第15話:立体剣技

 わたしは退院すると、その足で魔法院のお隣にある騎士団の本部団舎に赴いた。

(ごめんください、は変かな? でもなんて言えば良いんだろう?)

 騎士団の無骨な門をくぐり、受付をノックする。

「あの、すみません」

 応対してくれたのは七十過ぎのふとましいおばあさんだった。

「はーい」

 騎士団の猛々しいイメージとは裏腹に和やかに応対してくれる。

「あの、今日からお世話になるリリス・イリングワースと申します」

「ああ、リリスちゃんね。わたしはドンナ。お話は聞いているわ。でもずいぶん急いで来たのね。もう何日かかかると思っていたわ」

「いえ、病院から追い出されてしまったので……」

 わたしの答えは辿々しい。

 でもその隙間を読んでくれたのか受付のドンナさんは、

「まあ、大変だったわね。とりあえず入ってちょうだい。応接間に団長を呼ぶから」

 とわたしを中へと導いてくれた。


+ + +


 応接間に通されてしばらくのち、騎士団の団長が直々に会いに来てくれた。

「アルトン・ブラウン大佐だよ。でも気軽にアルトンと呼んでくれて構わない。私は友好的なんだ」

 ブラウン大佐はわたしの向かいに座ると早速紅茶を飲み干した。

「おーい、これじゃあ足らんぞ。ポットでくれ、ポットで」

「はい、ただいま」

 ブラウン大佐の補佐官がすぐに応接間から飛び出していく。

「……さて、人ばらいもできたことだし、話を聞こうか?」

 不意にブラウン大佐の雰囲気が剣呑になった。

「ダベンポートの話では君は魔剣カルド・ボルグとアイギスの盾を継承したようだね」

「…………」

 威圧されて声が出ない。

「君はどうやらグレン中将からも厚遇されているようだ。ならば我々もそれに応える義務がある」

 ブラウン大佐は前屈みになると、ニヤッと笑った。

「なにもそう怯えることはない。君はこの一年間で王国の剣技を完璧に習得しないといけないのだろう?」

「……はい、その通りです」

 そう応えるのがやっとだった。

 よくアルトンと呼んでくれって言えたものだわ。威圧感の塊じゃない。

 つと目の前のブラウン大佐がソファの背中に身体を預ける。

「君の所属はクリス隊にしたよ。クリス・エバーハート少佐、君と一緒に戦場を駆け回った奴だ。彼なら君にピッタリの剣技を授けてくれるだろう。何しろ彼の得意技は立体剣術だからね。平面での剣術よりは役に立つと思う」

 ふとブラウン大佐は再び前屈みになると人懐っこい笑顔を浮かべた。

「ところで魔剣カルド・ボルグとアイギスの盾の使い勝手はどうだい?」


+ + +


 結局、騎士団への編入は翌日に持ち越しとなった。

(それにしても立体剣術ってなんなのだろう?)

 わたしが知っている剣術はどれも平面だ。足場を確保し、相手を斬りつけ、あるいは相手の斬撃を盾で防ぐ。

 ここに立体が割り込む要素はない。飛ぶにしてもせいぜいが背丈の半分、三フィート程度だろう。

(立体剣術か……。見てみたい)


 これを見る機会は早々に訪れた。

 翌日クリス少佐がわたしを団員に紹介してくれる。

「今日からお前らの仲間になる、リリス・イリングワース准尉だ。一年間の期間限定だがな。だが彼女は凄いぞ、何しろこめかみにマスケットを喰らっても生きているんだからなあ」

 ハハハ……と隊員達から笑い声が漏れる。

 わたしは早速、大隊長にいただいた黒い眼帯で左目を覆っていた。

 左目が見えなくても日常生活に支障はない。

 しかし、剣術ではどうなんだろう?

