第一章、日本デスゲーム前史――戦禍とTVショウ

1-1、戦禍とTVショウ

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—―マイク・テリー




 前提として、デスゲームの「真の起源」を探ることは不可能かつ無意味であることを共有事項としておきたい。古代ローマ時代に剣闘士なる職業が存在した頃から、人命が遊戯的な営みによって左右される想像力というものは存在したであろうし、その変奏は歴史上幾度も繰り返されてきただろう。その根源を探ることは困難を極めるし、また意義があるとも思えない。

 そのため、筆者が日本デスゲーム前史を代表する作品群として以下を取り上げるのは、今日のデスゲーム作品に本質が似ているものの中で比較的古い作品であるから、という妥協的理由によるところが大きい。以上のことを、あらかじめ了解されたい。


 今日のデスゲームもののはしりと目される作品は、アメリカのSF作家フレドリック・ブラウンによって1944年に著された短編小説「闘技場」(原題"Arena")である。

 舞台は地球人類が宇宙に進出した遠未来。地球艦隊所属のボブ・カースンは、敵対的存在である外星人アウトサイダーの動向を偵察する任務中に気を失ってしまう。目が覚めるとそこは、青いドームに頭上を覆われた、広い円状空間であった。そして唐突に頭の中に声が聞こえてくる。その声曰く、地球人類とアウトサイダーから代表として一名ずつ選ばれた者同士が戦い、負けた側の種族は一個体残らず死に絶え、勝った側の種族だけが生き残るという。カースンは円状空間の中で、知略と体力を駆使しながらアウトサイダーとの決闘に臨む——。


 本作が発表された1944年6月は、言わずもがな第二次世界大戦の只中である。インパール作戦末期の頃であり、またサイパンの戦いも6月15日から開始されている。さらに、掲載誌であるアスタウンディング誌の常連作家であったアシモフ、ハインライン、ディ・キャンプ、ロン・ハバードなどの作家がこぞって軍に参加し、掲載頻度を落としていた時期でもある。テーマも相まって、本作が「戦争」を意識して物された一作であることは差し当たり疑いがないと思われる。

 作者のブラウンは、SF作家の中でも科学的考証をさほど重視しない、いわゆるSFのF派を代表する作家の一人として今日評価されている。その作風として、ショートショートと称されるごく短い形式の作品を好んだこと、一作のプロットを一つのシンプルなアイデアで完結させるワン・アイデアを得意としたこと、個人の心理が宇宙の法則に接続するような宇宙観、そしてとびきりのユーモラスが挙げられる。

 戦争の渦中においても、たった一人の人間の戦闘が全種族の命運を決してしまう「闘技場」のような作品を書くことができたのは、ひとえに彼のひねった想像力と、個人対宇宙の関係性への透徹した視線ゆえではないだろうか。


 本作には、今日のデスゲームものと共通する特徴が二点見られる。それは、①プレイヤーが強制的にゲームに参加させられたこと、②プレイヤーがゲームのルールに乗ったことである。

 ①について、カースンは偵察任務中に体を別次元の闘技場に転送され、否応なしにアウトサイダーとの決闘に臨むことになる。

 ②について、カースンはゲームのルールを知った後、まず最初にアウトサイダーへ和平を呼びかけている。しかし、地球人類への憎悪を募らせているアウトサイダーは憎しみの念波を発し、カースンを威嚇する。カースンはこの威嚇を受け、ゲームのルールに則って決闘を行うことを覚悟するのである。

 以上のように、「闘技場」は今日のデスゲームものに少なからず類似する、言うなれば①「不条理性」と②「ゲームで駆動するストーリー」という特徴を持つ。

 しかしながら、今日のデスゲームものとは明確に反する、とある重大な特徴も見られる。それは、「作中の決闘が『ゲーム』とは見なされてはいない」ことである。

 そもそもこの決闘の舞台を仕立てたのは、地球人類やアウトサイダーよりも高次の次元に到達した知的生命体である。彼らは戦禍による無用な暴力で多くの悲劇が発生することを阻止するという名目で、両種族の代表者の決闘により戦争の勝敗を決しようと考えたのである。彼らにとってこれはゲームではなく、悲劇の総量を軽減させるための措置でしかない。

 また、当事者であるカースン自身も、決闘をゲームとは見なしていない。彼が作中で「ゲーム」という単語を使うのは、アウトサイダーと距離をとりながら石を投げて牽制する局面を指して「石投げ遊び」と称する一場面のみであり、決闘それ自体を遊びやゲームの類と見なすことはない。彼は作品を通して、死力を尽くしてアウトサイダーとの殺し合いを演じきったのである。

 当事者の誰もが、決闘を遊びとは捉えていなかった。おそらく、この決闘を遊びと捉えられるのは、ただ作者であるブラウンと、私たち読者だけであろう。

 先にも述べたように、「闘技場」は戦争を意識して物された、ブラウン流のユーモラスある小説であった。むき出しの暴力の積み重ねであるはずの戦争が、単純化と抽象化の末に遊びのように見えてしまう。「闘技場」におけるユーモラスとはそのようなものであり、そこに最初期のデスゲームの本質を垣間見ることができる。デスゲームは、戦争、いやさ全ての争いを極限まで戯画化したものとしての側面を持っていたのである。


 「闘技場」は、戦争の戯画としてのデスゲームの姿を私たちに伝えてくれた。しかし、先述の通り作中では決闘は「ゲーム」と認識されておらず、あくまで強制された不条理なものとして扱われていた。

 しかし、現代のデスゲームものを知る私たちにとって、それはデスゲームものの一面でしかない。プレイヤーが自発的にゲームに参加して、命を張る……そのような作品が生み出されるには、大戦が終結した一方で冷戦の構造が固定化し、ビートニクを代表とする若者文化が台頭した、1950年代を待たなければならない。


