第2話:マリウスのハンマー
亜光速飛行の実験が成功すると、次にリーシャとテロン宇宙軍が取りかかったのが、星間航法船の建造だった。建造には2年を要した。
テロンの工業力では、全長100メートルの船体を建造するのがやっとだった。大半は燃料の水素。それに核融合炉と人工重力発生装置。居住区は10メートルほどしかない。
ちなみに、この船の推進力では、直径100キロメートルの小惑星の進路を変えるには力不足だ。やはり星の人を頼るしかない。
旅は、片道となる。月の落下まで8年を切った。めいっぱい加速しないと間に合わない。帰りの燃料を残した経済的な運航、では時間切れになってしまうのだ。
6年かけて「女神の星」へ赴く。
到達したらどうなるのか。分からないが、見通しは厳しかった。星の人にコンタクト出来るのか。月の移動を受け付けてくれるのか。要請に応えてくれたとして、帰り道のあてはない。
リーシャが「私も派遣団に参加します」と表明すると、当然ながら周囲は猛反対した。
だが、リーシャは言った。
「座って報告を待つのは、もう嫌なんです。
それに、未知の世界があるのなら、私自身の目で、見に行きたい」
それでもなお、当主の父親は反対したが。
「生還の見込みが立たない、絶望的な任務です。
ドゥルガー家自らが、血を流す覚悟で臨まずに、献身を期待できますか」
最後はそう言い放って、説得した。
リーシャの覚悟に応えるように、同行を申し出る者が現れるようになった。
こうして、8名からなる派遣団が、結成された。
リーシャの参加が裁可された時点で、サンジヴは自身の参加も決めた。
「あなた、本当にいいの?」
とリーシャが問うと、
「私がリーシャの身辺警護の責任者ですから」
とだけ答えた。
「色々とカッコいいことを言ったけど、実は、
好きでもない人と結婚させられるのが、嫌だったの」
リーシャは、秘密を打ち明けるように言った。
「誰か好きな人がいらっしゃるのですか?」
はにかむだけで、問いに答えは無かった。
「あと、誰にも邪魔されずに、好きなドラマや映画を観たかったの。
家ではチェックが厳しくて」
「6年ありますからね。娯楽メディアだけは大量に用意します」
「一緒に観ましょう。解説をお願いね」
派遣団が出航した時、月の落下は、あと7年に迫っていた。
**
テロン時間で6年後。派遣団は「女神の星」恒星系に到達した。
光学観測すると、恒星圏内では、複数の艦船が航行していた。
ビデオ通話が来た。
「貴船は駅の管制領域に進入しています。所属と船名を報告してください」
通話に現れた女性はコカーレンと名乗った。これは過去の記録と一致した。
銀河ハイウェイには、艦船の通航を助ける「駅」が設置されている。その駅を管理するMI(機械知性)がコカーレンだ。女性の姿はコミュニケーション用のアバターであって、人間ではない。
事務的な態度ではあるが、それでもリーシャに向けて微笑んでくれた。
「テロン共和国から来た、アーナヴ号です」
「え、テロンですか?」
コカーレンの表情から笑顔が消えた。警戒するように腕を組んだ。
「テロンをご存じですか?」
「それはもう。私の管制領域で、散々海賊行為を行ってましたから」
リーシャは内心慌てた。都合の悪いことは歴史から抹殺されていたようだ。
動揺を押し隠して、リーシャは小惑星の件を説明した。
「ああ~。ハンマー案件の一つですかね」
「何ですか?」
「いえいえ、こちらの話です。
確認しますので、その場で停船して、お待ちください」
リーシャは、エネルギーと食料の補給をお願いした。
「事情が事情ですから認めますが。
勝手に駅構内に侵入したり、センサーをハッキングしたりしないでくださいね」
コカーレンの案内で、「駅」に接近する。
H字型をした、巨大な建造物だった。長辺は100キロメートルもある。
駅の周辺にも何隻か船がいた。どの船も、駅中央付近の埠頭に接舷している。
だがアーナヴ号は、一番端の埠頭に誘導された。
警戒されてはいるが、直ぐに食料・水・空気と電力が提供された。
翌日、コカーレンは、監視付きで、駅への入場も認めてくれた。
女性の兵士3名がやってきて、銀色のエアカーで駅中央まで運んでくれた。
驚いたことに、駅構内には青空が広がっていた。
「あれは映像ですよ」
女性兵士が笑いながら空を指さした。本物ではない。それでも、本当に地上に降りたかのような、リアルな風景だった。
6年間、狭い宇宙船で暮らしていた派遣団の一行は、とてつもない解放感を味わっていた。
駅構内には、ショッピングモールまであった。兵士たちも散策を楽しんでいる様子だ。
様々な衣装を着た男女が行き交っている。星の人以外の国の人も、この駅を利用していた。
食物を売る屋台を覗きながら歩く。
ふと気づくと、リーシャとサンジヴは、2人で取り残されていた。
「急ぎましょう」
サンジヴが急かす。だがリーシャは首を振ると、おずおずと彼の腕を掴んだ。
「・・・」
無言で見つめ合う。
サンジヴはリーシャに近寄ると、力強く抱きしめた。
