エピソード1──魔法攻撃──

第7話:最後の仕上げ

 キャンプの門を抜け、戦場へと戻る。

 わたしは元来た道を小走りに駆けながら戦場を目指した。

 明るいキャンプを目指す往路は分かりやすかった。だが、帰りは目標が原野になるため道がわかりにくい。

 途中、何人かの戦場看護婦とすれ違う。誰もが負傷兵を背負い、全速力で駆けている。

「リリス君」

 その時、わたしは後ろから声をかけられた。

 振り向くと、そこには馬に乗ったダベンポート様がいた。

「あ、ダベンポート様」

 魔法院の人たちは皆軽装だ。ダベンポート様は鎧もつけず、いつもの黒い制服に身を包んでいる。馬も同じ考えのようで、ダベンポート様がまたがっている黒い馬は鞍以外は身につけていなかった。どうやら騎士団の馬とは品種も違うらしい。彼の馬はすらっとした長身の馬だ。おそらく競走馬なのに違いない。

 そういえば魔法院は逃げ足を重視するため、身につけているものも限りなく軽量だと聞いたことがある。そもそも彼らは戦場では常に騎士団に護衛されているから本人が戦うことがほとんどないのだろう。

「きみ、最低でも行きと帰りは違うルートにしたほうがいいぞ。見たまえ、この体たらくを」

 ダベンポート様はさも嘆かわしいという表情をしながら横を走っていく戦場看護婦たちを指さした。

「きみの同僚たちにも伝えた方がいい。これでは街道だ。これでどこかにブービートラップでも仕掛けられたら一網打尽だ」

 確かにそうかもしれない。言われてみれば、隣国は撒菱カルトロップを多用している。わたしたちのブーツであれば貫通されることはあり得ないが、鬱陶しいことに変わりはない。

「……そうですね。大隊長に伝えます」

 わたしは立ち止まると彼に頭を下げた。

「ありがとうございます」

「乗っていくかね?」

 ダベンポート様は鞍の後ろを指さした。

「少なくとも走っていくよりは楽だろう」

 なんでダベンポート様が親切にしてくれるのかが判らない。

 わたしが戸惑っていると、ダベンポート様は言葉を継いだ。

「グレン大隊長のところに行くんだろう? 僕もグレン中将には用事があるんだ。遠慮せずに乗っていくといい」

 そういう事か。

「ではお言葉に甘えることにします」

 ダベンポート様が両足のあぶみを譲ってくれる。わたしは鎧に足をかけるとダベンポート様の後ろに跨った。

「行くぞ。僕の腰につかまっているといい。……そのままでは転げ落ちる」

 ダベンポート様はそういうと、馬に鞭を入れた。


+ + +


 魔法院の馬はとんでもなく速かった。おそらく、わたしたちの飼っている馬の倍の速度は出ているだろう。

 周囲の景色が飛ぶように流れていく。

「この子たちは王室で育てられている馬なんだ。サラブレッド純血種という品種、この子は大昔の軍馬バイアリータークの直系だ。バイアリータークは大昔のロバート・バイアリー大佐が可愛がっていた馬だよ」

