第32話 千華の存在理由【胸糞あり】
私から大好きだった春樹を寝取ることに成功した赤江。
そんな彼女が私の前に姿を見せた理由が分からず、ただただ困惑していた。
しかし、その心中を彼女に悟られてはいけない。毅然とした態度で対応して、綺麗さっぱり縁を切らないといけないのだ。
「申し訳ないけど、今から仕事なんです。用なら仕事が終わってからにしてもらえますか? もっとも終わるのは六時間後だけど」
「そうですの? それなら仕事終わりに参りますわ」
え、来るの⁉︎
そんな面倒なことをしてまで用があるの?
大体、こんな言い回しをされたら、普通は遠慮するものじゃないのだろうか?
そもそも私の立場も考えて欲しい。
私は
あまりの惨めさに復讐を計画されてもおかしくないというのに?
「——赤江さん、ごめんなさい。申し訳ないけど私はあなた達に関わりたくないから、もう来ないでほしいです」
見栄を張っている場合じゃないと、素直に心中を伝えたのだが、赤江は私の都合なんて関係ないと無視して帰路を歩み続けた。
「六時間後、また参りますわ」
鈍器でフルスイングされたような衝撃が襲いかかる。こっちが下手に出たというのに、何様だろう。
せっかく崇さんにもらった英気が一瞬でなくなってしまった。これもあれも全部、赤江のせいだ!
私は頬をぷくぅーっと膨らませて、思いっきり地団駄を踏んだ。
「東さん、大丈夫ですか? もしかしてクレーマーですか?」
「クレーマーよりももっと質が悪い人です! くぅーっ、彼氏を寝取られた場合も訴えられたらいいのに!」
春樹はのしを付けて「返品不可なので」と丁重にお渡しするけれど、慰謝料くらいはもらいたい。できることなら赤江達が困る程度の金額は。
「………とりえあず、万が一に備えて崇さんと羽織ちゃんにだけは連絡しておこうかな」
二人とも仕事なので直ぐには対応してもらえないかもしれないけれど、何かあった後じゃ遅いと、昼休みに一報を入れておいた。
———……★
そして六時間後。
もしかしたら口だけなのでは——と期待もしたが、呆気なく裏切られてしまった。
出入り口に張り続ける赤江。
絶対に会いたくない。良いことなんてあり得ない。今回だけお客様出入り口から出してもらえないだろうか?
そして崇さんも羽織も仕事で身動きが取れないと連絡が入った。万事休す。
「遅かったじゃないですか、千華さん」
「——言ったじゃないですか、私はもうあなた達と縁を切りたいって」
「それはあなたの都合じゃないですか。私にはあなたが必要なんですから」
あれだけ酷いことをしておきながら、よく言うよ……。呆れつつ赤江についていくと、近くのレトロ調の年季の入った喫茶店へと入っていった。
一番奥の退路の少ない席に、赤江は「どうぞ」と座るように勧めてきた。こんなの嫌な予感しかしない。
でも私には選択権はなかった。
そう、赤江は蛇よりも執拗で陰険な性格だった。見た目は派手でスタイルもいい。春樹じゃなくても目移りをする男性好みのグラビアタイプの美人。
(一番怖いのは家を特定されて押しかけられること。春樹のことは全然許せるけど、崇さんに手を出してきたら許せる気がしない。崇さんが赤江に見惚れる様子も見たくない……)
崇さんのことを疑っているわけじゃないけれど、赤江はそういう人だから。持っている武器は全力で駆使して完膚無きまで滅するタイプだ。
「単刀直入でお願いしますわ。千華さん、あなた春樹さんとヨリを戻してもらえませんか?」
「————え?」
いやいやいやいやいや、この人、人の元カレを寝取っておいて何を言っているの?
頭が可笑しい、馬鹿なんじゃないだろうか⁉︎
「嫌です、絶対に無理です! 聞いてた? 私はあなた達と縁を切りたいの! 金輪際会いたくないの!」
「そんなの困るわ。だって私は千華さんとお付き合いしていた時の春樹さんがいいの。私だって困っているのよ……。まさか春樹さんがあんな本性を隠していたなんて」
赤江の言葉にハッとした。
春樹、とうとう私以外の人間にも本性を見せたんだ。思い出したくもない過去が脳裏を過り、指先がガタガタと震える。
ううん、それより赤江だ。
なんであの本性を知ってもなお、春樹に執着できるの?
「だって、二番目なら甘いところだけを摂取できるじゃないですか。あの暴力性さえなければ春樹さんは理想的な男性なんです♡」
「本当に好きなら、短所も丸ごと愛してあげれば?」
「他の人間に押し付けて解決できるなら十分じゃないですか? あなただって長くお付き合いしていたじゃないですか? 結局は春樹さんに心酔していたんじゃなくて?」
あまりにも都合のいい解釈に、思わずカッとなった。机の上のグラスを握り締め、水をぶっかけようとしたその時だった。
咄嗟に出てきた人影が、私の腕を掴んで仲裁してきた。
「間一髪……! 千華ちゃん、ダメだよ。こんな分かりやすい挑発に乗ったら相手の思惑通りだって」
懐かしい声に安堵を覚えた。何でこの人がここにいるのか不思議だったが、今は感謝しかない。
「アンタ、千華ちゃんの知り合い? 随分と一方的に勝手なことを言ってくれたみたいだけどさー。事情を知らない俺ですら腹たって仕方ないから、消えてくれない?」
「あ、アンタ、誰よ!」
「えー、俺? 俺はかわい子ちゃんの味方で、千華ちゃんのお友達。これ以上俺の友達をいじめるなら容赦しないけど?」
あの頃の、対抗したくてもできなかった昔とは全然違う。心強い味方の援護に私は目頭が熱くなった。
「ごめんね、千華ちゃん。登場遅くなって。もう俺がそばにいるから安心してよ」
いつもの軽い口調が安心する。
私は彼の服の裾を掴んで、大きく頷いた。
「ありがとうございます、慎司さん」
無条件に手を貸してくれる存在に感謝した。
私はもう、あの頃の私じゃない。
———……★
「………でも、何で慎司さんがここにいるんですか? もしかしてストーカー……?」
「ち、違う! 俺は崇に頼まれてきたんだよ! 合法、合法!」
「(合法は使い方が違う……。やっぱり慎司さんは慎司さんだ)」
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