episode B ……慎司

第53話 拗らせた片想い、何故また俺の前に現れた⁉︎

 眩しい真っ赤な洛陽が教室の壁を橙に染めた。

 グランドには野球部が声を張りながら部活に励んでいるというのに俺達は、何をしているんだろう?


 机に押し倒され、背中や後頭部が痛い。

 だけどそんなことよりも、至近距離の彼女の整った顔が美しくて、つい見惚れてしまっていた。


 頬を掠める髪、伝わる体温。荒い息遣い。

 特に慌ただしく脈打つ心臓の音が伝わりそうで、一層焦りが生じてしまう。


慎司しんじくん、私はあなたのことが好きなの。分かるかな、ほら。こんなに心臓がバクバクしてるの」


 彼女は衣服を剥ぎ取り上半身下着姿のまま跨って、そのまま胸元に手を押し当ててきた。


 谷間に沈む俺の手……!

 両側に伝わる柔らかくて汗ばんだ感触に、思わず固唾を飲み込んだ。


「大好き、慎司くん。あなたに私の初めてを上げるから、あなたの心を私に頂戴? 私以外の女の人を好きになったら、あなたの首筋を噛み切ってあげるから」


 そう言って彼女の身体が俺に重なって、そのまま首筋を甘噛みしてきた。舌が肌を這う。そして前歯が、犬歯が、肌に食い込み痛みを生んだ。


「うわ……っ! ま、待って!」

「だめ、待たない。慎司くんが私に誓ってくれるなら放してあげるけど」


 まるで女王様と犬のような従順な構図に思春期の俺が贖えるわけもなく、俺は彼女とギリギリの行為を繰り返した。

 差し詰め背徳な放課後とでも言ったところだろうか。


 だが、そんな甘美で艶やかな日々も長くは続かなかった。


 彼女は突然、俺の前から姿を消した。

 何も言わずに留学の為に海外へと言ってしまったのだ。


 結局俺は誓うこともなく、そして一線を越えることもなく、背徳な関係に終止符を打ってしまった。


 青春の一ページに落とされた朱赤の墨汁のような記憶、踊る踊る、踊らされて歪まされた、俺の忘れられない誰にも言えない鬼灯ほおずき 真魚まなとの記憶だ。


 ———……★


「慎司さんって、モテないわけじゃないですよね? 何で彼女を作らないんですか?」

「ん、何だたかし。それなら逆に問おう。彼女っていうものは欲しいと願えば簡単にできるものなのか? 違うだろう? 願ってもできない、それが彼女! そんな簡単に出来たら世の中の人間はこんなに苦しんだりしねぇんだよ!」


 自分に可愛い彼女が出来たからって、こいつ調子に乗っているだろう? 何もないところで転んで赤っ恥をかいてしまえばいいのに。


 それに俺だって努力をしていないわけではないのだ。ちゃんと婚活サイトに登録して出会いを求めたり、合コンや友達の紹介を受けたりしているのだ。

 そもそも俺の心配をしてくるのなら、もう一度羽織ちゃんを紹介してくれたらいいのに。


「所詮、崇は千華ちゃんのことしか考えていない薄情者なんだよ。もっと俺のために色々してくれてもいいのになァ?」

「——慎司さんが永吉並みにウザい奴になっている」

「なっ……!」


 やめろ、あんな奴と一緒にするんじゃねぇ!

 冗談でも言っていいことと悪いことがあるぞ、崇!


「けど慎司さんって、口で言うほど恋愛に固執していないですよね? 紳士だけど去るもの追わずって言うか、案外呆気ないと言うか」


 そうなのか?


「語弊を生むかもしれないけれど、本当に好きだったのか疑ってしまうっていうか。いや、慎司さんって見た目ほど軽薄な人間じゃないってことは分かっているんですけどね?」

「ちゃっかり本音が溢れてるじゃねぇか、崇さんよォ!」


 ——と、言いつつ、内心はギクリと怯えていたり。否定は仕切れなかった。


 いや、その時その時は本気で好きになっているのだけれども、高校時代の真魚との記憶が歯止めになってしまっているのだ。


 あんなに親密な関係になっても、別れは呆気なくて。苦い思い出となって苦しめ続けている。


 もちろん被害者だとは思っていない。

 踏ん切りがつかなかった俺が生んだ結果だと自負している。


 だからこそ恐いのだろう。

 もうあんな思いはしたくないと勝手に自衛しているのかもしれない。


「しっかし、そろそろ次に行ってもいいんじゃないかなぁ、俺も」


 最近婚活サイトで知り合った女の子、定子さだこちゃん。

 

 やり取りも良好だし、そろそろ俺にも春が来たんじゃないかと思っているのだが、現実はどうだろう?


 そしてデート当日。俺は初めて会う彼女の為に映画を予約して出向いたのだが、待ち合わせの時間になっても一向に姿を見せてくれなかった。


 連絡しても既読スルー? これはドタキャンか? 俺の見た目が気に食わなかったとしても、一言お断り入れて欲しいのだが?


「はぁ……また振られたのか」


 分かりやすく肩を落としてしょげていると、少し離れたところから近づいてくる女性が一人。誰だ?


「ふふふっ、慎司くんだよね?」


 古びてカビ臭くなった青春時代の思い出が鮮明に蘇る。この鼻にかかったような甘ったるい声で俺を呼ぶのは、一人しかいない。


 全身の鳥肌が立った。

 嘘だろう?


 だって、こんなところにがいるわけがない。


 白い膝丈のワンピースを着た漆黒のストレートの髪の女性。真っ赤なアイシャドウがとても似合っていて、思わず跪きたくなる衝動に駆られてしまう。


「ま、真魚……? 真魚なのか?」

「違うよ、定子だよ。今、慎司くんとラブラブな連絡を取り合っている絶賛婚活中の女の子、定子ちゃんだよ?」


 ゾワゾワした。胃液が逆流して口内が酸っぱい。目の前がグラグラして、地面が近く感じてしまう。


 まるでこの世界が真魚と俺の二人きりになってしまったかのような、永遠とも思える時間が漂っていた。


 ———……★


「やっと会えたね、慎司くん♡」

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