第19話 俺はまだ、彼の存在を知らない

 その日は珍しく朝のアラームよりも先に目が覚めてしまい、出勤までの時間を持て余していた。

 隣で静かに寝息を立てている千華さんを起こしても悪いと思い、散歩がてらに近くのパン屋に向かうことにしたのだ。


 うっすらと霧が残る朝未だき。でもこの時間は嫌いじゃなかった。

 誰もいない街路を浮かれ気味に歩くのもまた一興だった。


 とはいえ、普段ならまだ暖かな毛布に包まれ、夢心地の頃。少し気を抜いてしまうと欠伸が溢れて仕方なかった。


「あー……しかし平和だな。少し前まであんなに騒がしかったのが嘘みたいだ」


 雪世が警察に厄介になってから、嘘みたいに平和な日常が戻ってきた。このまま大人しく結婚式を迎えてくれたらいいのだが——……。


 街中のお気に入りのパン屋までは徒歩で二十分ほどの距離にあった。店に着いた頃には少しずつ人も増えてきて、いつもの街並みに戻ったように感じていた。


 こんな時間に来ることは珍しいのだが、品揃えは大丈夫だろうか?

 せっかく来たのだから、千華さんの好きなクロワッサンは買っていきたいのだが。


 スマホで時間を見てみると、時刻は六時四十分を過ぎたくらいだった。店の前には既に数名の客が並んでいる。やはり人気のお店なのだと自分のことのように嬉しくなった。


 俺は最後尾に並んで、音楽を聴きながら時間を潰すことにした。


「あ……千華さんも起きる時間だな。パン屋に来てるって連絡しておくか」


 そしてそのまま煉瓦レンガ造りの壁に背中を預けて、開店までの時間を潰すことにした。



「男の人でパン屋って珍しいですね。好きなんですか、ここ?」


 イヤホンをしながら音楽を聴いていた為、最初は自分に話かているとは思わず、無言で過ごしてしまった。

 だが、いつまでも失くならない視線で、自分に向けて発せられた言葉だったことに気付いた。


「え、俺ッスか?」

「あー、音楽聴いていたんですね。すいません、邪魔しちゃったみたいで」


 その人は俺の後尾に並んでいた人で、アッシュブラウンに染められた髪が特徴的な、ツリ目の男性だった。

 年は俺よりも少し若い、二十歳前後と言ったところだろうか。


「いやー、来たはいいけど財布しか持ってなくて、時間持て余しちゃったんで、つい話しかけてしまいました」

「あー……。いや、別に構わないですよ。この店、よく来るんですか?」


 真っ白な無地のフードに黒のデニムを纏って、誰が見てもイケメンと称するだろうその男は、無駄にいい笑顔を向けて会話を続けてきた。


「美味しいッスよね、この店。よく幼馴染と来ていたんですよ。久しぶりに食べたくなって朝から並んでみたんですけど、まさか開店前からこんなに並んでるとは思っていなくてビックリしました」


 ——スゲェ、滲み出るリア充感。

 千華さんと出会う前の俺じゃ、畏れ多くて近づけない人種だったタイプだ。


 だって仕方ないじゃないか……!

 それまでそばにいた人間って、雪世や永吉先輩、慎司先輩みたいな人間ばかりだぞ?


 まともな人間がいなかったんだから、仕方ない!


「ちなにみオススメのパンとかあります? 俺、メロンパンやサンドイッチくらいしか食ったことなくて」

「え、オススメっすか? まぁ……俺もいつも同じようなものばかり食べているから知らないけど、彼女はクロワッサンが好きで、よく食ってますよ」


 あのバターたっぷり使った、サクサクのクロワッサンを頬張っている光景を見ていると、間違いないと思わされる。

 するとアッシュブラウンの彼は、少し目を見開いて驚いたような顔で笑みを浮かべた。


「そうなんッスね。俺の幼馴染もクロワッサンばかり食ってました。懐かしいな……俺もクロワッサン食ってみようかな」


 それは偶然——っと口にしようとした時、カランカランとドアを開ける音が鳴り響いた。どうやら開店の準備が整ったらしい。

 どんどん進んでいく前方の人達に連れられ、俺達も店内の中へと入っていった。


 芳ばしいパンの香りが漂う。


「あ、クロワッサンも焼き上がってるッスね。お兄さんも買うんですか?」


 トングとトレーを差し出して、彼は俺の隣に並んでいた。てっきりもう行ってしまったと思っていたのに。


「お兄さんも俺の時間潰しに付き合ってくれてありがとうございました。んじゃ、また会えたらいいっすね」


 いくらお気に入りのお店が一緒だからって、また再会する可能性は限りなくゼロに近いと思うのだが、社交辞令に付き合って頷いた。


「俺は春樹って言います。お兄さんは?」

「田中です」

「田中さんっすね。ナンパじゃないけど、また田中さんには会える気がするんですよね。んじゃ、また」


 そう言って彼は、ヒラヒラと手を振ってレジの方へと向かっていった。


 この時の俺は、全く気づいていなかった。

 この無駄に爽やかなイケメンが、千華さんの元カレだったことに……。



 ———……★


「………は?」


どっちの元カレも屑だと大変なので、春樹はキチ◯イじゃない絶対にしました。


※ ね、寝惚けて書いたのかな、私……💦

正しくはキチ◯イじゃないキャラにしましたでした。変な予測機能が働いてすみませんでした💦


5月29日付け、★ありがとうございました!

@come3252様、乱視度強様

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