#3

「こんな場所まで、ようこそおいでくださいました。粗茶ですが、よろしければ」


 小屋に入り、四人がけのテーブルに着くと、従者かなにかなのだろうか、ルーンフォークの女性がお茶を淹れてくれた。その顔立ちは、疲れ切ってこそいないが、ラシェルさんに少し似ている。

 女性はその後、俺達の対面に座っているラシェルさんの横に、無言でじっと待機し始めた。話に参加するというよりは、次の指示を待っているかのようだ。

 ……なんだか、やけに機械的というか……抑揚がなく、感情というものを感じ取れない振る舞いだ。洗脳状態にあったレインちゃんや、簡易ジェネレーターから生まれたローラのそれに近い気がする。


「まずは、手紙を届けて頂いたことと、古い友人を助けて貰ったことに、感謝させて欲しい。君たちがいなければ、この出来事を知ることすらできなかった」


 女性のことを不思議に思っていると、ラシェルさんがまず、小さく頭を下げた。


「どうも。それで、手紙にはなんて……って、訊いても大丈夫な話ですかね」

「構わない。……遠い昔の出来事についての謝罪と、件の遺跡の調査に協力してあげて欲しい、という旨の内容が綴られていた」


 謝罪、というのはよく分からないけれど、とりあえずラザフォードさんの方からも、協力をお願いしてくれていたらしい。


「私は、ディガット山脈を離れる気はないが……君たちへの協力は惜しまないつもりだ。知識や道具を、可能な限り貸し出そう」

「ありがとうございます。では……まず、あの遺跡が一体何なのかについて、教えて頂けますか」


 ルフィナの問いに、ラシェルさんは無言で目を閉じる。……暖炉の薪の鳴らす、ぱちぱちという音だけが、小屋の中に響く。

 それから三秒くらい経って、「あぁ」と小さく呟くと、ゆっくりと瞼を開いて、


「かの遺跡は、魔動機時代に作られた実験都市だ。その目的は大きく分けてふたつ。ひとつは、優秀な機械に管理された都市計画、すべての人が種族や能力による区別なく幸福に生きられる都市を作るために。もうひとつは、死の否定のために」


 死の否定。なんとも不気味で物騒な響きの言葉だ。

 ……なんて、不老不死の身である俺が言うのもあれなんだけ、ど……


「……まさか、すべての人を、ナイトメアのような身体にしようと?」

「当たらずとも遠からず、だな。実際、私と……姉さんは、その被検体として扱われていた。もう何年前のことかも分からない話だ」


 俺と同じことを考えたのか、ルフィナが質問を重ねると、ラシェルさんはそれに頷き、姉さん、と言った辺りで、隣に立つルーンフォークへ視線をやった。


「……その姉さん、っていうのは、もしかして」

「あぁ。……ルーンフォークの身体に、生きた人の魂を移すという、馬鹿げた実験の結果がこれだ。今となっては、あの頃の姉さんの面影は、もう……」


 目を閉じ、項垂れるラシェルさんに、ルフィナは掛ける言葉が見つからないようだった。俺の背筋にも、冷たいものが走る感覚があった。

 魂を移す?他の身体に?


「そんな、ふざけた実験を……操霊魔法だって、魂を他人の身体に移すことは、禁忌としているのに」

「そうだな。身体と魂、どちらかが拒否反応を示せば、その瞬間に立派なアンデッドの出来上がりだ。実際、それで何人もの被害者・・・が出た」


 狼狽える俺達に向けて、ラシェルさんは淡々と話を続ける。薄々感じてはいたが、やはりあの遺跡は、恐ろしい場所であるみたいだ。

 俺達がこの間体験したのは、氷山の一角にも満たないような、本当に極僅かな部分だけだったらしい。


「……とりあえず、遺跡の正体は分かった。今すぐに、地の底に送り返した方が良さそうだってことも」

「そうすべきだ。あのまま放っておけば、やがては外の者まで、遺跡の管理下におかれることになってしまうだろうから」


 苦々しく語るラシェルさんの顔は、怒りに満ちているようにも、諦めがあるようにも見える。

 たぶん……それこそ、数え切れないくらいの年月、あの遺跡の存在に苦しめられてきたんだろう。


「……あの遺跡の調査を進めるなら、ひとつ気をつけておくべきことがある。万が一、遺跡の中で死んでしまった場合の話だ」


 これまでよりも一層険しい表情で、ラシェルさんは俺達ふたりの顔を見る。

 引き返すなら今のうちだ、と言わんばかりの、鋭い視線を携えて。


「あの遺跡の中で死に、魂が身体から離れてしまった場合……それは遺跡に吸い取られ、利用されてしまうかもしれない。運が良ければ、ルーンフォークとして、戻ってこられるかもしれないがね」


