#2
ハーヴェスを出てから二日目の夕方頃。そろそろ日の沈む頃だろうか、と思っていると、馬車がゆっくりと動きを止めた。
「着きましたよ。お二人さん」
馬車の御者さんにそう告げられて、俺は幌を開けて外に出てみた。
すると───進路の先には、ハーヴェスのものに負けずとも劣らずの、立派な城塞都市の外壁が見えていた。
「ディガッド唯一の都市国家、ダイケホーンです。既に冒険者ギルド支部の方に、伝書鳩が到着しているそうなので、今晩はそこで部屋を借りましょう」
「分かりました。……しかし、寒いわね」
俺に続いて馬車を降りたルフィナが、小さく身を掻き抱く。
今日の昼頃の時点で、厚手の革コートとブーツ、それにミトン───出会ったときに編んでいたものだ。馬車の中で完成させていた───を着けて、マフラーを巻いて……となかなかの重装備をしていた訳だが、それでも身体を震わせている。
「……あなたは、随分元気そうね。なにか対策をしていそうな訳でもないのに」
「俺は、まあ……里のみんな、一年中軽装で暮らしてたからな。慣れちゃったかも」
一方俺は、たいして変わっていない格好だった。アンダーアーマーの上にシャツとジーンズ、その上から
故郷の里だったら、これでも『寒がりだな、エル坊は』と言われていたんじゃないだろうか。あの人達、吹雪が来てようやく防寒具を着るからな……
さておき、俺達は馬車と共に簡単な検問を受け、無事に許可を得ると、壁の内側へと通されることになった。
街並みは……正直、あまり豊かなものには見えない。住民百人に満たないくらいのセーヌ村より、少し発展しているだろうか、といった具合だ。
厳かな雰囲気を醸し出している石造りの住居はみな、しん、と静まり返っている。そろそろ夕食時なんだから、楽しげな会話だとか、お腹の空く匂いだとか、そういうものがあってもいいはずなんだけど。
通りを歩いている人も殆どおらず、なんというか……寂れている、とまでは言わないが、なんだか寂しい雰囲気を感じる。
「ダイケホーンは、厳格な教えの中で生きている国なの。ハーヴェスと違って、人の出入りもとても少ないから、他の国との文化交流もあまり進んでいないし、娯楽も殆どない。戦いの知識は豊富らしいけどね」
呆気にとられている俺を見たルフィナが、そう教えてくれる。流石はディガッド生まれディガッド育ち、地元の知識については一家言ある、って感じだ。
しかし、厳しい教えの中で生きていて、ちょっと閉鎖的なところ、か……
「……ルフィナの故郷も、こんな感じ?」
「んー……ここの方が、理に適った文化である分、少し優勢、ってところかしら」
優劣を訊いたわけではないんだけども。……まぁいいか。
ルフィナは皮肉な笑みを浮かべると、それ以上言葉を続けずに、御者さんの方へと向き直る。
「早いところ、宿へ向かいましょう。他に寄っていきたいと思える場所も無さそうだわ」
「えぇ。あちらです、足元にお気をつけて」
凍った街路の上を、足を滑らせないようにしながらゆっくりと進むふたりの背中を、俺も追いかけることにした。
◇ ◇ ◇
「ここから先は、とても馬車では進めませんので。済みませんが、現地の方に行き方を尋ねて頂ければと」
次の日、御者さんは俺達にそう告げた後、宿での留守番を申し出た。
雪の残る道、それも山の中を馬車で行くのは、かなり危険な行為だ。滑り落ちて転落死、という流れが容易に想像できる。
ということで、まずはギルド内で聞き込みをしてみようと考え、俺達は受付へと向かったのだが、
「ラシェルさん、ですか?……えぇ、ご自宅の場所は存じておりますが……手紙を預かっている?はぁ……変わった人がいたものですね」
受付さんの反応は、なんとも訝しげなものだった。どうやらラシェルさんは、あまり社会的信用というものが無い人であるらしい。
……知名度も無いし、信用も無い。けど、怪しげな遺跡について知っている……
「もしかして、あんまり会っちゃいけない人だったりするか……?」
「……すごい失礼な気がするけれど、そうね……今のところ、あまり安心できる要素が見当たらないわね」
ルフィナも俺と同意見らしく、眉をひそめていた。
ラザフォードさん、まさか俺達のことを嵌めた訳ではないよな……?
