色覚異常の哲学への応援コメント
何でもかんでも「差別だー」では良くないですよね。
言い方はあれですが「ああ、そうなんだ」くらいの認識でいいと、私は思います。
色の見分けがつかない方は、スーパーや八百屋さんが苦手と聞いた事があります。
丸い物が多くて、どれがどれだかわからない、と。
マサムネ様はマサムネ様の世界が広がっているんですね。
作者からの返信
その通りだと思います。
「ああ、そうなんだ」
で良いんです。
差があるよ。ということだけわかればいいんです。
となると、自分と他人とは何かしら差があるものなのだから、障害があるとかないとか関係なくなるのでしょう。
変に意識して腫れ物に触るような対応をしてもいけないですが、逆にそりゃ少なからず意識されてしまうのも仕方の無いことでしょう。
障害があろうがなろうが、人間同士合う合わないはありますしね。個人レベルでは、そんなもんで良い気がします。
色覚異常の哲学への応援コメント
私の先輩も、困るといっていました。
技術系の為、色数の多い配線は見分けが付かないらしいです。
X染色体に起因するそうで、男だと、二十人に一人くらいはいるそうで、今になって、色のバリアフリーを言われ出していますが、二十年くらい前には君の作るWEBページは配色が悪いと言われましたね。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
伴性遺伝というやつで、わたしのX染色体には色覚異常の遺伝子が乗っていることになります。
そうなると、わたしの子供が女の子の場合、100%色覚異常の遺伝子を持っていることになります。その女の子が色覚異常かどうかは、奥さんのX染色体次第です。
ただ、その女の子が色覚異常じゃなくても、さらにその子の子供が男の子だった場合、50%の確率で色覚異常の可能性があります。相手の男性からY染色体が来るので、単純に女の子のX染色体次第なわけです。
わたしの子供は男の子だけですが、女の子だった場合、色覚異常についてしっかりと教えなければいけないと思っていました。
ほんと、案外と困ること多いんですよ。色の種類が多くなればなるほど区別がつかない。二色であれば、それぞれが違うことはわかりますけど、複数ある色から、何色かを選ぶのは大変です。
仕事でなければ、話のネタくらいに思ってますけどね。「こんなとき困るんだよお」とか、「この色はよくわかんないんだよ」とか、結構盛り上がりますw
でも、お仕事だと、そうはいかないですね。
色覚異常の哲学への応援コメント
いいお話、ありがとうございます。
マサムネ様がご自身の経験を通じて得られた「自分の見えている世界が正しいとは限らない」という言葉、非常に意味深い言葉だと思います。
いろいろなところでよく読まれている「般若心経」も、説かれているテーマは同じです。
「自分の見えている世界が正しいとは限らない」と考えている人は、自分の価値観で他人を切り捨てたりすることはないだろうと思います。歴史上日本にも「僧兵」はいましたが、現代の世界で見る限り、絶対神を崇める、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の原理主義者が激しく衝突している一方で、「仏教原理主義」が他宗教を蹂躙しないのは、「仏教」に内在する「自分の見えている世界が常に正しいとは限らない」という思想によるものか、とみています。
私自身も少年のころ、「自分の見えている世界と、他人の見えている世界、同じものを見ているが、本当に同じように見えているだろうか?」という疑問を抱いたことがあります。私自身もマサムネ様と同じような考えに至りました。のちに、般若心経のテーマ、説かれている内容も、マサムネ様が書かれた内容に近いことを学びました。
内部障碍者のつらいところは、外見からはその障害が見えないので、本人の困りごとが分からず、無意識のうちに、いわゆる「健常者」と呼ばれる人と同様のことを要求されてしまうことだと思います。
長文でまとまりのない文章となり、申し訳ありません。とても良いものを読ませていただいたと感謝しております。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
宗教は本来、どう生きるべきか、考えるべきかを伝える『教え』であるはずで、宗教を理由にした戦争は、結局それを理由に誰かか何かを手に入れようとしてるのだろうなあと思います。
歴史的に迫害や虐殺、現実には貧困なんかもあって、単純ではないのでしょうけど。
仏教について、わたしも興味があります。誰が言っていたのですが、キリストは若くして亡くなっているので、キリストの教えは『青春』であると。確かにブッダは長く生きていて、仏教はいろいろな経験に裏付けられた教えなのかもしれないですね。
あまりの現実のつらさに、死後や来世に幸せを強く求めたり、あるいは権力やお金との結びつきが強くなってしまうと、宗教は歪んでしまうのでしょう。
宗教の教えはあくまで、今を生きるための『教え』なはずです。
そう考えると、ある意味、『転生モノ』が流行る今こそ、本来の宗教を学ぶのに良い機会のかもしれませんね。
良い交流をありがとうございました。