 悪かった場合はどうなる、なんて質問はしたくなかった。

 多分……ラシェルさんの姉ですら、運が良い方だったのだろうから。


「だが、魂を移された身体と、元の身体……もとい、死体か。それを私のところまで持って来てくれれば、元に戻すことはできなくない」

「……お世話になる日が来ないことを願いたいわね」

「あぁ。私も、こんな研究成果、活かされないのが一番良いと思っているよ」


 ルーンフォークへ魂を移せるのなら、その逆も然り……か。

 あるいは、姉をもとに戻すために、ラシェルさんが必死で研究した技術なのかもしれないけど。


「……念の為に、これも伝えておこう。あの遺跡に挑まない選択肢もある、という話だ」


 重たい空気から一転、ラシェルさんは諭すように……しかし苦笑混じりの声で、そう切り出した。


「もし君たちが、人の身体のまま死ぬことを望むのであれば、ダイケホーンに移住するといい。人が住むには過酷すぎるディガット山脈は、当時の開発計画には含まれていなかったそうでな。あの遺跡が、大陸全土に侵蝕しない限りは、安全だと言えるだろう」

「……貴女がここに暮らしているのは、そういうことね」

「かもな。もっとも、未練がましく研究を続けたり、こうして他人に協力したりしているのだが」


 あの遺跡に、実験にされるがままではいたくないが、さりとて歯向かうのは怖い……ないしは、もう疲れてしまった。

 その顔には、そんな気持ちが現れていた。


「ダイケホーンに、古い知り合いがいてな。移住の手伝いぐらいはできる。お世辞にも、あまり住心地の良い国とは言い難いが……どうする?」


 その表情のまま、俺達にそう問いかける。

 俺は隣のルフィナと目を合わせ……小さく頷き、正面へ向き直った。


「今の話を聞いたら、余計に放っておけないと思えてきました。だから……山を降りて、もう一度、遺跡に向かいます」

「私も、彼と同じです。それに、魂を弄ぶような行ないなど、神官として見過ごす訳にはいきませんから」


 俺達が意志を表すと、ラシェルさんは「そうか」と、小さく溜め息をついて……銀色の小さな球体をひとつ、懐から取り出した。

 〈マギスフィア〉の様に見えるけど……それにしては複雑な文様が刻まれていて、工芸品のような意匠が凝らされている。


「遺跡を停止させるには、最奥にある管理用の魔動機を破壊しなければならない。そこへ向かうには、遺跡に対して特殊な操作を行う権限を与えられた、特別なマギスフィア……〈コントロールスフィア〉と呼んでいる。これが必要だ」

「先へ進むための鍵、ってことか……それをどこで使えば?」

「コントロールルームだ。そこの装置にこのスフィアをかざせば、別のエリアへ続くゲートが開放される」

「あの装置か……分かりました」


 コントロールルーム。レインちゃんと会った場所か。

 あの装置で、何をすればいいのかは分からないけど……この言い方だと、細かい操作はスフィアの方でやってくれるのかな。

 ともかく、差し出されたそれを受け取ると、ラシェルさんは立ち上がり、


「もし、自らの手では打破できない困難に陥ったならば、またここに来るといい。可能な範囲で、君たちの助けになろう」


 最初に見たときとは別人のような、凛々しい顔でそう告げて、俺達を見据えた。

 やるからには全力。そんな決意を秘めた顔だ。


「えぇ。次は、良い知らせを持って来られるよう、努力させて頂きます」


 その言葉に、ルフィナと共に頷き返して、俺達は小屋を後にした。


 ◇  ◇  ◇


「しかし……予想してたよりも、とんでもない遺跡だったわね」


 帰りの馬車の中、ふと、ルフィナがそう漏らす。


「だな。洗脳とか怪しげな宗教とか、てっきりそれだけのもんだと」

「えぇ、そうね……?……あれ……ラシェルさん、それについての話、何もしてなかったわよね」

「……あっ」


 言われてから気付いた。確かに、魂がどうのこうのという話ばかりで、その辺りの話題は一切出なかった。

 無関係ではない、と思うんだけど……それともまさか、実験とはまた別のなにかが、あの遺跡の中に潜んでいるということか?