「彼女の左側は死角になる。だから俺たちは積極的にその死角から攻めるようにして欲しい。万が一戦場で死角から攻撃されて死なれでもすれば騎士団の名折れだ。死角からの攻撃を含めて彼女を一年間でいっぱしの騎士に育てろというのがアルトン団長からの指示だ。お前ら、気合い入れてイリングワース准尉を育てろ!」

「サー、イエス、サー!」

 これはえらいことになってしまった。

「とりあえず、いつも通り四人グループで訓練を行う。イリングワース准尉は最初のグループ、Aグループで訓練してくれ」


 グループごとに別れたのち、早速わたしは試練にぶち当たった。

「いいかい? とりあえずはバク宙を身につけて欲しいんだ」

 グループ長のアロンソ中尉がわたしに言う。

「イリングワース准尉、バク宙の経験は?」

「いえ、ありません」

 わたしは正直に答えて言った。

「バク宙はそんなに難しい技術じゃない。その場でバク宙するのならともかく、相手がいるんだったら相手の身体を足場にしてバク宙するんだ。ほら、こんな感じにね」

 アロンソ中尉はそこにいた隊員の一人のベルトを足場にすると空中でくるっと回ってみせた。

「君の身体能力が人並外れて高いことは聞いている。であれば、今までは水平に使っていた力をちょこっと垂直に使えばすぐにバク宙できるようになるはずだよ」

「はい」


 言われるがままにアロンソ中尉と対峙し、バク宙の練習を行う。

「そうじゃない、もっと早く脚を畳むんだ!」

 今は盾も剣も持っていない。これで宙返りができないようでは到底話にならない。

「とりあえずは後ろ向きのバク宙を習得しよう。それができるようになったら今度は前向きの空中転回だ。半年後にはフル武装で立体格闘戦ができることを目指そう。話はそれからだ」


 とりあえず毎朝の長時間ランニングはなしにした。その代わり、筋力トレーニングとして武器を携行したランニングに切り替える。

 左腰にカラド・ボルグ、左手にはアイギスの盾。これを持って魔法院のリングIワンを軽く一周。これでも一周十マイルあるからそれなりの運動量になる。

 カラド・ボルグは腰に鞘があるからさほど困らなかったが、アイギスの盾は裏に二つのグリップがあるだけなので持ち運ぶのは少々骨だった。

 でもアロンソ中尉によればそれが全く気にならない程度にまで鍛えないと実戦では使い物にならないらしい。

「……はあ、はあ」

「どうしたリリス、もうギブアップか?」

 ランニングに付き合ってくれているアロンソ中尉がわたしをけしかける。

「いえ、大丈夫です……」

 アイギスの盾が微妙に重い。おそらく二ポンド(約一キロ)以上はあるだろう。

 ついでにカラド・ボルグも地味に重い。こっちはおそらく四ポンド(約二キロ)を超えている。六ポンドの荷重をかけての長時間ランニング、しかもわたしの限界を超えた高速ランニング。これはとんでもない重労働だ。

 初日は走り終わった時に吐いてしまった。

 翌日は胃を空にしてランニングしたため吐くことはなかったが、逆にエネルギー切れを起こしてその後はヨレヨレだった。

 だが、一週間もこれを続けると慣れるものだ。今ではちゃんとリングIワンを一周できるようになった。

「アイギスの盾にはフックがないのかい?」

 走りながらアロンソ中尉がアドバイスしてくれる。

「どうやらなさそうです。いつも手で持っていることが前提みたい」

「ふむ、じゃあ騎士団の鍛冶屋に頼んでフックをつけるといい。背負えるようになれば多少は楽になる」

 アロンソ中尉によれば、上の方のグリップにフックをつけて襷掛けにしたベルトの肩に引っ掛けられるようにすれば多少は楽になるという。

 見れば確かにアロンソ中尉も第二十七王立騎士師団の盾を背中に背負っていた。

 そういうわけでわたしは夕方に鍛冶屋に赴くとベルトとフックの追加を注文した。

「ベルトは右肩から腰に向けて作れば良いのかね?」

 鍛冶屋の老人がわたしに訊ねる。

「はい。ベルトには何個かベルト・ループを作って、アイギスの盾に作ったフックで盾を固定できるようにしてください」

「なるほどね。明日までには作っておこう。お昼頃にまたおいで」

 わたしはアイギスの盾を預けるとその日は盾なしで宿舎に戻った。

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