第5話:戦闘開始

 目の前を敵の兵士たちが移動して行く。

 その数二千。馬に乗っている騎士が百人程度、どうやら残りは馬車移動らしい。徒歩の歩兵は一人もいない。

 目の前を暗いエンジ色の馬車が流れていく。わたしはバッグから取り出したカウンターを使い、双眼鏡を構えたまま馬車の数を数え始めた。

(……八〇……九〇……一〇〇……一〇二)

 合計百二両。ざっと考えても一つの車両に二十人程度の兵士が詰め込まれている計算になる。

(…………)

 わたしたちが潜む森の向こう側、街道の反対側には広大な草原が広がっている。この草原はやがて丘になり、そして海へとつながる。


 遅く登ってきた赤い月に照らされ、草原のススキがその足元に不吉な赤い影を作る。


 わたしは双眼鏡を西に向け、敵部隊の末尾を探した。 

(あれ、か)

 どうやら隊の末尾は四騎の騎士たちに守られているようだ。さらに遠くを見通してみたが、この後ろに隊列はない。

(リリス)

 隣からリディアがわたしの肩を叩く。

 今回は戦場が広い。そのためわたしはマリア以外のチームメイトを散開して配置していた。それぞれのメンバーの間隔は百ヤード以上取っている。勢い、お互いに話をするためにはこうやって近づかないといけない。

(行動開始ですか?)

(シッ、まだよ。隊列が通過して騎士団が動くのを待ちましょう)

(了解)

 歩くたびにサクサクと小さな音がする。リディアは再び低い姿勢で自分の持ち場へと戻っていった。


+ + +


 今、六十両目の馬車が目の前を通過した。双眼鏡で確認してみたが、騎士団に動きはない。一般兵も移動を完了したようで、王立陸軍の周囲は完全な静寂に包まれている。


 ガラガラガラ……

 カッポ、カッポ……

 カラン、カラン……

 

 聞こえてくるのは敵部隊の物音だけ。


 静かな草原が緊張に包まれる。


 赤い月に照らされ、草原は意外なほどに明るい。


 八十両目の馬車が目の前を通過した。

 わたしはしかし動かない。

 騎士団と動きを合わせないと。


 九十両目の馬車がわたしの前を通過したとき、騎士団が動き始めた。

 物音を立てないよう慎重に馬を操作し、隊列末尾に向かって十騎の騎士たちが移動している。

 騎士団の馬も今回は重装甲だ。それぞれの馬が分厚い鎧に守られている。

(…………)

 まだ、だろうか? 思ったよりも敵部隊の兵站線が長い。

(このままだと敵の頭を抑えられなくなる……)


 戦闘は突然始まった。

 後ろに回り込んだ十騎の騎士たちが突然加速、全速力で敵の隊列末尾を守っていた敵の騎士に襲いかかる。全員が剣を抜き、ものも言わずに斬りかかる。

 ほぼ同時に背後に残っていた騎士達も立ち上がると、隊列中央目がけて突撃した。


 すぐに馬の背中から湯気が上がる。


 わたしは冷静に王立陸軍の部隊を探した。十個中隊、二千人ほどの王立陸軍がハルバードを構えて敵の隊列先頭を目指しているのがここからでもわかる。残りの中隊はどうやら剣士部隊のようだ。全員が王国のエンブレムの入った片手盾を背負い、長い大剣ロングソードを腰に下げている。

(……どこの部隊かしら?)

 うっかり出かける前に聞くのを忘れていた。双眼鏡で王立陸軍の盾を見る。

(第百三十一歩兵旅団……)

 じゃあ、騎士団は第二十七王立騎士師団か。

 双眼鏡の中で騎士団の鞍を探す。

 見つけた。思った通り、鞍に書かれた数字は27。

 第二十七王立騎士師団、グラムさんの所属している騎士師団だ。

 これが大規模な襲撃だとわかると、完全武装の敵軍歩兵達がエンジ色の装甲馬車の後部ハッチからワラワラと飛び出してきた。

(…………)

 その様子を黙って見つめる。

 すぐに戦闘が始まった。双眼鏡の中で敵と味方が激しく斬り合い、お互いの剣から火花を散らす。馬から騎士が落馬し、その騎士に向かって歩兵部隊が殺到する。


 距離が離れているため音がしない。


(……リリス隊長)

 いつの間に来たのか、クラリスが背後から心配そうに声をかけてくる。

(……まだよ、まだ)

 双眼鏡を覗き込んだまま、わたしはストップを示すハンドサインを後ろに示した。

 開いた手のひらをチームメンバーに示す。


 心配なのは、判る。

 だが、今は待機だ。用もないのに戦場に突撃したらいい標的になってしまう。


 目の前で繰り広げられる戦闘が激化する。

 剣が盾を叩く重い音。敵軍の馬の悲鳴、敵兵の断末魔の叫び。

(そろそろ、ね)

 わたしは隣のマリアにポンチョを脱いで腕章を着用するようにという指示の伝達をお願いした。

 黙ってうなづき、マリアが脱いだポンチョをたたんでショルダーバッグにしまう。


 赤い十字のついた腕章はわたしたちが医療従事者であることを示す大切なものだ。

 赤い十字の腕章を左腕につけ、マリアが前屈みになる。

 他のチームメンバーも同様だ。

 全員が白と赤の腕章をまとい、半腰の姿勢でスタンバイしている。


 わたしはチームの状態に満足すると再び双眼鏡を覗き込んだ。

(それにしても……)

