第8話:起動準備

「では、魔法の起動は一七〇〇時とします」

 ダベンポート様はしばらく大隊長と相談していたが、最終的に魔法の起動を日没直後に設定した。

 目の前には今日の日の出時間と日没時間がグラフ化されたものが置かれている。日の出は〇六五〇時、日没は一六五五時、南中高度(太陽が一番高く登った時の高度)は約30度。

「うむ、よかろう」

 大隊長は頷いた。すぐに背後の秘書官を呼び、

「伝令を飛ばせ。各部隊は一六五五時に撤収開始、五分以内にこの正三角形から外に出すんだ」

「安全マージンが必要です。少なくとも魔法陣から二マイルは離れてください」

 ダベンポート様が言葉を継ぐ。

 すでにあたりは薄明るくなっていた。

 もうすぐ、太陽が地平線から顔を出す。

「ここからは掃討戦だ。……我が軍の被害はいまどうなっている?」

「現状、四千人の兵を出しました。重傷者は約五百人、彼らは約三時間で再出撃可能です」

 軍服姿の赤毛の女性が大隊長に答えて言う。

「騎士団には被害、ありません」

「被害はもっぱら歩兵隊に集中しています。三百人はすでに回収済み、現時点での残留負傷兵は二百人です……兵を入れ替えますか?」

 騎士団の団長と陸軍の隊長がグレン大隊長に対して補足する。

 わたしは二人の肩章を見てみた。騎士団の団長は少将、陸軍の隊長は大佐だ。どうりで言いなりになっている訳だ。

 まあ、「隻眼の狼」に意見できるような連中は魔法院の人たちだけだろうけど。

「大佐、十台の救急馬車に二百五十人の兵を乗せて前線に向かわせろ。負傷兵と入れ替えるんだ。騎士団は各自交代で馬を休ませろ。騎士団は敵の士官を叩くことに集中するんだ」

「了解しました……伝令!」

 陸軍の隊長はすぐに駆け寄ってきた伝令官に何事か指示し始めた。同時に騎士団の団長が信号弾を数発片手に早速現場へと馬を出す。

「では私も戻ります」

 ダベンポート様が席を立つ。

 と、彼は何かを思いついたかのように再び口を開いた。

「ところで、リリス・イリングワース上級曹長をお借りしてもよろしいですか?」

 え? わたし?

「ああ、それは構わないが……戦場看護婦に何をやらせるつもりなんだね?」

「彼女はとんでもなく脚が速い。魔法を起動するまで私の伝令官をお願いしたいのです。……馬を使うとどうしても目立ってしまうのでね」

「なるほど……了承しよう。イリングワース上級曹長、君は現刻をもってダベンポート君と行動を共にするように。もし必要であれば六人まで増員を許そう。判断は君に任せる」

 ありゃ、なんか変なことになっちゃったな。

「了解しました」

 そうは言っても大隊長の命令だ。わたしは椅子から立つと大隊長に敬礼した。


+ + +


 ダベンポート様は戦場の外れにシェルターを作っていた。

 どうやら魔法で掘ったらしい深い横穴だ。中は広く、奥行きも十ヤード以上ある。入り口は灌木で隠され、外からはわからないように工夫されていた。

 ダベンポート様は少し離れた場所に馬を止めると、手綱を樹の枝に巻きつけた。

「こうしておけば、馬が驚いても逃げられないんだ」

 馬の足元に大きなボウルを置き、そこに水を満たす。

「ルドルフ、そこで待っているんだ」

 二つほど角砂糖を手に乗せてルドルフに差し出す。ルドルフは嬉しそうにその角砂糖を噛み砕いた。

「まあ、お前はそこで寝ているがいい」

 ダベンポート様の言葉を受け、ルドルフがその場に座り込む。ルドルフはすぐに首をお腹の方に向けるとのんびりと早い昼寝を始めた。

「さて」

 ダベンポート様はわたしに向き直ると口を開いた。

「ところで君のところの部下たちはどこにいる?」

「皆目見当がつきません」

 わたしは正直に答えた。

「キャンプにいる間、彼女たちは帰ってきませんでした。おそらくは負傷兵を他のものに託し、さらに戦場の中心へと向かっているかと」

「……困ったな」

 ダベンポート様は腕を組んだ。

「これから起動する魔法は敵味方見境なく荒れ狂う。この核心部に戦場看護婦がいるのはよろしくない」

「何を起こそうとしているのですか?」

 好奇心に駆られ、もう一度ダベンポート様に訊ねてみる。

「……竜巻だよ。熱力学呪文を使って竜巻を生成する。起動したら最後、エレメントが燃え尽きるまで止まることはない。中にいたら吹き飛ばされてとんでもないところに連れて行かれるぞ……というかたぶん死ぬ」

