1-2、舞台はディストピア

みんなが同時にごまかされると、どんなゲームもまともに見えるもんだ。

――ピーター・マクヴリーズ




 1960年代はデスゲームにおける「凪の時代」と呼んでも良いかもしれない。1958年にシェクリィが「危険の報酬」を発表して以後、60年代を通して今日のデスゲームものに近しい作品はほとんど発表されていない。精々、前節で紹介したシェクリィの「七番目の犠牲」の映像化作品であるイタリア映画「華麗なる殺人」(原題"La decima vittima")が1965年に発表された程度である。米国のSF作家が用意したデスゲームの下地は熱心に顧みられることのないまま、しばしの間放置されていたのである。

 60年代に、「戦禍とTVショウ」を批評的に見つめる作品が要請されなかったという訳ではないだろう。60年代の米国の政治シーンを見つめても、1962年のキューバ危機や1965年のベトナムにおける北爆開始など、冷戦の臨界を予感させるような出来事は少なくなかった。さらにこれまでの大衆的消費社会に水を差すように、アフリカ系移民による公民権運動、女性の社会進出運動、ラテンアメリカ系移民による政治参加などの社会運動も盛んになっていった。

 このような時代にデスゲームものが下火であった理由として、最初期デスゲームが未だ極私的な受容に留まるものであったからということが考えられる。前節で取り上げた「闘技場」「七番目の犠牲」「危険の報酬」はいずれも短編小説であり、その特性上、受容は極私的な活動の域に留っていた。つまり、「戦禍とTVショウ」を見つめる当時のデスゲームものは極度に思弁的な作品であって、大多数の人間を熱狂させて政治的パフォーマンスを生み出すような作品が要請される時代にそぐうものではなかったのである。

 そのため、60年代アメリカの政治不安は、ビートルズやボブ・ディランなどのアーティストらが切り開いたカウンターカルチャーによる世界的ムーブメントに回収され、デスゲームにはお呼びがかからなかった。これが60年代「凪の時代」の原因であろう。


 デスゲームにとって不遇とも言えるそのような状況が続いた後、1975年には二つのデスゲーム作品が生み出された。「デス・レース2000年」(原題"Death Race 2000")と「ローラーボール」(原題"Rollerball")、どちらも映画作品である。


 「デス・レース2000年」は1975年4月に公開された、ポール・バーテル監督、ロジャー・コーマン制作による映画作品である。

 本作は俗悪で低俗な作風ながら、長期間にわたり少数の好事家によって愛好される、いわゆるカルト映画として受容されている。

 監督のバーテルはこの映画の後も「爆走!キャノンボール」(原題"Cannonbal")や「フライパン殺人」(原題"Eating Raoul")などのカルト映画を手掛けているし、制作のコーマンは「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」(The Little Shop of Horrors)や「X線の眼を持つ男」(X: The Man with the X-Ray Eyes)などを手掛けた、「B級映画の帝王」とも称される大家である。そのような制作陣によるデスゲームはどのようなものか。あらすじから見てみよう。

 西暦2000年、独裁国家となった米国では、大陸横断レース「デス・レース」が民衆の熱狂を集めていた。それはゴールしたタイムだけでなく、道中で轢き殺した人間の数をも得点対象とする、殺人ゲームであった。今年もレースが開催される。スタートラインに揃った5台の改造車――その内の1台に乗り込んでいるのは、昨年のレースで優勝し、今年も優勝候補と目される謎の覆面男、フランケンシュタイン。しかし、彼にはレースの勝利とは異なる目的があった。レース優勝者が得られる、大統領への接見の権利。それを利用して、大統領を暗殺することである――。

 本作の内容については、興味深い点が二点ある。

 まず、主人公のフランケンシュタインがレースの優勝の後に大統領の暗殺を企て、ゲームを終わらせようとしていることである。管見の限りでは、このフランケンシュタインこそがデスゲームの枠組み自体を破壊しようと試みる、デスゲーム作品史上最初の人物である。これまでプレイヤーとして登場してきたカースンもレイダーも、ゲームに翻弄されるばかりであり、ゲームの枠組み自体を覆そうと試みようともしなかった。それを踏まえるとフランケンシュタインは、今日のデスゲームものではメジャーな「デスゲームそのものと対決する人物」のはしりと言えるだろう。

 しかし、この作品にはもう一つの注目すべき点がある。それは、これまでデスゲームものが批評的な視座で見つめてきた「戦禍とTVショウ」的な本質の部分への思弁性が存在しないことである。どういうことか。