なにはともあれ、道のりを教えてもらうことはできたので、御者さんにそれを伝えた後、俺達はダイケホーンを出て、山脈のさらに上を目指すことにした。
相変わらずの寒さだが、日中であればそれほどでもない───とルフィナが言っているので、そうなんだろう───ため、日が落ちる前に辿り着きたいところだ。
実際に山を登った経験は殆どないが、暗闇の中での登山は、かなり危険なものだと聞いている。道を踏み外してしまう可能性が高まるし、松明を手にしたままでは、咄嗟のときに両手を使うことができないから、だそうだ。
私は別に問題ないんだけどね、とルフィナは言ったけど、そこで『じゃあ一人で行ってきてよ』と返せば、間違いなく好感度が爆下がりとなるのは目に見えていたため、大人しく同行することにした。
「しかし……ただでさえ人の出入りが少ない土地なのに、街から随分離れたところに住んでいるのね」
道中、ルフィナがそう零す。確かに、俺も同じことを思っていた。
「人に会いたくないとか?……にしたって、もっといい場所があると思うよな」
「あるいは、簡単に会いに来られる場所だと困る……のかもね」
「はは……怖いこと言わないで欲しいぜ」
いよいよ、怪しげな実験でもやっているんじゃなかろうか、という疑いの心を持ってしまう。
まぁ……本当にヤバい人だったら、ギルドで聞いた時点で止められてるか。うん、きっとそうだ。
「……あ、見えてきたわね。あの小屋がそうじゃないかしら」
ふと、ルフィナがそう言って、先を指差す。そこには、ダイケホーンで見たのと同じような外観の、石造りの小さな建物があった。
「歩きで二時間弱か……食料とか、どうしてるんだろうな。買い物のたびにこんな道を往復する気にはなれないぜ、俺だったら」
「私も同感だわ。可能であるなら、引っ越しを薦めておこうかしらね」
やがて小屋の前まで辿り着き、周辺を確認してみたが、びっくりするくらいに何も無い。あるとすれば、眼下に絶景が広がっているくらいのものだ。
これがデートだったら、雰囲気を盛り上げるための、ロマンチックな一言をビシっと決める場面なんだろうけど。今求められているのは、本当に進むべきか否か、という問題への意見の提示だろう。
「念の為、まずは俺が一人で行くよ。万が一の場合は、ルフィナはダイケホーンまで戻って、応援を呼んできて」
「……分かった。よろしくね」
簡単な作戦会議の後、俺は小屋の扉の前に立つ。呼び鈴の類は見当たらないので、とりあえずノックしてみるか。
「御免ください。こちらに、ラシェルさんという方がお住まいだと聞いたのですが」
扉を叩きながら、少し大きめの声でそう呼びかけると、中から僅かに足音が聞こえた。とりあえず、不在ではなかったみたいだ。
そのまま十数秒ほど待つと、ようやく扉が開かれて……その向こうからは、黒尽くめのローブ女性が一人、姿を現した。
そんな角と、顔全体を覆うような銀色の長い髪───ルフィナと同じかそれ以上───は、手入れを全くしていないのがひと目で分かるくらいにぼさぼさで、顔もなんだか疲れてきっている。
一方で、扉を抑えている手は、いたって健康的……と言っても、ナイトメアだからちょっと色白ではあるんだけど。ともかく、全然老いては見えなかった。
「……いかにも、私がラシェルだが。ご要件は?」
そんなラシェルさんは、どんよりとした声で、俺の顔色を窺うようにしながらそう尋ねた。
なんというか……危ない人というよりは、危ない目に遭わされて来た人、という雰囲気だ。それにしたって、陰鬱すぎるようにも思えるけど……
『お前……ナイトメアの癖に、なんか陽気というか……逆に不気味だな』
ふと、数日前に言われた言葉を思い出す。
世間一般的には、これが正しいナイトメアの姿、といったところなんだろうか。
「貴女宛てに、手紙を預かっていまして。ラザフォードさん、という方からです」
なるべく怖がらせないように気をつけつつ、俺は精一杯のにこやかな笑みを浮かべながら、件の封筒を差し出す。
ラシェルさんは、その差出人の名を確認すると、おそるおそる、それを手に取り、
「……確認する。少し待っていてくれ」
そう言って、扉を閉めてしまった。
ラザフォードさんが、手紙に何を書いたのかは知らないけど……どうすればいいんだろう、この後。
「……少なくとも、私達が何かをされる心配はなさそう、かしら」
扉の閉まる音を聞いてか、死角で待機しているルフィナがそう言った。一安心した、というような語気だ。
「まぁ……そうだな。何かするつもりだったら、俺はとっくに小屋の中に引きずり込まれてる気がするよ」
「それはそうね。ちなみに、どんな雰囲気の人だった?」
「あー……俺と真逆、って感じのナイトメア、かな」
「つまり、一般人のイメージするナイトメアってことね。大体分かった」
やはり俺の予想は正しかったようだ。あれをスタンダードとするなら、確かに俺はだいぶ不気味であるのかもしれない。
まぁ……確かに、普通はラシェルさんみたいになるものなんだろうな。なにせ殆どの場合、この角が原因で、母親を殺してしまうそうだから。
俺を産んでくれた母さんは、ピンピンしてたけど。吟遊詩人曰く、『ソレイユの強靭な肉体だからこそ為せる技、ですね』とのことだ。
「……お待たせしました。……宜しければ、どうぞ、中へ」
そんな事を考えていると、再び扉が開かれ、そう言われた。
手紙の内容やラザフォードさんについてでも、話して欲しいのだろうか。
「分かりました。……あ、もう一人いるんですけど、大丈夫ですかね?」
「……構わない。手紙にも、二人いる、と書かれてた」
どうやら、俺達のことについても、手紙の中で語られていたらしい。
すると、セーヌ村に泊めてもらった時にでも書いたんだろうか。
「だってさ。出てきていいよ、ルフィナ」
「……ごめんなさい。騙そうとした訳ではなく、少し不安だったもので、このような真似を」
「構わない。……あまり、人と接しないようにしてきたからな……街の人達から、不審に思われていても仕方がない」
ひとまず、俺達はラシェルさんの事を信用し、小屋の中へ入ることにした。
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