として選ばれたのなら、きっとエリちゃんが世界を平和にしてくれる。それがあの子の役目だもの」


 力をつければつけるほどあたしは褒められ認められた。だから更に強さを求めた。

 その結果八歳頃には強力な魔物の生息地で一ヶ月サバイバル出来るようになった。今考えるとおかしいが。

 流石にあの時は死にかけたな。


「エリカや、辛くはないか?」


 気がつくと目の前の光景は変わり村長が小さなあたしに声をかけていた。


「別に何も」

「……そうか。なら私も託そう。勇者となり世界を平和にして欲しい」

「それが皆の望む事なら」


 過去の会話を思い出したあたしの中には疑問が生まれた。

 世界の平和の代わりに貴方達は死ぬ。そう伝えたら村長はなんて言うのだろう。


 世界は平和になってもあたしは人間に迫害される。そう知ったら彼は言ってくれるだろうか。

 勇者になんてなる必要はないと。

 


 --------



「んっ……ぅっ、だるっ……なにこれ」


 気がつくとあたしはベッドの上で目を覚ました。

 辺りを見渡すといつもの部屋ではない。


 何故自分がこの場で横になっているか分からないあたしは、意識を失う前を思い出そうとする。すると簡単に思い出せた。

 ああ、犯人はベルか。


 吸血に夢中になった彼女のせいであたしは貧血で倒れたのだろう。止めてくれる子がいなかったら死んでいたかもしれない。それはそれで構わないが。

 それにしても懐かしい夢を見た。


 そうだった。あたしは大切な村長に託されたから勇者になりたいと願い、役目を果たすために生きていたんだ。あまりにも無様な終わり方だったが。


「勇者になったのはあたしの人生の汚点ね」


 結果として勇者になったせいで大切な村の人達を失ったのだから。

 とは言え他の選択肢もなかっただろう。捨て子だったあたしが勇者になる事を拒めば、村長も村の皆もあたしを切り捨てただろう。


 膨大な魔力を持っていたから拾われたあたしには強さ以外の価値がない。他の道なんて選べない。


「……なんのために産まれたんだろ、あたし」


 過去を夢として思い出す事であたしの胸には虚無の穴が空いた。一人だからこそ悩み呟ける内容だったが、ここで予想外の出来事が起きる。


「苦悩を抱えているところ悪いが独り言は自分の部屋でしろ」

「どぅえ!?」


 一人だと思っていた部屋で突然聞こえた声にあたしは動揺して飛び起きるが、貧血で上手く立てずベッドから転げ落ちた。


「……無様だなバカ勇者」

「うるさい。てかなんであんたがここにいるのよ」

「ミラと呼べダメ勇者。俺が俺の部屋にいて何が悪い。ベルのせいで倒れた貴様を治すために部下が連れてきたんだよ。大丈夫か?」


 簡潔に状況を説明したミラはあたしに手を差し出す。不服ではあるが、あたしはその手を握った。


「……ありがと。まだ目眩はするけど大丈夫」

「あのバカに血を吸わせる時は気をつけろ」

「その忠告は受け取るけどあたしの血を大量に奪ってるのはミラだからね。魔力も血も空っぽなんですけど」


 ミラに優しくベッドに座らせてもらったあたしは彼に不満をぶつけた。元はといえばミラがあたしの血を吸いすぎるから貧血気味になったわけで、ベル個人の責任ではない。


「なら俺の魔力を送るから許せ。口と首、どっちがいい?」

「っ……どっちもパス……って言いたいけど首で」

「ふっ、ウブな奴だな貴様は」


 うるさいバカ吸血鬼。そう思いながらもあたしは彼の魔力を受け入れた。魔力がないと襲撃があった時に困るからだ。


 普段の吸血と同じように首を甘噛みするミラだったが、血は吸わずにあたしへと大量の魔力を送り込む。

 初めての感覚で少しくすぐったいが不快なわけではなかった。


「俺の特別な魔力だ。感謝しろよ」

「原因はあんたと部下だろ……」


 得意気な彼に呆れたあたしは名前呼びを忘れ呟いていた。思っていたより話し方を変えるというのは難しいが、今回ばかりは突っ込まれなかった。あたしが正しいからだろう。

 少し楽になった身体で隣の彼を見始めるが、やはり無駄に顔がいい。


 それだけでなくラフな服装に着替えた彼は、シャツをはだけさせ男性特有の色気を見せつけている。そして彼の鎖骨や胸筋に目が奪われていた時にふとあたしは気がつく。


 待て、これはまた魅了ではないか? この感覚は本当にあたしのものか?