 プレイヤーが自発的に命を懸けたゲームに参加する作品。その代表格は、1958年に発表された、ロバート・シェクリィによる短編小説「危険の報酬」(原題"The Prize of Peril")であろう。

 近未来。米国議会が志願制自殺法を可決させて以来、TV局は参加者が命を賭してゲームに挑む様を映す番組、通称「スリル番組」を盛んに放映するようになっていた。もちろん番組に出演するのは自由意思。ジム・レイダーもまた、そのような番組に望んで出演する男であった。彼は自動車レース〈転倒〉、ソリッドシチュエーションスリラー〈緊急事態〉などの番組を次々にクリアし、そして遂に大人気番組〈危険の報酬〉に出演する。その番組は、「善きサマリア人」と称される視聴者たちの助けを得て、腕の立つギャングたちから一週間逃げ延びるという内容であった——。


 実は、シェクリィは本作より5年前の1953年に、「七番目の犠牲」(原題"Seventh Victim")と題された短編小説を発表している。それもまた、殺人が部分的に合法化された世界で行われる、参加者間の自由意思に基づいたマンハント・ゲームを描いた作品であった。「七番目の犠牲」もまた、今日のデスゲームものに近い作品だと言えるだろう。

 しかしながら、「危険の報酬」には「七番目の犠牲」に存在しない、とある要素が付け加えられている。その要素は、「興行」である。

 「七番目の犠牲」は政府公認で行われるマン・ハントではあるが、TV局がその模様を大衆に放送したりはしない。

 また、先に紹介した「闘技場」では、超次元存在もカースンも決闘をゲームとは認識しておらず、決闘をゲームとして認識できるのはただ作者であるブラウンと読者のみであると述べた。一方で「危険の報酬」は、作中のゲームをTV番組として扱うことで、「鑑賞者の視点」を作品に内部化したのである。

 ここで、作者であるシェクリィについての情報を確認しておこう。

 シェクリィは50年代SF史に名を残したSF作家である。ブラウンと同じく、科学的考証よりもフィクション性に重きを置き、特に諷刺的な作風を得意とした。彼の諷刺の矛先となったのは、主に大戦後のアメリカ社会……物質的享楽主義、オートメーション化、青少年犯罪に冷戦、そして広告主義社会にTV文化であった。彼の独特のユーモラスは、往年の筒井康隆が「和製シェクリィ」と称されていたことからもうかがえよう。

 シェクリィがSF史、さらに限定して日本SF史にいかな足跡を残したのかは、既に多くの評論文が書かれているため、ここでは深掘りしない。本稿で主張したいことは、大戦後に発生した大衆的消費社会に対するシェクリィの諷刺的精神こそが、興行的要素を持つ国家公認のデスゲームとして結実したのではないかということである。


 レイダーの結末について触れよう。彼は一週間にわたる逃亡劇のラストスパートにおいて、今まで救いの手を差し伸べてくれていたはずの視聴者らに裏切られ、ギャングたちに居場所をばらされてしまう。


「社会が輪縄をない、おれの首にかけた。そしておれはその輪縄で首を吊り、それを自由意思と呼んでいる」

「おれは騙されたんだ、と彼は思った。あの感じのいい平凡でふつうの人々に。自分たちの代表がおれだといわなかったか? 自分たちの代表を守ると誓わなかったか? とんでもない。あいつらはおれを嫌っているんだ」


 レイダーはギャングに銃殺される寸前に墓穴に落ち、そこで逃亡劇のタイムリミットを迎え、ゲームに勝利した。しかし、墓穴から運び出される彼は虚脱したようになり、番組司会者からの呼び声に応えることはもはやなかった。

 ブラウン管の此岸と彼岸の圧倒的な非対称。しかしその非対称性に無自覚なまま、自ら命を差し出してしまう。争いに加えたデスゲームのもう一面、すなわち異形の興行の要素が、「危険の報酬」には描かれていたのである。


(……しかし、視聴者とレイダーの間にあった非対称は、「闘技場」にも見られる現象ではなかったか。カースンは遊戯を演じているつもりではなかったが、読者はあくまで楽しんで小説を読まなかったか)




 戦禍とTVショウ。前史において、デスゲームはこの二つのものに喩えられる特性を両輪として駆動していた——すなわち、争いと興行。そしてそれらが生み出されたのは、片や戦乱の時代を眺め、片や大衆的消費社会の時代を眺めた、ひねった調子のユーモラスを持つSF作家たちの手腕によるものであった。

 しかし、デスゲームの生み出す感興が日本に押し寄せるまでには、もう何段かステップを踏まねばならない。次節では、映画という媒体に憑りついたデスゲームと、現代アメリカ文壇における娯楽作家の筆頭格となった男の仕事を眺めていこう。


 1970年代。ある小説家志望の男は、3ページまで書き上げた原稿をくずかごに捨てた。それを拾い上げ、作品として完成させるように励ましたのは、彼の妻であるタビサであった。後にその作品は彼のデビュー作として出版される。

 やがて商業的に成功を収め、名が広く知れ渡った彼は、はたして自分の作品が評価されているのは、自分の名前の故か、実力故なのか、自信が持てなくなっていく。そこで彼は、新たな名義を用いて、全くの別の作家として作品を書いてみることにした。

 その作家は、リチャード・バックマンと名付けられた。




【参考文献】

ロバート・シェクリィ『人間の手がまだ触れない』稲葉明雄・他訳,早川書房(2007)

『SFマガジン700【海外篇】』山岸真=編,早川書房(2014)

『フレドリック・ブラウンSF短編全集2 すべての善きベムが』安原和見訳,東京創元社(2020)

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