リーシャも、背中に手を回した。
「静かな場所を探しましょう」
サンジヴが囁いた。
「静かな場所?」
「この駅には、男女の旅行者がいます。
きっと、2人きりになれる場所が、あるはずです」
「そ、それって・・・」
駆け寄る足音が聞こえ、2人は慌てて離れた。はぐれたことに気づいた団員と兵士が、戻って来たのだ。
「リーシャ様! 大丈夫ですか、顔色が真っ赤ですが」
「だだだ大丈夫です何でもありません!」
サンジヴはわざとらしく咳払いした。
「リーシャ様を一人にしたら、危ないじゃないか。
私がいたからいいものの。みんな、気をつけてくれ」
いや、お前が一番危ないだろ、と全員が内心で呟いていた。
2日後。リーシャは再び、コカーレンからのビデオ通話を受けた。
「行政側に確認が取れました。
これはいわゆる、引継ぎミス、という事態ですね」
小惑星を設置する方法は、脅迫以外の何物でもないのだが。
当時の星の人は、「誰も殺さずに、怪我人すら出さずに、相手を説得できる、とても平和的で効率的なやり方」と考えた。
発案者の名を取って「マリウスのハンマー」と名付けられたこの方法は、その後の外交交渉で多用されたのだった。
しかし。星の人帝国は、技術と軍事力は超越しているが、運用がいい加減な「残念な銀河帝国」である。
小惑星回収の約束が引き継がれない案件が続発し、社会問題になっていた。
「本来なら、私たちMIが、ちゃんと補佐するんですけどね。
マクシミリアン帝の御代に、行政MIに混乱がありまして。
ご心配をおかけして、申し訳ございません」
コカーレンは、頭を下げた。
礼儀正しい、良く出来たMIだ。
「ちょうど付近を航海中の艦船を、呼び寄せています。
この船が、小惑星を移動させることになりました」
「船はいつ、来るのでしょうか?」
「数日後に到着します。そうしたらすぐに、テロンに向かわせます」
これを聞いて、リーシャは安堵のため息をついた。
「案件の続発を受けて、標準の補償パッケージが用意されております。
お好きな方をお選びください。
電力百年分か食糧百年分です」
最近は落ち着いてきたとはいえ、惑星テロンは慢性的な人口過密状態である。
食糧の提供は魅力的だ。
「食糧は、どんなものが提供されるんですか?」
「戦闘糧食、それも特定のフレーバーが大量に余ってまして。それを提供します。
必要な栄養をバランスよく備え、調理は不要。長期保存も可能な、優れた糧食ですよ」
「味の方は、いかがでしょうか?」
一瞬の間があった。
「まずいです」
サンジヴが質問した。
「電力の方は、何か問題はありませんか?」
「そうですね~。電力での補償は、昔から度々行われています。
無償の電力供給に押されて、発電産業が壊滅するんですよね。
どの
「あの、電力の方は、止め忘れたりしないんですか?」
「いいえ。期日にきっちり止まります。
ちゃんと、事前通告もありますよ。
『明日で終わりです』といった感じで」
下手をすると、惑星規模の停電が起きそうだ。
短期的には、色々な事故や混乱につながるだろう。
長期的には、大量の凍死者や餓死者が発生しかねない。
「どちらがいいかしら?」
「電力をもらって、宇宙での利用に限定してはどうですか。
そうすれば、地上の産業との競争も、回避できるのでは」
「そうね・・・今後の実験でも、エネルギーは大量に必要だし」
リーシャは、電力をもらうことに決めた。
「さて。本日の連絡事項は以上です。
ここから先は、私の個人的なお願いになるのですが、いいですか?」
「何でしょう?」
コカーレンは、ドラマなどの娯楽メディアを所望した。
「お休みの日に観るんですか?」
「私は365日24時間稼働しています。
ただ、処理能力は余っているので、仕事しながら観ますよ~」
リーシャはすぐに承諾しようとしたが、それをサンジヴが止めた。
2人で、しばし相談した後。
「娯楽メディアの対価として、私たちもテロンに送り返して頂けませんか?」
ダメ元で要求してみた。
「いいですよ」
あっさり了承された。
「船が来たら、テロンまでの臨時ワープゲートを開きますから。
駅には貨物を送る機能もありますので、一緒に送ります」
「ありがとうございます!」
娯楽メディアは、臨時ワープゲートが開かれた段階で、渡すことになった。
どんな作品があるか知りたい、と言われたので、予告編と1話だけ提供した。
翌日。サンジヴはコカーレンから通話を受けた。
「『バックグラウンド・ラディエーション』が、すごく面白そうですね!
ファーストシーズンだけでもいいから、先に見せてもらえませんか?
気になって気になって、仕事に手がつかなくて」
最後のは冗談だろうが、サンジヴは苦笑した。
「夜、リーシャに相談します」
「よろしくね」
通話後、コカーレンはふと思った。
「夜、というのが、ちょっと気になりますね。
私、恋愛ドラマとか、ミステリーものとか、視聴しすぎなのかしら?」
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