第30話 夢、だけどそれは過去のトラウマ
千華視点……★
昔のことを思い出すと、無性に涙が出てきそうになる。
あの頃の私は幸せを知らなくて、自分には春樹しかいないと思っていて。
だけど春樹は私のことを縛るくせに好き勝手していて、嫉妬しながらも自由がなくて——多分、当たり前の感情が壊れていたと思う。
私は自分の幸せを選ぶことができない出来損ないだったと、今なら昔の自分を憐れむことができる。
———……★
その日、私は懐かしい夢を見ていた。
高校の時に通っていた校舎裏は、滅多に人が通らなくて薄暗かったことを覚えている。
前髪を厚めにして顔を隠すように登校していたのだけれども、気付く人には気付かれて見た目に惹かれて近付いてきた男に絡まれることも少なくなかった。
「千華ちゃんって可愛いよね。良かったら俺と付き合わねェ?」
素行が悪く授業をサボり勝ちで派手好きな根岸先輩。女癖が悪いと噂を聞いたことがあったけど、よりによってこんなタチの悪いのに目をつけられるなんてツイていないと運のなさを嘆いた。
「スミマセン、私は先輩と付き合うことはできません」
「えぇー、何でェ? 俺、ちゃんと大事にするよ? こう見えて
それなら今すぐ肩に回した手を放して欲しい。本当の紳士なら適度な距離感を取って、女性が不快にならないように慎んだ行動をして欲しいものだ。
ニタニタと下品な笑みを浮かべて、気持ちが悪いったらありゃしない。
「千華ちゃんの友達の赤江ちゃんから色々聞いたよ? ずっと俺のことが好きだったんだろう? 言ってくれたら良かったのに」
あぁ、やっぱり赤江絡みの案件だったかと大きな溜息を吐き捨てた。
赤江は春樹の取り巻きで、何かと私に嫌がらせをしてくる派手な女の子。
私をビッチに仕上げて別れさせようとしているみたいだけど、春樹が全く別れる兆しを見せないから手を焼いているらしい。
赤江絡みならこれ以上言っても無意味だと判断した私は「ごめんなさい」と頭を下げてその場を去ろうとした。
だが、諦めの悪い根岸先輩に腕を掴まれて、無理やり背後から抱き締められた。
「別に彼女にならなくてもいいんだって。一回、楽しませてくれればそれでいいんだよ」
微動だにしない腕、逃げられない状況。
血の気が引いて、頭の中が真っ白になった。
嫌だ、嫌だ、怖い……!
着衣の上から胸元を弄って、不快感が全身を駆け回る。けど、ここまでされたのなら正当防衛になるだろう。
私は思いっきり顎を引いて、先輩の顔面に後頭部を叩きつけた。情けない呻き声が溢れる。よし、今のうちに——!
緩んだ腕からスルリと抜け出し、そのまま股間に向かって蹴りをお見舞いしてやった。
「——うぐぅッ!」
情けない声と共に蹲る先輩を他所に、急いで校舎に向かって逃げ込んだ。ここまで来たら大丈夫だろう。
私は息を切らしながら教室に駆け込み、親友の羽織の姿を探して助けを求めた。
「あれ、千華? どうした、何かあった?」
汗だくで呼吸を整える私に向かって、羽織は心配そうに駆け寄ってくれた。額をハンカチで拭って守るように包んで、落ち着かせようと背中を摩り続けてくれていた。
「——ありがとう、羽織。私、また赤江にハメられた」
「赤江……⁉︎ あいつ、まだ春樹のことを諦めていないんだ!」
彼女は怒りで顔を歪ませて春樹達のクラスへと怒鳴り込んでくれたのだが、肝心の春樹は赤江達と楽しそうに談笑していた。
彼女が恐い目に遭っていたというのに呑気なものだ。
「あれ、千華、羽織。そんな恐い顔してどうしたん?」
「どうしたじゃないよ……! 春樹、アンタさぁ! その女のせいで千華が変な男に絡まれて危ない目に遭ってんのに、なんで平気な面してんのよ! 頭おかしいんじゃない⁉︎」
怒り心頭に発する羽織に、春樹も怖気ながらたじろいでいたが、その様子を嘲笑するように前に出たのが赤江だった。
「何をおっしゃるんですか、羽織さん。私がいつ千華さんに嫌がらせをしたっていうんですか?」
高笑いの効果音をバックに備えながら、私たちを見下して言い切った。
「いつって、今さっき! おかげで千華は根岸先輩に襲われそうになったんだからね!」
「まぁ、随分な言いがかりですわ? 私はちょっと『千華さんが先輩のことを素敵っておっしゃってましたよ』とお伝えしただけですわ」
そんなこと言っていない!
その後も羽織と赤江は暴言を吐きながら水掛論を続けていたけれど、肝心の春樹は乾いた笑みを浮かべて傍観していた。
まるで他人事のように……いや、面倒ごとには関わりたくないというスタンスで。
「ねぇ、春樹! アンタからも言ってやってよ! 千華がこんな目に遭ってんのに悔しくないの?」
「えぇー、俺が何か言ったところでどうしようもないって。それに赤江のせいって決まったわけじゃないんだろう?」
「そうよ、春樹くんの言うとおり。私のせいじゃなくて、千華さんに隙があるのがいけないんじゃないんですか?」
自分に飛び火がかからないように私のことを見捨てて赤江を擁護して……結局、何も解決しないまま教室へと戻ることとなった。
分かりきっていたことだけど、やっぱり言葉にされるとキツいものがある。
自分にとって不利なことはしない。そう、春樹はそういう奴だから。
だけど彼の本当に恐ろしいところは八方美人じゃない。見捨てられるだけなら、どれだけマシだったか。
学校が終わって家に帰ると、家の前に春樹が待ち伏せるように立っていた。
またかっていう気持ちと嬉しい気持ちが混ざり合って、自分の感情がコントロールできなくなる。春樹から目を逸らして俯きながら立ち止まっていると、彼が私の手を取ってそのまま包み込むように抱き締めてきた。
「千華、ごめん。あの時は心無いことを言って。本当はきちんと赤江に言ってやりたかったんだけど、俺が口を出したら余計に悪化るすんじゃないかと心配したんだ」
まるで身体を痺れさせる毒のように、私の身体を縛りつける。
「俺は千華のことが大好きなんだよ? 千華も同じ気持ちだよな? 千華が俺のことを愛してるって分かっているから、つい甘えてしまって。ごめんね千華、大好き。愛してるよ」
多分、当時の私は「私もだよ」と、同調するように抱きしめ返していた気がする。
でも今は、春樹の嘘も理解しているし、本当の愛を与えてもらっているから。
こんな嘘に流されない。
ギュッと強く目を閉じて重たい瞼をゆっくり開けると——……そこには無防備な寝顔を晒した
「良かった……夢だったんだ」
春樹のように口だけじゃなくて、私のピンチを身体を張って守ってくれる大事な人。ちゃんと私だけを一途に愛してくれる優しい人。
「崇さん……大好き」
私は彼の頬に触れるようなキスをして、指先を絡ませて眠りについた。
願わくば、今度は悪夢を見ませんように……。
———……★
「過去の私。大丈夫、未来の私はちゃんと幸せになるから頑張ってね」
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