第二章 銀嶺の賢者と愚者の遺産
#1
無事に〈旅カラスの止まり木亭〉へと戻ってきた俺達が、さっそくカウンターで依頼の報告をしたところ、
『これは……ジャスティンさんに、直接話をしてもらった方が良いかもしれません』
受付の職員さんにそう言われて、カウンターの奥にある、ギルド長室へと通されることになった。
豪華すぎず、しかし上品な雰囲気を感じる部屋の壁面には、大量の書類や書籍が収められたキャビネットがいくつも並んでいる。あまり活字に耐性のない俺にとっては、見ただけで目眩がしそうな光景だ。
そんな部屋の中央やや奥側、仕事用のデスクでなにかの書類に目を通している、黒い鱗と翼を持つ
「───なるほどぅ。依頼としては、無事解決となったものの……追加の調査隊を送らなければならないなぁ」
ジャスティンさんは、俺達が遺跡の中で見たものの報告を聞くと、顎に手を当てながら、のんびりとした口調でそう零した。
やはり、あの遺跡をあのまま放置するつもりはないらしい。当然といえば当然だ、はっきり言って、遺跡の調査自体は、殆どできていないと言ってもいいのだから。
「とはいえ、すぐには動けないね。大型の依頼となれば、ハーヴェス中のギルド支部に共有して、連携を取る必要があるから」
「じゃあ、俺達は遺跡にとんぼ返り……とはならなさそうですかね」
「そうだなぁ。少なくとも、準備に一週間は掛かると思ってくれていいよ。気になるかもしれないけど、決して、独断で調査に向かわないようにね」
ギルド長にそう釘を刺されては、勝手なことはできない。
俺はその言葉に頷いてから、「では、報告は以上になりますので。失礼します」と、部屋を去ろうとしたのだが、
「あ、最後に……ジャスティンさん。ラシェル、という方をご存知ですか?ディガッド山脈に住んでいる方らしいのですが」
ルフィナは、ラザフォードさんから受け取った封筒を取り出しながら、そう尋ねた。その問いに、ジャスティンさんは首を横に振る。
お偉いさんや著名人の顔と名前に詳しかろうギルド長でも聞き覚えがないということは、そういう類の人ではないのかな。
「いいや、聞いたことがないねぇ。遺跡と、何か関係のある人かい?」
「はい。遺跡の調査に協力してくれた、ラザフォードさんという学者の知り合いだそうで。彼女宛ての手紙を預からせて頂いています」
「なるほど。しかし……協力を求めようにも、私は暫くの間、街を離れる訳にはいかなくなるだろうからなぁ」
どうしたものかなぁ、と続けて、ジャスティンさんは困り顔になった。
ギルドからすれば、遺跡について知っている人の存在を、無視することはしたくないだろう。調査への協力を要請したいに違いない。
しかし、ここからディガッド山脈……しかもその山頂付近までとなると……距離こそそこまで遠くはないが、なにせ年中雪が積もっているところだそうなので、往復にはそれなりの時間が掛かってしまうことが予想される。
そんな場所へ、これから忙しくなるジャスティンさんが向かおうとするのは、少し無理のある話だ。
「でしたら……手紙を届けるついでに、私達が伺わせて頂いても?」
悩んでいるジャスティンさんに───なんとなく、そう言うつもりだったんだろうとは思っていたけど───ルフィナが提案した。
「君たちが?……確かに、今のところギルド内で、遺跡について一番知っているのは君たちだし……うん。君たちが良ければ、そうしてもらおうかなぁ」
それを聞いたジャスティンさんは、目をぱちくりさせたのち、にこりと微笑みながらそう返す。
リルドラケンでギルド長、という情報に反して、なんというか……のほほんとした人だよな。
リルドラケン、それも男性なら、もっとこう……俺の故郷の雰囲気に近い人を想像してたんだけど。
「分かりました。ちなみに、これは依頼の延長線上、という扱いに?」
「そうだねぇ。救助依頼自体の報酬は、確か……500ガメルか。調査報告に対しても、別途上乗せの報酬を出さないとだから……合わせて、一人当たり4000ガメル。どうかな」
くだらないことを考えていると、ジャスティンさんがそう言った。確かに、これは本来の依頼の内容からは大きく外れているからな。
だから、4000ガメルが追加で支払われる…………えっ、4000ガメルが追加で支払われる???
