第4話:会敵
「ダベンポート様?」
わたしはマリアを連れて足音を忍ばせながらダベンポート様に近づくと、その背後にしゃがみ込んだ。
今、彼はブツブツと何事かを呟きながら地面にチョークか何かで描いた魔法陣と小さな手帳の中身とを見比べている。
大きな魔法陣だ。直径は十フィート以上あるだろう。こんな大きな魔法陣は見たことがない。しかも陣が複雑だ。初めて見る三重魔法陣。中には六芒星が描かれている。どうやらエレメント(魔法の触媒のようなもの)は石炭のようだ。六芒星のそれぞれの角にこんもりと石炭が積まれている。
「……なにかな?」
ダベンポート様は手帳を見つめたまま、振り向きもせずに答えて言った。
「リリス・イリングワース、上級曹長」
いやだ、なんでわかっちゃうんだろう。まだ自己紹介もしてないし、そもそも言葉を交わしたことだってほとんどないのに。
きっと魔法だ。魔法でわたしの
「はい。第411衛生兵大隊所属、イリングワース上級曹長です。リリスと呼んで頂いて結構です」
階級まで言い当てられてギョッとしたが、それは頑張って表情には出さないでおく。
「あと四名、わたしのチームがダベンポート様の背後の茂みで待機しています」
「ああ。それは気づいていたよ、戦場看護婦さん」
ダベンポート様は音もなく手帳を閉じると、手にしていた万年筆と共に内ポケットにしまった。
どうやら大切な手帳のようだ。取り扱いがとても丁寧。
ダベンポート様はいつもの通り、魔法院の制服に身を包んでいた。黒いインバネスコートに黒いシャツ、黒いリボンタイ。両手は白い手袋で覆われている。肩には勇ましい魔法院のエンブレム。金糸で刺繍された、翼を広げた黒いドラゴンのエンブレムだ。
「リリス君、できればあと三百ヤードほど東に移動してはくれないか? 今回起動する魔法は僕も初めて使う魔法なんだ。どれだけの被害半径になるのか、正直見当がつかない」
ダベンポート様は立ち上がるとポケットから魔法院のベレー帽を取り出した。
向きを確認してから丁寧な動作でそれを被る。
周囲で虫が鳴いている。
東洋人にはこれが音楽に聞こえると言うのだから驚きだ。
わたしにはただのノイズにしか聞こえない。
だが、虫が鳴いているということはまだ敵軍が遠いということを示していた。
虫は周囲の変化に敏感に反応する。虫が鳴いているということは彼らが安心しきっていることの何よりの証だ。
「……移動は可能です。ただ、できますればどのような魔法を起動しようとしているのかだけでもお教え願えませんでしょうか?」
一応確認。
「ダメだ、リリス君。それは言えない」
ダベンポート様はむっつりと黙りこくった。
「きみ、ちょっと考えればすぐにわかるだろう。こんな野っ原でそんなことを話してみろ。誰に聞かれるか知れたもんじゃない」
一応理屈は通っている。
確かに、魔法を起動する前に隣国の部隊に聞かれたら面倒だ。
「了解しました」
立ち上がり、直立不動で敬礼。
(あれ? そう言えばマリア……)
ふと気づき、マリアを見る。
隣りのマリアは本番に弱い。隊舎を出るまではあれだけダベンポート様に会いたがっていたくせに今は真っ赤になって俯いている。一応敬礼はしているが、目線が泳いでいるのが少し可愛い。
ダベンポート様は暗闇の中で答礼を返すと、不意にニヤッと笑った。
「じゃあ合意が取れたということで……リリス君、ちょっと魔法陣のカモフラージュを手伝ってくれないか?」
+ + +
わたしとマリアはダベンポート様が指示する通りに魔法陣の上に薄く土を敷いて白い幾何学模様を隠蔽した。
こういうときダベンポート様は何にもしてくれない。腕を組んでわたしたちに指示を下すだけ。本当に噂に聞いた通り、『人の心の持ち合わせが少し足りない』人だ。
一瞬チームメイトを呼ぶことも考えたが、すぐにそれはヤメにした。今はできる限り目立たないようにしたい。
黙々と作業を続けるわたしたちを見つめながら、不意にダベンポート様が低く呪文を唱え始めた。