 確かに、本作には「戦禍とTVショウ」的なデスゲームの本質が多分に含まれている。「電撃戦だ!」と叫びながらライバルレーサーのサポーターを轢き潰すナチスモチーフのレーサー。レーサーの犠牲者第一号となった男の妻に記念としてアカプルコのリゾートマンションを進呈するTV番組。いずれも競争と興行のグロテスクな側面を戯画化した場面だ。流石にカルト映画の大家が作り上げたというべきか、「危険の報酬」に勝るとも劣らないシニカルな態度である。

 しかしながら、そのシニカルな演出は主人公フランケンシュタインの行動にも施されている。彼はあくまでも、自分の正義のためならば暴力的な行為を辞さないのである。レースカーに轢いてもらおうと路上に車椅子の老人を並べて路肩に逃げる看護師たちを見れば、あえて道路を外れてその看護師たちを轢きに行く。跳ね飛ばされた看護師たちは、植え込み越しにポンポンと飛び上がって悲鳴を上げる。

 さらに結末を先取りしよう。大統領を殺害して新たに大統領となったフランケンシュタインは、デス・レースを廃止することを宣言し、「大統領の人気は暴力が作ったものでは?」と問いかけながら追いすがるレース中継番組の案内役を轢き殺し、映画はエンドロールへと突入する。


「この暴力の歴史だが、人類初の武器は紀元前200万年前に猿人の一群が発明。

この猿人は知能は高くなかったが、小さな斧を作り出し道具に使った。

この道具の使用は脳を発達させ、道具は武器となった。

今は考える動物として知られる人間が考え始める以前に、殺人は発明されていた」(句読点筆者補足)


 上記は映画ラストにナレーションが述べる内容である。人類学的な妥当性はさておくとして、この内容は殺人、というよりも、争いの普遍性をいささかシニカルに説明するものである。保守的な現状維持性が見られると言ってもいいだろう。

 「闘技場」は当事者同士の真剣な争いがゲームのように見える皮肉を、「危険の報酬」は大衆の熱狂とプレイヤーの悲劇の非対称を映し出し、読者に内省を迫る内容であった。それに対し「デス・レース2000年」はむしろ、戦禍とTVショウへの批評はあくまでポーズであり、何ら鑑賞者に内省を迫らない、シニカルな調子を保っているだけの作品のように見える。暴力を解決するのはまた別の暴力でしかないし、いくら下劣で俗悪で低俗でも面白いものは面白い。そのような態度が全編を通して見受けられるのである。

 とはいえ、筆者は本作を単に欠点のある作品としては見ず、むしろそのシニカルさを突き詰めた先に自己批評性を獲得した作品なのではないかと評価したい。なぜか。

 フランケンシュタインがラストで案内役を轢く直前、フランケンシュタインの妻となった革命軍の女性が「暴力的な映像がどれだけ人を不快にするか、世界は気づいたはずよ」と述べていることに注目しなければならない。

 暴力的な映像とは、「デス・レース2000年」そのものではないか。つまり本作は、戦禍とTVショウを切った後、返す刀で自分自身を切る作品なのである。本作は、戦禍とTVショウへの批評的な態度がポーズであることに自覚的であった。自覚的であったからこそ、自らを諧謔の対象として自己解体することができた。そのため、結果として本作は鑑賞者に何ら倫理的内省を要請する作品にはならなかったにしろ、徹頭徹尾シニカルな調子を充溢させた、カルト的娯楽作として後世の評価を確立させることになるのである。

 これは、現代のデスゲームものに非常に近い態度ではないだろうか。つまり、極端な思弁性や内省性は不要であり、純粋な娯楽として楽しむためのものとしてデスゲームを活用しているのである。ブラウンやシェクリィが知れば嘆くかもしれないが、この方向性が後のデスゲームの将来性を決めたと言っても過言ではないだろう。


 では、同年に発表されたもう一つの作品はどうだろう。

 「ローラーボール」は1975年6月(「デス・レース2000年」のわずか2か月後)に公開された、ノーマン・ジュイソン監督による映画作品である。

 管理社会と化した近未来。戦争や犯罪、貧困や飢餓問題もなくなり平和そのものとなった世界で、人々は負傷者が出ることも珍しくないスポーツ「ローラーボール」に熱狂していた。そんな中、ヒューストン・チームのエース選手であるジョナサン・Eは、彼が政治的権力を握ることを恐れたチーム運営母体の重役により刺客を送り込まれ、抹殺されそうになる。ジョナサンは刺客の猛攻を潜り抜けながら、東京チーム、ニューヨーク・チームと激戦を繰り広げることになる。

