第18話:夜の魔女

 そんなこんなで一年が過ぎたある日のこと。

 わたしはグレン大隊長に呼び出された。

 大隊長は別段怖くはないが、でも少し緊張する。わたしは騎士団舎の二階にあるグレン大隊長の部屋へと赴くと、身だしなみを確認してからドアをノックした。

「イリングワース准尉です」

『おう、来たか』

「失礼します」

 ドアを開けると、大隊長は執務机に座ったままわたしに手招きをした。

「礼はいい、入りたまえ。今お茶を淹れさせよう。トンプソン君、頼めるかな?」

「はい、ただいま」

 トンプソンと呼ばれた女性の補佐官は作業中の書類を机の片隅にまとめるとすぐに部屋から出て行った。

「まあ、かけたまえ」

 グレン大隊長は自分の目の前の椅子を指差した。

 大隊長は何かに気づいたのか、左目を大きく開いてわたしの髪の毛を見つめた。

 髪の毛なんて毎朝軽くブラッシングしているだけだ。それにわたしの部屋には鏡がないから自分の姿が良くわからない。

 何が気に障ったのだろう?

「……やれやれ、どうやら君の髪は左側が白髪になってしまったようだな」

 しばらく観察したのち、グレン大隊長はわたしに告げた。

 白髪? そんなの気づいていなかった。

「……そんなに白いですか?」

 思わず大隊長に訊ねる。

「ああ。片側が白髪になってしまっている。君の髪は確か……」

「金髪です」

「……そうか。ならばそれは義眼の後遺症かも知れんな……で、どうだね? 義眼の調子は?」

 グレン大隊長がわたしの左目を指差す。

「だいぶん慣れました。今では左目だけで暗闇でも活動可能です」

「うむ」

 大隊長が満足げに頷く。

「それで剣技の方は?」

「日中であれば六対一でも負けません。夜間なら十二対一でも勝てます」

「ほう……それは大変に結構」

 大隊長は相好を崩した。まるで自分の娘を見るような目でわたしを見る。

「日中に六対一で勝てる騎兵は多くないぞ。それに夜間だと十二まで大丈夫なのか」

「はい。わたしにはこれがありますから」

 言いながら左目を覆う眼帯を指差す。

「相手の死角から切りつけます。あるいは、ぼやっとしている人の関節を極めて盾にすることもあります。どちらにしてもこれは騎士よりは盗賊の方が近いようには思いますが」

「で? クリス少佐はどう言っているのかね?」

「それが……」

 これはわたしの目下の問題だった。騎士が皆ブルってしまって対戦に応じてくれないのだ。

 実は一度グラムさんとも一対一の決闘をしたのだが、これはわたしの圧勝に終わった。なかなか参ったと言ってくれないので木剣でボコボコにしていたら途中でクリス少佐に割り込まれた。どうやらその時の様子がみんなのトラウマになってしまったらしい。

 廊下ですれ違ってもグラムさんは愛想笑いをするだけだし、他の騎士たちはみんな私のことを避けている。

 わたしはこうした経緯を大隊長に説明した。

「……なので、今は練習相手がなかなか見つからないんです。手隙の際にクリス少佐が遊んでくれますが、アロンソ中尉すら対戦してくれなくなってしまいました」

「アロンソが避けるのか……それはすごいな。では今はイリングワース君が最強騎士なのかね?」

「いえ、そうは思いません。世の中は広いですから……」

 わたしはそう謙遜した。

 だが、直感として王国軍に単騎でわたしに勝てる相手はいないと感じていた。これは驕りではない。単なる分析だ。

 わたしは女性だ。身体は小さいし、柔軟性も高い。相手の想定外のところから攻撃できる。

 それにわたしにはアイギスの盾がある。仮に敵が大砲を引っ張り出してきたところでわたしには砲撃が見える。戦場の向こうで火花が上がってから弾が到達するまで約二秒、それだけあれば充分にアイギスの盾を構えることが可能だ。