 ダベンポート様が前屈みになったままわたしに説明してくれる。

「元は東方の乾燥地帯、狼の国から連れてこられた馬と王室の牝馬とを掛け合わせて作った種なんだがね、とんでもなく足が速い。ただ、持久力がイマイチなんだが……」

「へえ」

「ま、持久力に関しては魔法でなんとでもなる。しかし、やはり疲れが溜まるからあまり無理はさせられない」

「そうなんですね」

 ダベンポート様の背中が暖かい。なんだ、なんやかんや言われてるけどやっぱりこの人も人間なんだ。

「……僕は正直に言って騎士団よりも君たち衛生兵の方が好きなんだ。特に戦場看護婦はね。あれは到底普通の人には真似できない、素晴らしい仕事だ」

 不意に呟くようにダベンポート様が言った。

「そうなんですか?」

「そうとも」

 前を向いたままダベンポート様が言葉を繋ぐ。

「騎士団も陸軍も結局のところは殺すのが職業じゃないか。それに対して君たちはちゃんと人を救っている。素晴らしいことだよ」

 そんなふうに考えたことはなかった。

 戦場看護婦は単なる輸送手段、そう考えていた。

 でもダベンポート様のお考えは違うらしい。


 何かが急に胸の中で爆ぜた。


 なぜか、視界が涙でぼやける。気がつくとわたしは泣いていた。

「……ありがとう、ございます。ダベンポート様」

「急ぐぞ、リリス君。とっととこのくだらない衝突を終わらせよう」

 急に照れくさくなったのか、ダベンポート様は少し言葉を荒らげると馬にさらなる加速を鞭で指示した。


 ダベンポート様の馬は一気に森を駆け抜けると小高い丘目指してひた走った。

 途中一度魔法を使って大隊長の位置を確かめ、そちらに向かって馬を駆る。

 わたしたちが着いた時、大隊長は双眼鏡で戦況を確かめていた。伝令を呼び、時折何か指示をしている。

「グレン中将」

 ダベンポート様は馬から降りると大隊長に声をかけた。

「おお、ダベンポート君か。わざわざここに来るなんてどうしたね?」

「戦況を相談したいと思いましてね」

 わたしも馬から降りるとダベンポート様の隣に並んだ。

「リリス上級曹長、君もいたのか」

「はい」

 少し頭を下げて礼をする。

 バリバリの叩き上げ軍人であるにもかかわらず、大隊長は礼儀に対しておおらかだ。

「で? 相談とは?」

 大隊長は手招きをすると、近くにあったテーブルの前に腰掛けた。

 テーブルには地図が広げられ、最新の状況がペンで書き込まれている。

 ダベンポート様は大隊長の向かいに座ると、状況を説明し始めた。

 どうしていいのか判らない。仕方がないのでわたしは大隊長に寄り添うように立ったままで地図を見下ろす。

「リリス上級曹長、君も座りたまえ。今、お茶を運ばせよう」

 大隊長はそばに控えていた秘書官にお茶を三つ持ってくるようにと命じた。

 大隊長とダベンポート様が話をしているあいだ、わたしは周囲を見回した。

 小さな拠点だ。洋燈ランプが一つ、小さなテントが一つ。実戦経験が豊富な大隊長だけあって、目立つようなことを一切拒絶している。

 背後には騎士団の団長と陸軍の司令官が控えている。だが、場を仕切っているのは大隊長のようだ。

 さすが『隻眼の狼』とあだ名されるだけのことはある。さすがに腕と片目を失って過去のようなことはできないが、いざ戦場へと赴くと大隊長に逆らえるような士官はいないみたい。

(これじゃ、まるで狼の群れみたい)

 ふと不謹慎な考えが脳裏をよぎる。

「戦線が広がりすぎています。そろそろ一箇所にまとめて頂かないと我々の魔法が使えません」

「うむ」

 ダベンポート様が地図を指差して状況を説明する。

「西側の戦闘は徐々に東に移動しています。特に逃走を始めている敵部隊の先頭集団が東に向かって進んでいることが問題です。これを抑えて、西側に押し戻したい」

「どれくらいの範囲に押し込めばいいのかね?」

「少なくとも直径千ヤードの円に押し込んで頂きたい。魔法陣が仕掛けてある場所はこことここ、それにここです」

 ダベンポート様はペンを取り出すと、三箇所にバツをつけた。三つの魔法陣が正三角形に配置されている。

 つと、わたしは戦場の方から何個も小さな光が瞬くのを見た。どうやら銃士隊のようだ。マスケットが瞬いている。

「……ああ、あれは気にしなくていい」

 大隊長はわたしの不安そうな表情に気づいたのか、鷹揚に笑った。

「この前線司令部は光学魔法で約百ヤード位置をずらして見せている。万が一にもこちらに弾が飛んでくることはない」

 それでみんな平然としているんだ。

「……ふむ、では東の部隊に伝令を飛ばそう。要するにこの正三角形の中に押し込めばいいんだな」

「その通りです」

「しかし、これは骨だな。いっそ東側の部隊を殲滅するか」

「そこはお任せします。現状、状況はこちらに有利です。必要であれば魔法で敵を足止めすることも可能です」

 ダベンポート様は地図の上に指で線を引いた。

「この地点であれば移動防壁を作ることもできます。……少し時間がかかりますが」

「いや、それには及ばない。できれば今日の夕方までには決着をつけたい。あまり悠長なことはしたくない」

「了解しました」

 ダベンポート様が敬礼する。

「大詰めだな」

 大隊長はニヤリと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る