 竜巻! 想像するだけでゾッとする。早くマリアやクラリスを退避させないと。

 ダベンポート様はベストのポケットから携帯時計を取り出した。

「……まだ起動までには時間がある。リリス君、ご足労だが部隊に作戦を伝えてくれないか。何、歩兵や騎士団のことは放っておいていい。彼らは勝手に生き残るだろう」

「了解しました」

 お約束の敬礼。

「よし、行け。リリス君」


 わたしはダベンポート様をシェルターに残すと、一路戦場を目指した。坂を下り、眼下の交戦地帯を目指す。

 でも、どうやって連絡すればいいんだろう? 鳩は三羽残っているが、持っているのはイングリッド、クラリス、それにリディアの三人だ。キャロルの鳩はもう使ってしまった。

(なんとかして三人を見つけないと……)

 わたしたちは最前衛を任されている。交戦中の敵陣から友軍の負傷兵を奪い取り、他の戦場看護婦に輸送を任せてさらに敵地へと侵入するのがわたしたちの役目。

 信号弾は使えない。あれは最後の最後、自分たちの身が危なくなった時のために温存する。

(そうか、騎士団……)

 騎士団はわたしたちと同様に戦場を駆け回る。それに危ない時にはわたしたちを守ってくれる。

 彼らなら、あるいはわたしのチームの居場所を知っているかも知れない。

 わたしは立ち止まると周囲を見回した。

 周り中乱戦状態だ。敵味方入り乱れ、お互いに殺し合っている。これでは味方がどこにいるのかよく判らない。

 やがて、わたしは一人の騎士を見つけた。

 ちょうど戦闘が終わったところだ。馬から降り、倒れた敵兵の喉に刃を突き立てている。

 周りの騒音がやかましい。

 わたしはその人が一息ついたタイミングを見計らって横から大声で呼びかけた。

「騎士様!」

「ん?」

 返り血で黒く染まった青い制服の騎士がこちらを向く。どうやら騎士隊長コマンダーの一人らしい。思ったよりも年長だ。騎士隊長の肩章が青い制服の肩で鈍く輝いている。

「わたしの仲間を探しているんです。彼女たちを伝令にして状況を伝えないと戦場看護婦が全滅します」

「……そりゃいかんな。状況はどうなっている?」

「ダベンポート様が一七〇〇時に魔法を起動します。竜巻を起こすそうです」

 周囲に敵がいないことを確認しながら騎士様に説明する。

「君は確か……」

「リリス・イリングワース上級曹長です」

「ああ、411部隊のエースか」

 エースって、そんなに偉くはないんだけどな。

 とは言え……わたしのチームメンバーは全員徽章をつけている。ちょっと前の小競り合いで軍功を上げたことから小さな勲章をもらった。

「…………」

 彼はしばらく黙って考えていたが、やがて口を開いた。

「とりあえずグラム分隊長オフィサーに話してみよう。下っ端と違って奴は走り回っているからな、君らの場所もわかると思う」

「ありがとうございます」

「で、どこに行かせればいいのかね?」

 彼は再び馬に跨りながらわたしに訊ねた。

「街道の向こう、ここから真南の森の影にダベンポート様がシェルターを作っています。そこに全員を集めてください。五人です。マリア、キャロル、イングリッド、クラリス、それにリディア」

 わたしたちの隊服の胸には名前が書いてある。若干心もとないが、何にも手掛かりがないよりはマシだろう。

 それに徽章がある。徽章を手がかりに探して貰えばすぐに見つかる気がする。

「わかった。グラム分隊長のところに行く途中で他の戦場看護婦に会ったら、ついでに彼女らにも一七〇〇時までに戦場を離脱するように伝えるよ。リリス君は一度シェルターに戻るんだ。ダベンポート君だけだと集まっても邪険にされる恐れがある」

 その騎士様はニコリと笑うと、馬に鞭を入れて戦場の中心へと戻っていった。

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