「うむ。馬には乗れるようになったか?」

「はい。騎士団にジークリンデという可愛い芦毛の雌馬を頂きました。今では家族のように仲良くしています」

「よろしい」

 大隊長は深く頷くと再び顔を上げた。

「イリングワース准尉、では騎士団への出向は今日付で終了としよう。私はな」──つと手を組み、そこに顎を乗せる──「戦場看護婦では満足できないのだよ。一年考えたが、今日で考えがまとまった。今後君は戦う看護婦、戦闘看護婦コンバット・ナースとして部隊を率いて欲しい。部下には君の元チームメイト五人を差し向けよう。実は彼女たちもここ半年ほど剣技指導を受けている。足手纏いにはならないはずだ」

 大隊長は差し出されたお茶を美味しそうに啜った。

 そうか、ちゃんと準備してたんだ。

 お茶からはまだ湯気が立ち上っている。わたしも大隊長にならって一口お茶を口に含んだ。

 王国伝統の甘い紅茶。どうやら何かハーブが混ぜられているらしい。甘い香りが芳しい。

「彼女たちにはそれぞれ五人の戦場看護婦をつける。合計三十一人の特殊小隊だ。彼女らを駆使してとっととこのくだらん戦争を終わらせよう」


+ + +


 大隊長の部屋を辞去したのち、わたしは大隊長に言われた通り今度は魔法院の研究室を訪れていた。

(ここに行けば会えるって言われたんだけどな……)

 雑然とした広い研究室を見渡す。

 実験卓の前では白衣姿の研究員が魔法陣を覗き込んだり、あるいは魔法に火を入れたりして色々と試しているようだ。

「イリングワース准尉!」

 不意にわたしは後ろから呼びかけられて振り返った。

 見れば、マリアの後ろにキャロル、イングリッド、クラリス、それにリディアがグループになって小さく手を振っていた。

「久しぶり! 元気だった?」

 わたしが振り向くのとほとんど同時にマリアが私の胸に飛び込んでくる。

 こうして言葉を交わすのは一年ぶりだ。

 マリアは小柄だ。だからわたしの胸に額が当たる。しかし、マリアはそのままグリグリと甘えるように頭をわたしの胸元に押し付けると、

「リリス、リリス!」

 と呼びかけてくる。どうやら涙まで流しているらしい。わたしの隊服が湿っぽくなっていく。

「どうしたの? なんであなたたちまでここに?」

 ひとしきりスキンシップしたのちにわたしはマリアの肩を押し戻した。

「なんか大隊長からの指示で、この時間にここに行けと」

「そうなんだ」

「リリス、なんだか左側の髪が白くなっちゃってるよ」

 マリアが心配そうに私の顔を覗き込む。

「白って言ったら変か。銀色? リリス、左側が銀髪になってる」

 銀髪っていうと少しマシな感じはする。

「それに左目は大丈夫なの? 眼帯してるんだね」

「大丈夫よ。ダベンポート様が義眼を作ってくれたの。髪の毛はその副作用なのかな?」

 わたしは左目の眼帯を少し浮かせてマリアに左目を見せた。

「……赤いね。魔眼? 魔法陣が書いてあるみたい」

「確かに、ダベンポート様は魔眼を作ったっておっしゃっていたわ。赤外線しか見えないけど、暗闇では役に立つの」

「そう……」

「こめかみの傷も見えなくなったし、今は大丈夫よ」

 と、今度はダベンポート様が現れた。いつもながらまったく気配を感じさせない。

「やあ、揃ったな」

 白衣が汚れている。きっと何か恐ろしげな魔法研究をしていたのに違いない。

「準備はできている。ちょっとこっちの会議室に来てくれるかな?」


 隣接した会議室の壁には五枚の盾と長さ三フィートほどの剣が五本立てかけてあった。机の上には六枚の鎖かたびらとヘルメット。それぞれに手書きのメモが添えられていることを見ると、どうやらこれらはわたしたちのために誂えられた専用装備らしい。