 あらかじめ言えば、本作の物語の展開には、デスゲーム史上何ら新奇なものはない。「危険の報酬」にあったような競争への虚しさが充満していることは興味深いが、それまでである。では、本作の特徴は何か。それは、ローラーボールというゲームそのものにある。

 作中で行われるゲーム、ローラーボールは、1チーム10人で行われる球技である。緩やかな漏斗状のフィールドを、鉄製のグローブをはめてローラーブレードを履いたプレイヤーが滑走し、定期的にフィールド内に射出される鋼球を自陣のマグネット・ゴールにシュートすれば得点となる。

 そして、厳密にはローラーボール自体はデスゲームではない。ローラーボールは暴力行為をファール扱いとしており、過激な内容ではあるが、決して負傷者が発生することを容認している訳ではない。この点において、現実世界にも存在する、選手の負傷の可能性があるゲーム、サッカーやプロレス、アメフトなどとローラーボールは何も変わらない。

 作中でローラーボールがデスゲームとなるのは、ヒューストン・チームの運営母体の思惑によってルールが改変され、暴力行為がファール扱いとなる規定がなくなる中盤以降である。つまり、ローラーボールは、中盤までは「未来に存在する普通のスポーツ」なのである。

 これについて、本作の日本公開時に発行された映画パンフレットに、作家の都築道夫が「未来ゲームのおもしろさ」という小論を寄せており、これが示唆に富む。

 都築は「闘技場」や「危険の報酬」などの既存作品に触れつつ、SF作品に登場する「未来ゲーム」には少なからず現実のゲームの要素が取り入れられており、全く新しいゲームが登場するということはないと述べる。この「未来ゲーム」という呼称は、一見デスゲームという概念と一致するように見えるが、そうでない。

 都築は未来ゲームの一例として、過去に自身が考え出した「形状記憶プラスチックによるピンポン」というアイデアを挙げている。ここに、人の生き死には関係がない。未来ゲームはSF的な架空のゲームを表わすものであり、人の生死とは独立した概念なのである。「ローラーボール」は、人の生死というよりも、そのルールの奇妙なひねり具合が未来的であることから、都築によって「未来ゲーム」というジャンルに分類されたということであろう。一方で「闘技場」や「危険の報酬」も未来ゲームに含まれていることから、未来ゲームは今日のデスゲームを内包する概念だと言える(どちらもSF作品として出発していることからも妥当性はある)。

 つまり、競技ローラーボールは、作中の展開の中で、「未来ゲームだがデスゲームではない競技」から「未来ゲームにしてデスゲームである競技」へと変貌していった、と見ることができるだろう。

 すると、映画「ローラーボール」が示しているのは、デスゲームもののもう一つの可能性ではなかっただろうか。すなわち、黎明期におけるデスゲームものは、都築の言う「未来ゲーム」ものというSFにおける一ジャンルの、さらに細分化されたサブジャンルとして発展する可能性を持っていたのである。

 しかしながら、現実にはそうはならなかった。今日デスゲームは単独でジャンルとして成立し、必ずしもSF的な作品でなくとも構わなくなった(後の章で述べる理由から、ジャンルとしてはむしろホラーに近くなっている)。そのような歴史的流れを踏まえると、「ローラーボール」は、デスゲームが未分化であった時代ゆえのジャンル分類の曖昧さを明らかにしてくれる一作だと言えよう。




 「デス・レース2000年」はシニカルな調子を徹底させて自己解体を実現させ、デスゲームものを純粋な娯楽作として成立させた怪作であり、「ローラーボール」はデスゲームものが未来ゲームもののサブジャンルとして発展する可能性を秘めていた時代のデスゲームものとして稀有な作品である。

 しかしながら、「ローラーボール」で見たように、未だデスゲームというジャンルは確立されていなかった。今日のデスゲームものの土台を作った作品は、一体何か。本章で扱う最後の作品として、「デスゲーム」というジャンルの確立に大いに貢献した文芸作品を見よう。


 リチャード・バックマン。それは作家スティーヴン・キングの別名義である。

 一度はくずかごに捨てた原稿を、妻のタビサ・キングのアドバイスに従い長編にまとめた『キャリー』(原題"Carrie")で1974年にデビューしたキングは、その後も『呪われた町』(原題"Salem’s Lot")、『シャイニング』(原題"The Shining")など多数のホラー小説を生み出した。やがて彼は、ネームバリューに頼らない自らの実力を測るため、1977年から新たな名義の別の作家として作品を出すということを試みたのであった(1年に1冊以上同じ作家が本を出すと人気が落ちるかもしれないという懸念もあった)。