 そう考えながらミラと目を合わせると彼は軽く笑い口を開く。


「人の胸を見る時はもっとバレないようにしろ。これは本来男に使う言葉だと思うがな」

「……そうね、クソ吸血鬼の魅了のようにバレないようにやるわ」


 彼の言葉に皮肉で返すが、その言葉は少しも効いていないようだった。


「魔力を送るなんて行為は、精神魔法をかけるのにこの上ないチャンスだからな。この無防備勇者」


 確かに彼の言う通り魔力を己の体内で魔法に変換し対象にかける精神魔法を、対象の体内で生み出す事が出来れば手間が省けとても楽だ。そんな事にも気がつかない自分が嫌になる。何故こんなあたしが勇者としての旅を終える事が出来たんだ?


「それで……少しは気が楽になったか?」

「えっ……」


 ミラの言葉があたしには一瞬なんの事か理解出来なかった。だがすぐに理解した。

 魅了をかけたのが、あたしの虚無感をかき消すためだったと。


「勇者になったのが汚点だの、なんのために産まれただの、俺の前でそんな事を言うな。エリカのおかげで救われた連中がいるのは今日理解しただろ?」

「そうだけど……」


「貴様にとっては汚点でもその汚点に救われたのが俺やフィアナスタだ。そもそも貴様をあの家に紹介したのは、あいつらが俺に勇者様に恩を返したいと何度も言うからだしな」

「道理であたしに詳しいわけだ」


 つまりあたしが偽名を名乗れていようといまいと正体は知られていたわけか。この嘘つきめ。


「連中も俺も、貴様がいなければ今もこの国にいるのか分からん。それだけの事をエリカはしたんだよ。ここまで言えばバカなエリカでも理解するか?」


 ミラが言いたい事は分かる。ヘリダやメリアがあたしに見せる姿もそういう事だろう。

 けどあたしが分からないのはそうじゃない。


「理解はしてる。でも、だからってどう関わればいいのよ」

「難しく考えるな。話したい事があるなら話せばいい。頼りたい事があるなら頼ればいい。そこまで信用出来ないと言うなら、俺もフィアナスタもいずれその信用を勝ち取るさ」

「…………」


 ミラの言葉は心強かった。あたしは彼を心の底から拒絶しているわけでもなく嫌悪しているわけでもないのだから。

 なにより分かりやすかった。


 そっか、話してもいいんだ。あたしの胸にあるもの、吐き出してもいいんだって思えた。多分、人生で初めて。


「……そこまで言うなら少し付き合って」

「おう、どこまでも付き合うさ」

「あたしさ、分からないんだ。ヘリダやメリアにあんな想いを伝えられた時の自分が。ミラは泣きそうな顔って言ってたけど、そんな顔してなかったと思う」


 あたしにとって他人に泣き顔を見せるなんて行為は屈辱でしかない。だからこそ否定しているが、ミラはあたしを理解しているかのように話を進める。


「これまで勇者として誰かに感謝された経験は?」

「あるに決まってる。でも結局手のひら返してあたしを追い出して、そんな奴らばっか。違ったのは村の皆だけ」


 そうだ、村の皆は違った。あたしが勇者に選ばれた時は大喜びしてくれた。悪人を殺した時も、大量殺戮した魔族を殺した時も、いつも皆はあたしに怯えず褒めてくれた。


「村の皆にはなんて言われてたんだ?」

「強くなる度に流石エリちゃんだって。勇者になるのがあたしの役目なんだって。だから強くなる道を選んだ。勇者として女神に選ばれた時は皆が喜んでくれた。よくやったって」