「君たちの着ている隊服は特殊な防刃繊維でできている。なにしろ僕が設計したからね。でもグレン中将はこの程度では十分ではないとおっしゃる。少し議論したんだが、結局僕が折れたよ。まあ、君たちは最前線に突撃するんだからね。防刃性能は高いに越したことはない……この鎖かたびらはアダマンティンという南から仕入れてきた金属でできている。重さは約二ポンド、できる限り軽く仕上げたつもりだ。君たち下着は着ているんだろう? 僕は気にしないからちょっと試着して欲しい」

「はい」

 わたしたちは軍人だ。ダベンポート様の言葉に頷くと隊服を脱ぎ、鎖かたびらを身につけてみた。前合わせは左脇に作られている。正中線に合わせがないので、これなら正面からの攻撃にも耐えられる。

 鎖かたびらを身につけ、隊服を着直すとわたしたちはダベンポート様の前に立った。

「どうだ? 動きの妨げになる引っ掛かりとかはありそうかね? あるいは腕の曲げ伸ばしとか」

「どう? マリア?」

 わたしは腕を振ってみたり、身体をひねったりしているマリアに訊ねてみた。

「大丈夫そうです。ちょっと身体が重くなった気がしますが、動きに支障はありません」

「他のみんなはどう?」

 わたしの問いかけにそれぞれが「大丈夫」だという返事をくれる。

「大丈夫そうです」

 私はダベンポート様に答えて言った。

「まあ、重さには慣れてくれ。これからしばらく、寝る時以外は常時身につけるように。できれば寝る時にも身につけておいて欲しい。じきに筋力がついて気にならなくなるはずだ」


 全員に盾──正面に赤十字の印が描かれた白い盾だ──と王立騎士団純正の幅広の剣、それにナースキャップの下に装着するヘルメットを配ると、ダベンポート様は会議卓の椅子を勧めてくれた。

 言われた通りに腰を下ろす。先頭はわたし、向かいにマリア。その後にキャロルとイングリッド、わたしの隣にクラリスとリディア。

「おい、お茶を頼む」

 ダベンポート様はそばに控えていた小間使いの若い娘に声をかけた。

「ポットでくれ。七人だ」

「はい、ただいま」

 お茶を待つ間にダベンポート様は再び口を開いた。

「さて。グレン中将の計画では君たちは特務小隊になるらしい。先陣を切って乱戦に殴り込み、味方を保護すると同時に敵を粉砕する。君たちの相手は歩兵じゃない。中隊規模の隊を率いている将官だ。群がる歩兵を薙ぎ払って、一目散に相手の中隊長を狙うんだ。中隊長を潰されたら兵は瓦解する。この装備はそのためにあつらえた。ヘルメットも特注品だ。思い存分暴れ回ってきてくれ」

 暴れ回れって、それってどうなんだろう? そんなことを三十一人の戦場看護婦でこなせるんだろうか?

 不安が顔に出たのか、ダベンポート様が言葉を添えた。

「むろん、王立魔法院も全面的にバックアップする。後のことは気にせず、とにかく敵の護衛を割って主力部隊を敵の中隊長の目前に送るんだ。一度中隊長が潰されれば戦況は劇的に変わる……わかったかな?」

 ダベンポート様が周囲のチームメイトの顔を一人ずつ見渡していく。

 皆、納得したように首を縦に振る。

「ところでだな、僕としてはこの隊に二名の狙撃手を配置しようと考えているんだ」

 狙撃手? そんなの王国の騎兵団には存在しない。

「……どうかね? リリス君、君が隊長だ。判断して欲しい」

 ええ? そんなこと急に言われても困ってしまう。

「はい……」

 わたしが困って俯いている時、マリアが手を挙げた。

「わたしがやります。連れにはイングリッドを推薦します」

 ダベンポート様がマリアとイングリッドの顔を見つめると、二人ともすぐに深く首を振った。

「わかった。君たちには魔法院特製の極高精度マスケットを調達しよう。射手を補佐する高精度スポッターも用意する。君たちは背後からリリス君を支援するんだ」

 ダベンポート様は腕を組むとわたしたちを睥睨した。

「いいかね? 君たちは今後王国直属のワルキューレ、夜の魔女になるんだ」

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