第11話:信仰心なき魔法使い

「……ダベンポート様は、神様を信じないのですか?」

 わたしはあまりのことに驚愕していた。

 王国の国民は等しく唯一神、もしくはその母神を信仰している。会派は様々だが、信仰心のない国民は極めて稀だ。

 無論、王国にも無神論者は一定数存在する。だが、その多くが世間との接触を絶った世捨て人たちだ。

 なのに、ダベンポート様は神はおられないと言う。ダペンポート様は魔法院の筆頭魔導士だ。その王立魔法院の筆頭魔導士が筋金入りの無神論者だということはにわかには信じられなかった。

「ああ。僕は神なんて荒唐無稽なものは信じない。僕は人が悪いんでね。ともあれ、全ての事象は人々が作った原因の結果に過ぎない。全てのトラブルには必ず解決策が隠されている。それを掴むか否かは……その人次第だ」

 ダベンポートのDはデビルのD、ドラキュラのD、そして死神デスのDだと誰かが陰口を叩いていたのをふと思い出す。

 神をも恐れぬ魔法使い。

 なんか、怖い。

「…………」

 俯いて押し黙ってしまったわたしを見て、ダベンポート様は笑みを浮かべた。

「だから、当然のことながら僕は偶然などというものも信じない。偶然うまくいく事象に頼っていたらいつかする」

 偶然失敗する。

 確かに、それは困る。

「では、ダベンポート様はどうせよと?」

「絶対に失敗しない手段を探すんだ、リリス君。魔法も物理の法則に囚われる。慣性の法則ザ・ファースト・ロウ質量保存の法則ロウ・オブ・コンサベーション・オブ・マスエネルギー保存の法則ロウ・オブ・コンサベーション・オブ・エナジー、これらをちゃんと理解すれば激戦の中でもちゃんと生き延びられる」

 つとダベンポート様は懐から地図を取り出した。同時に五つのチェスの駒──白いポーンの駒だ──をわたしの手に握らせる。

「さっき君の部下たちにマーカーを施した。その地図に載せれば彼女たちの居場所がわかるようになっている。リリス君、君は僕と共にその地図の上で戦場看護婦の面々がどこにいるかを逐一追跡して欲しい。もし倒れて動かなくなった駒があったとしたら、それはその子が負傷して動けなくなったという信号だ。もしそんな駒を見つけたら急いでその子の元に騎士団を送るように。グラムの小隊は役に立つ。ここは一つ、彼らに頼ろう」

「…………」

 わたしは手渡されたチェスの駒を調べてみた。人型をしたそれぞれの駒に二文字で名前がついている。

 MAはマリア。

 CAがキャロル。

 イングリッドがIN。

 クラリスがCL。

 そしてリディアがLY。

「僕はこれから戦場を回ってどうやって魔法陣の影響範囲に敵軍を追い込むかを考える。リリス君も一緒に来たまえ。二人で考える方がはるかに効率がいい」

「は、はい」

「これがダベンポートなんだよ」

 横に並んでいた装甲馬の上でグラムさんが肩をすくめる。

「こいつはな、俺たちが想像するよりもはるかに上の次元でリアリストなんだ。しかも性悪ときている。だから、余計なことには一切関心を抱かない。俺も長い付き合いになるが……まあ、いずれ慣れるさ」

「よし、行くぞグラム」

 ダベンポート様はわたしを軽々と持ち上げて前に乗せると、ルドルフのお尻に軽く鞭を入れ、両軍がバチバチ斬り合っている現場へと突撃していった。


+ + +


 三時間は長かった。

 ダベンポート様と共に馬で戦場を駆け巡り、ときおり地図を広げて状況を確かめる。

 負傷すればその駒は倒れるということをダベンポート様は教えてくれていた。今のところ負傷者はいない。狙われているというダベンポート様の言葉にも関わらず、彼女たちは果敢に戦場を走り回っている。

 わたしたち戦場看護婦の任務は負傷した騎士や歩兵を担いでキャンプへと戻ることだ。勢い、わたしたちはどうしても激戦地帯に突撃することになる。

 まだマーキングされていない戦場看護婦に出会うたび、ダベンポート様は彼女たちにマーキングを施すと同時にその黒い駒を次々とわたしに渡していった。

 すぐに手のひらが黒い駒で溢れてしまう。困惑しているわたしのことはどうやら気にすらしていないらしい。困ったわたしは仕方なく受け取った駒をショルダーバッグの前ポケットに投げ入れていた。

「リリス君、今どれくらいマークした?」

「待ってください。今数えます」

 問われてすぐにポーチの中の駒を数える。全部で八十四。

「八十四名です」

「確かキャンプには四十人弱の若い戦場看護婦たちが待機しているはずだ。ならば概ね全員マーキングしたと思って良さそうだな」

「でも、マーキングしていない戦場看護婦たちがまだいるかも……」

「そういうのはな、巻き添え被害コラテラル・ダメージというんだ。八十四人マーキングできれば上等だ。だいたい、いつまで探しまわるつもりなんだね? 一人や二人の犠牲には目を瞑ろう。人間、諦めが肝心だ」

(目を瞑るって、一体どんな神経なんだろう……)