 第百三十一歩兵旅団は良く訓練されている。一言も声を発さず、薄暗い野原の中で次々と敵歩兵を屠っていく。

 対して敵部隊はやかましい。何やら雄叫びを上げながら走っている。

 王国と隣国では使っている言語が違うため、何を言っているのかは判らない。


 騒がしい人たち。


 常々、わたしのチームメンバーには口を酸っぱくして何を言っているのか判らない言葉には耳を貸さないようにと言ってある。


 わたしがキョドッてどうするの。


 と、激しい戦闘が行われている丘の方から王国軍の誰かの大声が聞こえた。

医療部隊メディック! 出番だ! サムの部隊がやられた。瀕死6、重傷23!」

「行きましょう。出撃アグレッション!」

 わたしの号令と共に五人の戦場看護婦が飛び出していく。

 わたしも双眼鏡をベルトのポーチに戻すと全速力で駆け出した。

行けッムーブ行けッムーブ行けッムーブッ!」

 後ろからチームメンバーを叱咤激励する。

 五人は打ち合わせ通りに散開すると呼ばれた方向へと走っていった。

 走りながら同時に数を計算する。瀕死6、重傷23。要搬送者は二十九人。

「こちらからは六人が急行中。要搬送者は二十九人! 増援求む!」

『了解!』

 明後日の方向から声がする。

 すぐにその声は白い戦場看護婦達の姿に変わった。三十人近い戦場看護婦達が全速力でこちらに向かってくる。

 わたしは全力で走っている彼女達を先に行かせると、次に自分がなすべきことを探すために周囲を見まわした。


+ + +


 十分な数の戦場看護婦はサムの部隊とやらにちゃんと送った。

 まだ、他の部隊からの声は上がっていない。

(落穂拾いでもするか……)

 落穂拾いとは戦場に散乱する負傷兵を集めてキャンプに送ることを言う。

 サムの部隊のようにまとめて倒れた場合、友軍の誰かが戦場看護婦を呼んでくれる。だが、斬り合っているうちに一人で倒れてしまった場合、最悪はその場に放置されて失血死するか、あるいは敵軍の捕虜になってしまう。

 これを防ぐため、わたしは積極的に落穂拾いを行う。

 呼ばれたところにはちゃんとチームを送り、自分は居残って拾い残しがないことを確認する。

 危険な任務だが、誰かがやらなければならない。

 それに、一度キャンプに戻って部隊展開がちゃんと進んでいるかどうかを自分の目で確かめたい。

 わたしは姿勢を低くすると、ススキの影から周囲の様子をうかがった。


 いる。いる。それもたくさん。


 今回の襲撃でのダメージが蓄積され始めている。

 ほとんどの負傷兵は軽傷だ。

 だが一人、出血のあまり顔が土気色になっている歩兵を見つけた。

 そばでは相変わらず王立陸軍の二人が敵軍の歩兵三人を相手に斬り合っている。出血で失神してしまったのか、重傷の兵士は地面に横たわったままピクリともしない。


 あの兵士から頂こう。


 わたしは斬り合っている現場をぐるっと迂回すると、敵兵の死角に忍び込んだ。

 斬り合いが白熱している。斬り合う剣から火花が散り、剣が盾を叩くたびに割れ鐘のような音がする。

 わたしは敵兵の背後にゆっくりと立ち上がって自分の姿を友軍歩兵に見せた。同時に協力してくれるよう、目でお願いする。

 斬り合いでグルグル回られたら面倒だ。ここはサクッと回収したい。

 わたしがウィンクすると年長と思われる方と視線が交錯した。

 すぐにわたしの真意に気づき、バチバチ斬り合いながらもパチッとウィンクを返してくれる。


 よし。これでいける。


 ゆっくりと倒れている兵士に接近。自分が常に敵の歩兵の死角に入るよう、用心しながら距離を詰める。


 位置関係は王立陸軍の人たちに任せておけばいい。

 さっきのおじさんはちゃんとわかってくれているのか、斬り合いが回転しそうになるとすかさず横薙ぎの大剣を振るい敵歩兵の位置を元に戻してくれる。


 ジリリ……

 ジリリ……


 もうあと一歩。

 いや、半歩。

 

 わたしの両手が倒れている歩兵に伸びる。

 今!

 わたしはダッシュする要領で一気に距離を詰めると、その場に飛び込んで転がりながら五人の足元から倒れている歩兵を回収した。

 すかさず脱力してしまっているその身体を肩に乗せ、フルスピードで戦場を駆け抜ける。


 できる限り姿勢は低く。

 枯れ始めているススキの束を掻き分ける。


「ぐわッ」

「……おおお……」

「ッ……」


 その時背後から獣のような断末魔の悲鳴が聞こえてきた。

 負傷兵を気にしないで済むようになったからか、どうやら王立陸軍の人たちが勝負に出たらしい。

 結果は吉。

『おーい、ウィリーを頼んだぞ、戦場看護婦の美人さん」

 振り返るとさっきまで斬り合っていた二人が地面にどっかりと座り込み、ひらひらと手を振っている。

 敵兵が動く様子はない。

 ま、友軍の回収が一段落したら様子を見に戻ってこよう。

 もし生きている敵兵がいたら最低限の治療を施して捕虜にしよう。

 それよりも今は負傷兵の回収が先決だ。


 走りながら負傷兵の喉元に手をやってちゃんと生きているかどうかを確かめる。バイタル・チェックだ。死体を持ち帰っても意味はない。ぜひ、ちゃんと生きていて欲しい。

 指先に弱々しいが規則的な脈動を感じる。

 うん。大丈夫そう。これなら助かる。

 血は失ったが、ちゃんとウィリーは生きている。


 わたしは隊服のポケットから治癒の護符を何枚か取り出すと、走り続けながら失神している兵士の傷口にペタペタと貼りつけ始めた。

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