 バックマン……もといキングが生み出した作品には、今日のデスゲームものに革命的な影響を与えた作品がある。1979年9月に発表された長編小説『死のロングウォーク』(原題"The Long Walk")だ。

 近未来の米国。14歳から16歳までの少年が100人集められ、時速4マイルの速さで歩き続けなければ射殺される「ロングウォーク」という競技が人気を集めていた。最後の1人になるまで生き残れば、どんな賞品でも受け取ることができるという。レイ・ギャラティもまた、試験をパスし、ロングウォークに参加することを志願した少年の一人であった。ギャラティはそれぞれの事情から参加を決めた少年たちとともに、長いロングウォークを耐えることになる。

 本作は、これまでのデスゲームものがそうだったように戦禍とTVショウへの視座を持っている。まず、アメリカの絶対的権力者として「少佐」という軍服姿の男が登場する。序論で述べたように、木澤佐登志などの評者は少佐が擬しているのは共産主義体制の抑圧、あるいは新自由主義の台頭による懲罰的な自己責任像ではないかと指摘もする。いずれにしても、その向こうにあるのは戦禍の予感である。

 余談であるが、この少佐こそ、デスゲームものに付き物な「デスゲームのマスコット」の元祖ではないかと筆者は指摘したい。これまでも中継番組の司会者などの形でデスゲームの象徴的存在は現れてはいたが、いまいちカリスマ性に欠けており、生身の人間感が拭えないのに対し、少佐は言葉少なであり、超然とした存在であることを感じさせるためである。

 話を戻そう。本作の各節にアメリカのエンタメ番組のエピグラフが挿入されていることからもTVショウへの諷刺は明らかだろう。ロングウォークは沿道にたたずむ人々の見世物にされており、途中で経由する街は横断幕などを張って少年たちを歓迎したりもする。ロングウォークはまさしく、異形の興行でもあるのだ。

 バックマンのデスゲーム作品にはほかに、TV番組として放送される国家公認のデスゲームを描いた長編小説『バトルランナー』(原題"The Running Man")も存在するが、こちらは特段の新奇性がある作品ではない。危険な番組を制作する放送局と、それに自発的に参加する人間という図式はむしろ「危険の報酬」と瓜二つである(視聴者が味方であるか敵であるかという違いはあるが)。

 では、『死のロングウォーク』の何が革新的であったのか。それは、ひとえにキング作品の特徴がそのまま当てはまるだろう。すなわち、長大なモダンホラーの作風と、ゲームのプレイヤー一人一人に焦点を当てた上で、彼らの生き様を丁寧に描き切る重厚な描写力である。

 幻想文学研究家にしてキング作品の研究家でもある風間賢二は、モダンホラーにおける長編のベストセラーメーカーは歴史上キングが初めてであったとしている。『死のロングウォーク』も同様に長編小説であり、「闘技場」や「危険の報酬」などそれまでのデスゲーム小説作品が短編であったことを鑑みれば、相応のインパクトを持っている。

 一方で、キングはロングウォークに参加する少年たち一人一人の生き様を丁寧に描き切ってもいる(流石に100人全員とはいかないが)。母性依存性の高い少年が母親恋しさにルートを外れて射殺される様、脚に不調をきたした少年が半死半生の状態で歩く様、急坂で次々に脱落していく少年たち、ゲームを開催する権力者「少佐」の私生児であり、彼への意趣返しのつもりで死力を尽くして歩き続ける少年。……ただ一人生き残った少年が幻視する、道の先で待つ少年たちの姿。


「黒い姿が招いている。雨の中でおいでおいでをしている。こっちへ来て歩けよ、こっちへ来てゲームをしよう、と彼を誘っている。」


 このような作風は、名義を変えるだけで簡単に隠せるものではない。実は、リチャード・バックマンを隠れ蓑としたキングの執筆活動は、早々とそのヴェールが取り払われていった。バックマン名義で5冊の書籍を出した時点で、既に熱心な読者やジャーナリストにはバックマン=キングであると感づかれていたし、遂には出版社に直接問い合わせる者も現れたため、キングはバックマンを"殺す"選択を迫られることになった。