「貴様は褒められたくてその道を選んだのか。単純だな」

「違う。あたしには他の道なんてなかったの。過去に戻れたとしても、きっとまたなりたくない勇者になる。魔力という才能で拾われた捨て子にはそれしかないのよ」


 ミラの言葉に少しムッときたあたしは反論した。

 確かに村の皆はあたしに怯えず最後まであたしを肯定してくれた。でも……あたしが努力を怠っていたらどうなったのだろう。


 勇者になれなかったらきっとあたしを認めてはくれなかった。

 最近になってそう思うようになったんだ。


「ほう、その結果歪んで純粋に感謝されるだけで動揺するようになったと。可愛い奴だな」

「……仕方ないじゃない。この気持ちがなんなのか分からないんだから」


 ミラに分かったような態度を取られるのが悔しいが、その通りなのだから仕方がない。


 あたしには今の自分がよく分からない。

 だがミラはそんなあたしに簡単でありきたりな答えを伝えた。


「そんなの簡単だろ。嬉しいんだよ」

「えっ?」


 彼の簡単すぎる答えにあたしは戸惑うが、ミラは真面目な顔で語り続ける。


「慣れてないから情緒が不安定になるだけで、いい人に褒められたら誰でも嬉しいものだ。だが貴様は変に疑って素直に受け取れない。これまでは功績に対して賞賛より悪意をぶつけられてきたからな。自己肯定感が低いと言われる理由もこれが原因だな」

「…………」


 ミラの言葉には妙な説得力がありあたしの心に刺さった。その結果身体は固まり動かなくなる。


「納得出来たか? 自分の気持ちの正体について」

「ん、多分」


「なら次は俺に一つ教えてくれ。勇者になった事を後悔してるか?」

「っ……してるに決まってるわ。あたしと同じ経験をしてしない奴なんていないと思う」


 ミラの質問にあたしは即答した。


 勇者になる道しか選べずその結果は後悔ばかり。だが育った環境は他に進む道を選べない環境だったのだから、あの時に戻ってももう一度同じ道を選ぶ。

 そんな矛盾した答えをあたしは抱えている。


「そうだな。だが後悔するような認めたくない過去でも自分のしてきた事が誰かの救いになっていたのなら、その事実はエリカの救いにもなるんじゃないか?」

「…………」


 不意の指摘があたしの言葉を途切れさせた。


「少なくとも俺やフィアナスタの連中はエリカのおかげで今幸せだ。その幸福を少しでもエリカと分かち合いたい」


 あたしの……救い? フィアナスタの人達や、ミラの存在があたしの……?


「今は汚点のままでいい。悲しみも憎しみもそう簡単に消えはしないだろう。だが俺は貴様の生き方を肯定する」

「っ……!」


 この時あたしの直感が訴えた。ダメだ、それ以上聞かされたらマズイと。

 だがミラの言葉は止まってくれなかった。


「エリカが勇者になってくれて良かったと、本気でそう思っている。今までよく一人で頑張ったな」


 そう言い優しく抱き寄せる彼の言葉は、あたしの心に容易く入り込み感情を氾濫させていく。あたしの生き様を理解した上で全て肯定してくれた存在は、多分初めてだから。

 だからこそ、見られたくない自分に変化してしまう。


「っ……やめてよ……今更そんな甘い言葉使わないでよ! あたしはっ……あたしはっ! 勇者になんてなりたくなかった! こんな苦しい思いするくらいならなりたくなかった!」