わたしたちには到底真似できない特殊な発音。何語なのかすらわからない。
はじめに起動式。
「────」
次いで固有式。
術者:ダベンポート
対象:移動中の敵部隊、第三十五特務工兵大隊
エレメント:マグネット
マナソース:ダベンポート
「────」
これは何度も聞いたことがある。対象物の座標を割り出す呪文だ。
呪文を唱え終わると同時にダベンポート様の手のひらに小さな魔法陣が現れた。
現れた魔法陣が淡く光りながらすぐに右回転を始める。
「……ふん、先方さんも順調のようだな」
やがてダベンポート様は紙屑を丸めるかのような仕草で魔法陣を停止させた。そのまま手を振り、魔法陣を消滅させる。
「リリス君、あまり時間はなさそうだ。我々のターゲットが目と鼻の先にまで迫っている。移動速度はおおよそ時速十五マイル、距離は約一〇マイルだ。あと一時間もかからずにここまで来るぞ」
魔法陣の隠蔽はすでに終わっている。
「ではダベンポート様、後ほど」
ダベンポート様が黙って頷く。
わたしとマリアは立ち上がると駆け足でチームメイトと合流した。
………………
会敵予測時刻が速まった。予測では〇八〇〇時接触予定だったが、現在の時刻は午前四時。あと一時間足らずで敵が目の前に現れる。
「…………」
わたしたちは姿勢を低くして街道脇の灌木の中に潜り込んだ。
ベルトにつけたスコープポーチから魔法院特製の双眼鏡を取り出し周囲を探る。
まだ、敵の姿は見えない。
だが、代わりに騎士団があちらこちらに展開していることに気がついた。青い制服の騎士たちが馬を座らせ、隣で姿勢を低くして待機している。
そのそばに一般兵の部隊が展開していることも確認できた。伝令が届いたのだろう。
わたしとマリア以外の四人には一羽ずつ鳩を持たせている。
一応連絡しておくか。
わたしはポケットから小さな羊皮紙の束を取り出すと会敵時刻が早まったこととこちらの展開が完了していることを簡潔にしたためた。
「キャロル、これお願い」
書き終わった手紙を近づいてきたキャロルに渡す。
「…………」
キャロルは黙ってそれを受け取ると、細く丸めて小さなチューブに押し込んだ。手慣れた様子でキャップを閉じ、チューブを鳩の脚に取りつける。
キャロルが放り投げた白い鳩はすぐにキャンプに向かって飛んでいった。
「……寒いね」
飛んで行った鳩を見送るマリアがブルッと身体を震わせる。
「シッ」
確かに寒い。夏が終わり、季節は冬に向かっている。しかも気温が一番下がる明け方だ。
王国は緯度が高いため冬の訪れがかなり早い。緯度が高いと冬の間の日照時間が短くなる。極夜(陽が登らない夜のこと)にこそならないものの、日の出時刻は遅くなり、上がった太陽は夕方を待たずに地平線の彼方へと沈んでいく。
「リリス隊長、これを」
いつの間に近づいて来たのか、背の高いイングリッドがショルダーバッグから取り出したテルモスの中身をカップに注いで差し出してくれた。
「マリアも。カップ、出して」
「ありがと、イングリッド」
イングリッドのテルモスの中身はいつもと同じ、王国風の甘い紅茶だ。
カップから湯気が上がっている。
「……ダベンポート様、大丈夫かな?」
両手でカップを掴んだマリアが前を見つめたまま、ボソッと呟く。
ダベンポート様の姿はもう見えない。
「大丈夫でしょ。大人なんだし」
その時、わたしは地面が軽く振動し始めたのを感じていた。
「…………」
続けて馬の蹄の音。馬車の車輪の音も聞こえる。
「……来たわよ」
わたしは飲み終わったカップをショルダーバッグに戻すと、チームメイトたちと目を合わせた。
マリア、キャロル、イングリッド、クラリス、それにリディア。
全員が中腰になってわたしの指示を待っている。
「
わたしはチームメイトに待機を指示すると、再び双眼鏡を目に当てた。
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