「……先は長くなりそうね。最奥部に辿り着くまでに、あといくつ、とんでもない事実が判明することやら」

「はは……俺はもう、あの遺跡の中で何が出てきても驚かないよ」


 お互いに苦笑いを浮かべつつも、『やっぱり行くのは止めにしよう』という気持ちや言葉は、ついぞハーヴェスに到着するまで、出てこなかった。


 それは、使命感とやらによるものなのかもしれないし、あるいは俺達は、とっくにあの遺跡に、魂を───


 ……なんてな。笑えない冗談はよしておこう。


「……また遺跡に挑む前に、もう少し色々な知識と技術を、身につけておいた方がいいかもね。浅瀬であれだと、奥は推して知るべし、だわ」


 遺跡の感想もほどほどに、今後の方針───お互いが、どんな技を磨くのかについてを話し合う。


 さらに奥を目指すなら、今のままでは厳しいのは分かりきっている。どう考えたって、あのバネ植物コイルアイビーなんかよりも強い魔物と出くわすだろうし、罠も一筋縄では行かないものが出てくるだろう。

 ならば、こちらもより強くなり、より対応力を上げるほかない。


「だな。俺は言った通り、魔動機文明語を学ぶついでに、賦術の勉強もしてみようかなって思ってる」

「なら、言葉に関してはそっちに任せるわね。私は……そうね。魔法だけでなく、薬品の扱いについて、学んでおこうかしら」


 薬品については、確かに重要そうだ。いつでも抜け出したり、仮眠を取ったりできる訳ではない遺跡の中では、回復手段がいくらあっても困らない。

 それに、マナを節約できれば、戦闘中など、急を要する場面にそれを回せるようになるし、枯渇を気にして引き返すことになるのも防げる。


「じゃ、それで決まりだな。もう少し余裕ができたら、そうだな……真語魔法とか、学んでみたいけど」

「真語魔法?どうして?」

「まず、光源を確保する魔法がある。剣が当てにくかったり、有効じゃなかったりする相手への攻撃手段も持てる。それ以外にも、なにかと便利な魔法が多いらしいからな」


 ……まぁ、どれも聞きかじった知識なんだけど。

 あいにく、ソレイユの魔法使いなんていうのは、それこそナイトメア以上の希少存在であるため、里の誰もまともに学んではいなかった。

 だからせいぜい、詩や伝承の中で語られているのを聞いたくらいのもので、実際に目にしたことはまだ一度もない。


「まぁ……そうね。真語魔法は、遺跡の探索において、かなり有用性が高いし。それにエルレウムなら、適性もある・・・・・しね」


 それからそう、ナイトメアの身体は、魔法の適性が非常に高い。

 ……あんまり、それを嬉しいと感じたことはないけどな。今のところ、人生で一度もそれを活かせたことがないし。


「あぁ。……人前であの姿になるの、あんまり好きじゃないけどね」


 それに……蛮族みたいな見た目になるんだよな、その力を発動している間。


「大丈夫よ。私は気にしないから」

「いや、俺の気持ちの問題なんだけど……?」

「なら、尚の事問題ないじゃない。それとも、それは命より優先される理由なの?」

「……仰る通りです、はい」


 幸いにして、ルフィナはあんまりそういうのを気にしない───簡易ジェネレーターの時も思ったけど、もしかすると羞恥心というものが薄いのかも───タイプなので、変に恐れられたりはしなくて良さそうだけども。


「冗談よ。……どうしても嫌なら、無理強いはしないわ」

「いや……大丈夫。命には代えられないよ」


 とは言え、やっぱり気乗りしないんだよなぁ……まぁ、相手の抵抗を突破する必要のある状況でなければ、無理に使わないでもいいかな。うん。


 そんな後ろ向きな決意を乗せて、数日後、俺達はハーヴェスへと無事帰還。

 それから三日ほど、座学のための時間を取ろうと決めて、それぞれ別行動をした後、ギルドに再集合することに決めたのだった。

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