第6話:負傷兵回収
失神したウィリーを背負ったまま、最短距離でキャンプを目指す。
姿勢が高いと的になる。万が一敵部隊に弓兵がいたらあっという間に袋叩きを食らってしまう。敵部隊にはフリントロック式の
わたしはできる限り姿勢を低く保つと同時に、長く伸びたススキの影に身を隠すように心がけながらキャンプを目指した。
途中で街道を跨ぎ、そのままの速度で森に飛び込む。たまに森の中を走り回っていたのはこのためだ。樹木があろうがなかろうが、あるいは根が地面から飛び出していようが平坦だろうが、負傷兵を運ぶ速度を落とすわけにはいかない。
負傷兵回収は時間との勝負だ。のんびり運んでいたら最悪、輸送中に瀕死の兵が天国のお茶会に出かけてしまう。
わたしが最初に教わったのは負傷兵の傷が深ければ深いほど急いでキャンプに運ばなければならないということだった。多少揺れても、あるいは多少出血がひどくなっても構わない。それよりは時間が大切だ。
開戦当初、王国と隣国との兵力差は二倍近いと皆が考えていた。
だが王国側には秘策があった。
二倍の兵力差を埋めるため、王国軍は負傷兵を魔法で治療しすぐに戦場に送り戻せば良いということを魔法院の天才の誰かが考えついたのだ。
一人の兵士が通常の二倍戦うのであれば兵力は互角、それ以上であれば王国軍の方が有利となる。
これを実行に移すため、王国と魔法院が実に周到な準備を進めていたことが明らかになったのは開戦後だった。
今までいなかった戦場看護婦なる謎の職業を創設し、大陸の各地に軍医を送って最先端の医療を学ばせる。才能ある魔導士たちを育てると同時に魔法院で治癒魔法の研究をさらに進め、三十年以上もの歳月をかけて王国はこの日のために密かな軍備増強を行なっていた。
開戦後、受け身一方のウサギ同然だと思われていた王国が実はとんでもない猛禽類だったということに人々が気づいた時には大騒ぎになった。
負傷兵を短時間で回復させ、再度戦場に赴かせる。魔法技術に長けた王国ならではの戦略だ。治癒の呪文が護符化されたのもこの頃だ。王国のご家庭ではごく普通に使われている魔法技術だが、どうやらこういうのって他の国から見ると少しおかしいみたい。
開戦後明らかになったこうした事実は隣国政府にとっても衝撃だったようだ。なにしろ何人無力化しても数時間以内に王国軍は回復してしまう。いくら殺しても数が減らない。というかそもそも殺せない。
これではまるで悪霊の群れと戦っているようなものだ。
いくら戦っても数の減らない王国軍の軍勢にうんざりし、戦うたびに強くなる王国の騎士たちとのリターンマッチに負け、隣国の兵士の士気は急激に低下していった。
むろん、隣国も植民地をフル回転させて兵力増強を続けている。だが、状況は膠着状態だ。もう二年近く続いているが、この戦争は未だに終わりが見えない。
(…………)
そんなことをつらつらと考えながら黙々と森の中を突っ走る。
やがて、暗い木々の向こうに燦然と輝いているキャンプが見えてきた。
この三年間で夜目もかなり鍛えられている。さすがに真っ暗だとお手上げだが、今日のように月が出ている状態であれば支障はない。暗い森の中からでもキャンプは見える。
すでにキャンプの門は開放され、門の両側には大きな赤十字の旗がはためいていた。まだ珍しいヴェルスバッハ式の
わたしは出動準備を終えている救急馬車の群れの中を駆け抜けると、そのまま手頃なテントのそばに飛び込んだ。
すぐに周囲から院内待機していた戦場看護婦と雑用係の少年たちが駆け寄ってくる。
「瀕死だけど、応急処置はしました。急いで!」
「了解」
二人の少年が持つ担架にウィリーを乗せる。もう一人の戦場看護婦に付き添われながらウィリーは軍医の待つテントへと運ばれていった。
「ふう……」
一仕事終えて思わずため息が漏れる。
「……イリングワース上級曹長、お茶は?」
白い隊服に身を包んだ若い戦場看護婦が熱いお茶で満たされたマグカップ片手に近づいて来た。
「ありがとう。頂くわ」
テント脇に作られた休憩エリアの小さな椅子に腰を下ろす。わたしはもらった熱い紅茶を一口すすった。
あまりのんびりはしていられない。でも、さすがに疲れた。少し休憩したい。
お茶を飲みながら周囲の様子をチェックする。キャンプの中はかなりの数の居残り組の歩兵と騎士が警備に当たり、入口も厳重に守られている。
見ているあいだにも次々と負傷兵が運ばれて来る。彼女たちは負傷兵を同僚に託すと、休みもせずに再び戦場へと駆け戻っていった。
奥の方のテントでは今も治療が進行中だ。ときおりテントが光るのはおそらく大規模な治癒魔法を使っているからだろう。
たとえ意識不明の状態で運び込まれても、兵士たちは数時間のうちに回復し自分の足で歩いてテントから退出する。一定数以上、動ける兵が集まったら新しい小隊を編成して戦場に戻す。これが411衛生兵大隊の方針だ。
「戦況は?」
わたしは隣に控えていた先の戦場看護婦に質問をした。どうやら彼女がわたしの「おもてなし係」に任命されたらしい。
戦場から戻ってきた戦場看護婦への対応は厚遇だ。なにしろわたしたちが戦争の勝敗を別ける
「はい。戦況は良好です。すでに敵部隊の過半数を撃破しました。確保した捕虜については順次
よかった。どうやら状況に問題はないようだ。
「良かった……、ありがと」
自然と笑顔が溢れる。
それを見て、わたしのおもてなし係もにっこりと笑ってくれた。
「はい……グレン大隊長は夕暮れまでには決着をつけたいとのお考えをお持ちのようです」
今回は合計八千人規模の衝突だ。これが一日で終わるのであればそれに越したことはない。
「大隊長は今はどこに?」
状況を聞く限りすでに戦況は序盤を超え、中盤を迎えている。意見具申するタイミングだ。
「大隊長は騎士団一個小隊と共に前線に赴かれました」
大隊長、前線に行っちゃったんだ。まあ、
「そう……」
少し考える。
キャンプには前線の参謀本部が置かれている。だが、学者である彼らにお願いをしたところで最終判断は大隊長に委ねられる。
やはり、直接大隊長に意見具申をした方が話は早い。
わたしはポケットから一枚羊皮紙を取り出すと、手短に用件を書き記した。
折り畳んだ羊皮紙をおもてなし係に渡し、
「馬を出してくれるかしら? 伝令をお願いしたいの。大隊長宛で」
とお願いする。
「了解しました。すぐに騎士団に馬を引いてもらいます」
わたしのおもてなし係は受け取った羊皮紙を片手に小走りに立ち去っていった。
+ + +
「さってと、戻ろうかな」
わたしは飲み終わったマグカップを近くの雑用係に渡すと、勢いをつけて立ち上がった。
お茶を飲んでいる間、わたしのチームのメンバーは帰ってこなかった。おそらく、輸送を他の戦場看護婦に任せて自分達は再び前線に戻ったのだろう。
彼女たちを放っておくわけにはいかない。
「前線に戻ります」
外に向かって歩きながら門を守る騎士たちに敬礼。
「はい。どうかご無事で」
青い騎士団の制服に身を包んだ、十人の騎士たちが一斉に答礼を返す。
「大丈夫。わたしたちは死なないから」
わたしは笑顔で答えると、再び前線に向かって駆け出した。
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