 さすがに呆れたが、だがそれを指摘しないだけの分別はあった。

 まあ、それもダベンポート様なんだろう。

「わかりました。そろそろ一二〇〇時になります。大隊長のところに戻りましょう」

「ああ」

 ダベンポート様はルドルフに鞭を入れると、全速力で大隊長のキャンプへと突き進んで行った。


 一般的に攻撃側は守備側の三倍の戦力が必要だとされている。こちらは六千人、対する隣国兵は二千人。しかも王国軍は疲弊しない。グレン大隊長の計算はおそらく正しい。このまま戦い続ければ早晩敵軍は瓦解する。

 ひょっとしたらダベンポート様たちが仕掛けた魔法陣を起動するまでもなく敵部隊を撃破できるかもしれない。

 ダベンポート様とルドルフ、それにわたしの三人で戦場を駆け抜ける。

 わたしたちが到着した時、グレン大隊長は二人の補佐官と共に作戦地図を見つめて何事か指示をしていた。

「ああ、来たか」

 わたしたち(たぶん、より正確にはダベンポート様の)気配に気づいたか、グレン大隊長が顔を上げる。

「遅くなりました」

 大隊長に敬礼。

「良い。時間通りだ。とりあえず二人ともそこの椅子に座って待っていなさい。今お茶を淹れさせよう」

 グレン大隊長は鷹揚に手を振ると、そばの椅子をすすめてくれた。

「はい」

 言われた通りに椅子に腰掛け、グレン大隊長の指示をぼんやりと見つめる。

 だがわたしとは異なり、すぐにダベンポート様は状況を理解したようだった。

「……これはよろしくないですね。戦線が広がりすぎている」

「君もそう思うかね? ダベンポート君」

「はい、もっとコンパクトにまとめて頂かないと、魔法を起動できません」

「ふむ、あと五時間か……」

 今大隊長の頭の中ではどうやって兵たちを効率良く動かすことができるのかというパズルが繰り広げられているのに違いない。

 つとダベンポート様は、

「リリス君、例の地図とマーカーを出してくれないか」

 とわたしのショルダーバッグを指差した。

「はい」

 すぐにショルダーバッグの中から取り出した地図をテーブルの片隅に広げ、ショルダーバッグを逆さにして中のマーカーをバラバラと地図の上に散乱させる。

 もちろん、地図の方位をチェックすることも忘れない。

 一体どうした仕組みなのか、八十四体のマーカーは一斉に立ち上がるとすぐに全員がそれぞれの居場所へと移動しはじめた。

 中には地図の外、西の端に群れをなしているマーカーもある。おそらく彼女たちはキャンプに向かっている最中なのだろう。

 わたしは目を皿のようにして白い駒を探した。どうやらクラリスとイングリッドはキャンプに向かって帰隊中の模様、マリア、キャロル、それにリディアはさらに激戦区に向かって進撃中だ。

 激戦地隊の場所はすぐに判る。戦場看護婦たちが集まっている場所。そここそがまさに戦場の中核、両陣営の兵力が集まっている場所だ。

 地図の上を動き回るチェスの駒に興味を引かれたのか、大隊長が地図を覗き込む。

「……ダベンポート君、これは面白いな。もっと早く導入してくれれば良かったのに」

「グレン中将、これは今回投入した新兵器ですよ。一ヶ月ほどかけてテストして、今回が初めての実戦投入です」

「なるほど……ところで、この盤面には騎士団や陸軍もいるのかね?」

「いえ、ここにいるのは戦場看護婦だけです。彼女らの側には必ず騎士団が付き添うように依頼してあるので特に問題はないかと……」

「歩兵部隊は?」

 さすが、グレン大隊長は鋭い。

 だが、ダベンポート様は細かいことを気にするなと言わんばかりに片手を振った。

「彼らは、まあやられたらその時はその時です。どうせ消耗品エクスペンダブルズですからね。運が良ければ戦場看護婦たちがキャンプに運んでくれるでしょう」

「……まあ、そうだな。歩兵よりは戦場看護婦や騎士団の保護の方が優先順位が高い」

 ありゃま。グレン大隊長もダベンポート様と同じようなお考えをお持ちのようだ。

 それにしても歩兵部隊を使い捨てって……軍の幹部の人たちはやっぱり普通の人とは考えが違う。

 大隊長は出撃前には戦死者を出さないようにと厳命していた。でも、どうやら歩兵はその数に入っていないらしい。

「ところでイリングワース上級曹長の姿が見当たらないようだが? それに司令部のメンバーも見当たらないようだ」

 確かに丘の上に作られた小ぶりな陣地の中にわたしも、グレン大隊長も、それにダベンポート様の姿も見当たらない。

「ああ、グレン中将はマーキングしていません。中将は常に二人の副官に守られている訳ですから、特に必要はないでしょう」

「イリングワース上級曹長は?」

 どうやら大隊長はわたしのことを心配してくれているらしい。

「彼女は僕の伝令官ですからね、僕が面倒を見ますよ」

「……まあ、いいか。では、戦況終盤をどうするか相談するとしよう」


 だがその時、今のダベンポート様の決定がのちに大きな災いとして襲いかかってくることをまだわたしは知らなかった。

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