 これまで誰にも見せず隠そうとしていたその全てがあたしの中から外へと漏れ出ていく。憎悪も後悔も、あたしの感情そのものが行き場のない言葉になってしまう。


「だろうな」


 最悪だ。あまりにも見せられない無様な姿だ。

 それなのにミラはただ優しくあたしを包み込む。吸血鬼のくせに、人間なんかよりよっぽど温かい。


「なんで髪や目の色で魔族扱いされなきゃいけないのよ! 助けても怯えられなきゃいけないのよ! なんでっ……なんで人間に悪く言われなきゃいけないのよっ!」


 気がつくとミラの胸の中でただ不満を吐いていた。もう諦め変わる事がないと心の奥底に押し込んだはずの汚物が口から出てしまう。

 それでも彼は動じない。ただあたしを支え耳を傾けてくれた。


「そんな地獄を耐え抜いてきたのに、育ててくれた人達は皆死んだ! 心許した存在は皆裏切った。あたしは……こんな経験するために生きてきたわけじゃ……ないのに……」

「…………」


 いつ以来だろうか。ううん、初めてだ。

 他人にここまで弱味を見せるのは。


 だってあたしは勇者だったから見せる相手なんていなかった。見せちゃいけなかった。見せたら失望されるかもしれなかったから。


 でもミラは受け入れている。それどころかこうして落ち着くまで優しく抱きしめ背中を支えてくれる。どれくらい時間がかかるかも分からないのに。


 もしあたしに父親がいたら、小さい頃からこういうふうに頼れたのかな。そんなありえない話を考えながらもあたしは息を整えた。どれだけ時間をかけたのか分からないくらいゆっくりと。


「……ごめん、こんなつもりじゃなかった」


 ようやく落ち着けたあたしが最初に言えたのはこんな情けないものだった。だが彼は何も変わらない。


「気にするな。好きなだけ言いたい事は言え。吐いた方が楽になる時もある」

「そっか……」


 もうここまできては面子も何もない。意外な事にそう思って吐く言葉は気楽なものだった。どんなに情けない内容でも。


「あたしさ、あの湖で死ぬ時本当は嬉しかったんだ。ようやく解放されるって思えた。こんな苦しくて汚い世界から。そしたらあんたみたいな物好きに負けて拾われて、本当わけわかんない。なんであたしなんかを……」


「それについては伝えただろう。貴様の魔力量に価値があるとな。だが……今日だけはもう一つの理由も伝えよう。一度だけだ」


 そう言うとミラはあたしを離して真面目な表情で見つめる。

 雰囲気の変わった彼をあたしは驚きながらも見つめ返した。


「俺は勇者として不器用ながらも役目を果たそうとするエリカに惹かれたんだ。不器用すぎて誤解から俺と戦う事になったのは今や笑い話だが、その後エリカはしっかりと俺達を救ってくれた。だからエリカには幸せになってもらわなければ困る」


 彼の真面目な瞳と声はあたしを釘付けにした。

 思い出したくない過去に触れられながらも感情的になり話を遮らなかったのはそのせいだ。


「一度は勇者として生きたせいで命を落としたが、今もまだ俺達は生きている。ならばこの先も強く生きて誰よりも幸せになれ」

「そんな事言われたってあたしは……」


「分からないなら俺がさせてやる。ただ俺についてこい。そしていずれ貴様に思わせてやる。あの時勇者になって良かったとな。苦しい過去を乗り越えた上でこの俺と出会えたのだから、勇者となる道は何も間違いでなかったと」


 この時のミラの言葉をあたしは永遠に忘れられないだろう。

 ああ、勝てないな。あたしはこれから先ずっとミラに適わなくて、ずっと彼についていく事になるんだ。


 ぼんやりとした意識の中であたしはそう感じた。


「っ…………バカみたい。どんだけ傲慢なのよあんた」

「嫌いか?」

「ううん、気に入らない」


 嫌いかと問われたあたしは否定し、ミラを否定した。

 ここまで自信に満ちて好き勝手する存在は初めてだ。だから気に入らない。

 でも嫌いじゃない。むしろ……好きだ。


「素直じゃないな貴様は」

「ミラだってそうじゃない。ヴィクトリアスありがとね」


 それはそっちでしょ、と言い返したくなる言葉が飛んできたのであたしはヴィクトリアスの名を出した。


 こんなに気を使ってもらえば嫌でも分かる。ミラは本気であの時の恩を返そうと出来る事をしてくれているんだ。

 あたしにとっては地獄の中で起きた出来事の一つでしかないというのに。


「ふっ、言っておくがフィアナスタの連中も似たような想いをエリカに抱いている。だから貴様は産まれてきて――」

「――くどい。いくらあたしでももう分かるわ。本当にありがと、ミラ」


 ミラの口を人差し指で止めたあたしはそう伝えた。ここまで気づかされたら聞く方が恥ずかしいレベルだ。

 だがおかげで数分前の悩みは消え去った。


 いつか言えるようになるのかな。

 あの時勇者になってよかった、なんて。


 今はまだ言えない。だって苦しい事ばかりを思い出すから。故郷での出来事ですら結局は失い絶望する幸せでしかない。

 でも、いつか来るといいな。そんな未来が。

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