 結果として、バックマンの正体が明らかになって以後、作品の売れ行きは以前にもまして伸び始めたという。皮肉なことではあるが、バックマンの生み出した作品は――そしてバックマンが生み出したデスゲームの形式は、キングの名前によって大きく広まったと結論付けて大きな間違いはないと思われる。

 しかし、それはキングの名前だけがデスゲームものの発展に重要だったということを意味しない。この後、『死のロングウォーク』におけるキングの長大で重厚な作風は、海を越えるほど大きなデスゲームの波をもたらすことになるのである。




 さて、ここまで見て来たデスゲーム作品の多くに共通するのは、舞台が「ディストピアもの」であるということである。さすがに超次元存在によるデスゲームである「闘技場」は除くが、「危険の報酬」「デス・レース2000年」「ローラーボール」「死のロングウォーク」は、いずれも近未来の管理社会や独裁社会を背景としている。これはなぜか。

 常識的に考えて、それはデスゲームというゲームが駆動することを可能にする環境を構築せねばならなかったからであろう。人が死ぬことを前提としたゲームなぞ、現実社会ではとても容認できない。だからこそ、非現実的なフィールドを構築して、その中に物語空間を隔離した上でデスゲームを開催しなければならない。米国産デスゲームは、そのフィールドとしてディストピアという異世界を選択したのである。

 したがって、最初期のデスゲームがシェクリィなどの作家によるSF的想像力から発生したことは、彼らが用意したデスゲームの舞台がディストピアであったことと無関係ではない。デスゲームのアイデアがディストピアを要請したのか、ディストピアのアイデアからデスゲームが派生したのか、卵が先か鶏が先かの関係にはなるが、いずれにしても、ほとんどの場合デスゲームは、ディストピアと共にSF的想像力で描かれるものだったのである。

 「ローラーボール」で触れたように、デスゲームものが「未来ゲーム」もののサブジャンルとして発展する可能性を秘めていたことを併せて考えると、デスゲームものは元々、未来ゲームものの中でも、ディストピアで開催される過激で野蛮なゲームを描いたものとして成立するはずではなかったか。――この方向性は、先述の通り改められていく。その理由を見るためには、まず日本にデスゲームが上陸した時代から振り返る必要がある。




 本章で述べたことをまとめよう。

 まず、最初期のデスゲームは、大戦期から冷戦期にかけて、ブラウンやシェクリィなどの米国のSF作家らが「戦禍とTVショウ」を戯画化したものとして制作した。それらの作品は極私的な思弁性を持つものであった。

 70年代中盤になると「デス・レース200年」という純粋な娯楽作として成立する作品が生まれるようにもなった。一方でデスゲームのジャンル区分は未だ曖昧であり、都築の言う「未来ゲーム」というSFジャンルのサブジャンルとして発展する可能性も秘めていた。

 そのような中で、キングがバックマン名義で1979年に発表した『死のロングウォーク』がデスゲームもののジャンル形成に大きく貢献した。本作はキングのブランド力を追い風として売上を伸ばし、デスゲームという概念を大きく広めていくことになる。

 ところで、この時点のデスゲームものはディストピアものとして描かれることが多いが、これはデスゲームを成立させる非現実な舞台としてディストピアが要請されたためである。


 次章では、日本にデスゲームがいかにして上陸したのか、日本デスゲームが誕生する際に発生した一つの事件と、日本デスゲームを培養する土壌となった文脈の話題を交えて見ていこう。




 東京都千代田区紀尾井町の「福田屋」。美食家で知られる北大路魯山人に薫陶を受けた福田マチが、魯山人の理想を実現させるために開いたという料亭。

 1998年3月20日。そこに三名の文壇人ら――荒俣宏、高橋克彦、林真理子――が集い、長編が四編に短編が六編、計一〇編の小説の是非について講評を行った。彼らが俎上に載せた作品の中には、キングの『死のロングウォーク』に影響を受けた長編作品もあった。著者名には高見広春とある。

 口火を切ったのは荒俣だった。「良く言えば甲乙付けがたく、悪く言えば、まさにドングリの背比べで、困惑しました」。

 日本デスゲーム史はこのようにして始まる。




【参考文献】

映画「デス・レース2000年」ポール・バーテル監督(1975)

映画「ローラーボール」ノーマン・ジュイソン監督(1975)

映画パンフレット「ローラーボール」東宝(1975)

スティーヴン・キング『バックマン・ブックス(1) バトルランナー』酒井昭伸訳,扶桑社(1989)

スティーヴン・キング『バックマン・ブックス(4) 死のロングウォーク』沼尻素子訳,扶桑社(1989)

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