「け……結構な大金じゃありませんか?そこまで大したこともしていないのに」
流石のルフィナも驚いたようだ、本当にそれでいいのか、と言わんばかりに、ジャスティンさんにそう問い返す。
もともとの依頼の報酬額を見てもらえれば分かる通り、4000ガメルなんて、駆け出しの冒険者が一回の依頼でもらえる額ではない。……と思う。
先ほど通り過ぎた掲示板に張り出されていた依頼で言うと、ドレイクが率いる蛮族部隊の拠点を制圧するとか、デュラハンに命を狙われているので助けて欲しいとか、それくらいの依頼でようやく、4000に届くか届かないか、といった具合だ。
「いいのいいの。それに、またあの遺跡に行くんだったら、もっと装備を揃えておいた方がいいと思うしねぇ」
「で……では、先行投資して頂いたと思って、ありがたく頂戴します」
なのだが、ジャスティンさんはにこにこ顔でそう答えてみせる。
その様子を見て、ルフィナも諦めたらしい、お礼を言うことを選択していた。
「ありがとうございます。いやぁ良かった、賦術を学ぼうかと思ってたんですけど、500ガメルじゃ道具を買うにはちょっと厳しくでっ」
俺も感謝を述べつつ、そんな言葉を口にすると……ルフィナに思い切り、足を踏みつけられた。
おそるおそるその表情を確認すると、横目でこちらを睨みつけているところだった。その視線に、『余計な事を口にするな』というメッセージが込められているのを読み取って、俺は大人しく口を閉ざした。
だって……500ガメルじゃ、それ以外の買い物をする余裕がなさそうだなって思ったんだもん……
「ははは。わかるよぉ、良い道具、良い装備というのは、値が張るのが常だからね」
ジャスティンさんは、今の一瞬でどんなやり取りがされたか察しがついているのか、俺たちの顔を見てカラカラと笑う。
「それじゃあ、そのラシェルさんという人のこと、任せたよ。君たちが帰ってくるまでには、遺跡調査の依頼を、正式に発行しておくからねぇ」
気をつけてね、と最後に添えられて、ひとまず話はおしまいになり、俺たちはギルド長室を後にした。
「……あなたね。いくら温厚な人だからって、報酬にケチをつけるようなこと言うものじゃないわよ」
「す……すみませんでした。ほんの出来心だったんです」
……ついでに、厳しい指導を受けることになりながら。
◇ ◇ ◇
ディガッド山脈は、先述の通り雪山である。麓の近くも、雪こそ積もっていないものの、気温はかなり低くなる。
初夏の日中だというのに、まるで氷室の中のような冷たさを肌に感じながら、俺たちは登山用の道の上で、ギルドが手配してくれた馬車の中、向かい合って座っていた。
幌が張られており、車輪も丈夫な物が使われているのか、山道を行っているにも関わらず、そこまでの揺れを感じない。
俺が里からハーヴェスへ来る時に乗せてもらった馬車は、整備された街道を進んだはずなのに、今乗っているものよりも揺れていたのだから、実に驚きだ。
「そう言えば、ルフィナの故郷はディガッドの麓にあるって聞いたけど。帰りにでも、少し寄っていく?」
その道中、ふと職員さんから聞いた話を思い出した俺は、そう聞いてみたのだが。
「大丈夫よ。……と言うか、ほとんど家出したようなものだからね。今更帰れないかも」
ルフィナは涼しい顔でそう返し、幌の覗き穴の向こうに広がる空を見つめる。
家出か……意外だな。神官なんだし、なにか使命や目的があって、冒険者をしているんだと思ってたんだけど。
「なんで家出したのか、っていうのは、訊いても大丈夫な話?」
「別にいいわよ。と言っても、そんなに多く語れることもないけどね」
ルフィナは視線を俺に移すと、つまらなそうな顔をしながら、
「スノウエルフが、稀少種族なのは知ってるわよね」
「あぁ。普通のエルフの一万分の一とか、なんとか」
「そう。だからか知らないけど。里の老人たちは、選民思想が強いわ、しきたりに拘るわで。外の世界と関わることを良しとしなかった。そして私は、アーデニ様の教えを守るためには、里の中に留まるべきではないと思ったの。最後に背中を押してくれたのは、偶然里を訪れた、グラスランナーの詩人だったわね」
そう言って、首に下げた聖印に触れる。
……大変申し訳ないが、俺はその教義というのを知らないので、相槌を打つに打てない。どうしよっか。
「……綻びを結び、擦り切れを布で綴れ。破綻した物事を整え穴を埋め、綻びを補え。……アーデニ様の格言よ。覚えておきなさい」
そんな思考が顔に出ていたのか、呆れたようなため息と共に、補足を挟んでもらえた。
しかし、そうか……神官というのは、大前提として、神様の教義に反してはならないんだったな。
するとやはり、アーデニ様の神官であり続けられているルフィナは、慈愛の心を持っている、とても優しい人なんだろう。
「な……なに?突然にやにやして」
「いや。やっぱりルフィナって、優しい人なんだなって」
「今の流れのどこにそう思える要素があったのか、分からないんだけど……?」
本人にその自覚はないみたいだけど。
もっとも、自分から『私はとても優しい人です』と名乗り出るような人もいないだろうから、この反応は正しいのかもしれない。
「まぁいいわ。それで……いつかは、世界中を旅しながら、困窮に苦しむ人達の助けになれたら、と思ってね。冒険者になったのは、実力と資金を得るためね」
そうして一通り語り終えると、ルフィナは無言でこちらを見つめてきた。……あれはたぶん、『私が話したんだからあなたも話すべきよね』という目だ。
「俺の方は、本当に大したことない理由だよ。旅をして、強くなって、里に戻る。たったそれだけ。強いて言うなら、里長様から『戦う力だけが"強さ"ではない。真の強さとは何であるか、まずはそれを探求せよ』って言われてる」
「ソレイユらしいわね。……それで?真の強さとやらが何なのか、分かりそう?」
「さっぱりだな、まだ。けど、闇雲に考えても答えの出ない問題だと思ったから、とりあえずは純粋な武力を高めてみようかなって」
「そう。それなら、今後もその調子で強くなっていってもらおうかしら」
言って、小さく微笑む。
……今後も、ってことは、しばらくの間は、俺とパーティを組んでくれるつもりでいる、ってことでいいのかな。
冒険者のパーティというのは、短ければ依頼一回限り、長ければ死ぬか引退するまで続くという、非常に両極端なものらしい。
そして俺達の場合も、それこそ依頼の内容次第───おそらくルフィナが気乗りしない、蛮族退治とか───では、解散となる可能性もあるはずだけど。
不思議と、俺達の関係は長いこと続いていくんだろうな、という確信を、心のどこかで持っていた。
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