リーシャと、星を継ぐもの
蒼井シフト
第1話:赤方偏移
惑星テロンの人々は困っていた。有り体に言うと、破滅の危機に瀕していた。
月の「落下」が、迫っていたからである。
今から100年ちょっと前。突如、異星人が来訪した。帝国、または「星の人」と呼ばれる人々である。
彼女たちは、銀河系中で「銀河ハイウェイ」を建設していた。建設以外には興味が無く、他の国とも没交渉ぎみである。
そんな星の人が、わざわざやって来たのは、テロンの一支族が、帝国資材を略奪したのが原因だった。
素直に「ごめんなさい、もう盗りません」と言えば良かったのだが、当時の惑星政府は、言を左右して時間稼ぎをした。
すると、しびれを切らした星の人は、直径100キロメートルの小惑星を曳航して、ポンと惑星テロンの近くに置いたのである。
(ちなみに、惑星地球の恐竜を絶滅させた隕石は、10キロメートル程度だった)
小惑星は、「新しい月」と呼ばれることになった。
慌てた惑星政府は、略奪停止に合意した。だが、小惑星はそのままだった。
惑星テロンの重力に引かれて、少しずつ落ちてくる。
「合意を100年遵守したら、小惑星を安全な場所に動かす」
そう言って、星の人は去っていった。
その後の数年間は、星の人の来訪が続いた。合意継続を「査察」に来たのである。テロンの技術力では小惑星を止められないので、惑星政府は必死の思いで査察官を歓待した。
星の人は、生物学的には同じ人間である。査察官は、金品にも美男美女の舞にもさっぱり興味を示さなかった。完全に「花より団子」型の人物だったので、選りすぐりの美食に山海の珍味、色とりどりのデザートで饗応した。とても喜んでいた。
だがその来訪も、ある年を境に、ぱったりと途絶えてしまった。
「あれだけ、我が国の食文化を気に入ってくれたのだから、きっと来てくれる」
豪快な食べっぷりのホログラム映像を眺めながら、テロン人は不安な心を慰めた。
そして100年が経過した。
星の人は、来なかった。
残された希望は、4光年先にある恒星系「女神の星」に行くことである。
そこに、帝国が運営する、銀河ハイウェイが敷設されているのだ。
ハイウェイに到達し、星の人に「約束を守って!」と直訴するしかない。
小惑星の軌道を、詳細に観測した結果、
惑星テロンへの落下は、あと10年後に迫っていた。
**
ドゥルガー家の「当主の館」で、リーシャは出勤の身支度をしていた。
ドゥルガー家は、惑星最大の大陸を支配する貴族である。
褐色の肌の一族だが、ここ数世代続くファントゥ家との婚姻で、リーシャの肌色は、他のドゥルガー家メンバーよりも白い。彫りの深いエキゾチックな顔立ち。
勤務先は、テロン宇宙軍の開発部門である。
理論物理学者であったシゥリー・ファントゥが嫁いで以来、テロン宇宙軍では、ドゥルガー家の女性が、技術開発を牽引していた。リーシャ自身も理論物理学者である。
リーシャの表情は、朝から晴れなかった。
自分の希望は聞き入れられない。
運命に従うしかない、という、諦めや哀しみが押し寄せて、気持ちが沈む。
望まない婚姻話を、親が進めていたのだ。
唯一の生きがいは、星間航法船の開発である。
だが、女性だからという理由で、現場である宇宙には行けなかった。テロン宇宙軍は、貴族の子弟のみで構成される組織だった。ドゥルガー家当主の娘で、開発部門の長官であるリーシャでさえ、実験の報告を地上で眺めるしかなかった。これも、大いに不満だった。
部屋のドアがノックされた。
「お嬢様、準備はよろしいですか」
「今、行くわ」
短く答えると、リーシャはドアを開けて部屋を出た。
軍服姿の青年が待っていた。
サンジヴは、リーシャの身辺警護の責任者だ。
テロン宇宙軍ではなくテロン空軍に所属している。つまり貴族ではなく、出自は庶民である。数学・物理学の素養に加え、パイロットの資格を持っていた。
リーシャが宇宙開発に従事する際に、護衛に選ばれた。以来、付き従っている。リーシャより少し背が高い。
サンジヴを連れて、館を出ると、送迎の車に乗り込む。
車は、開発部門の敷地に向けて、走り出した。
**
開発部門は、首都テロンガーナの郊外に位置する、広大な施設である。
敷地内の道路を進むと、右手から大型のトラックが姿を現した。
トラックは十字路に差し掛かると、停車して、リーシャの車の通過を待つ。
研究資材等の搬入があるので、輸送車両は珍しくない。
だが、ロケット発射場でもないのに、あんな大型が必要か?
サンジヴが違和感を感じていると、前方にも車両が現れた。
左の路面にも。
4台の車が、十字路に集まった形だ。
「停めろ」
サンジヴは運転手に告げる。運転手は無言で停車させた。
ドアを開ける。そして
「失礼!」
「ひゃ!?」
リーシャを抱きかかえるように、車外に引っ張り出す。端末を見つめて異変に気付かなかったリーシャが、驚いた声を上げる。
2台の車が、縁石を乗り越えて道を外れ、送迎車を取り囲んだ。大型トラックが動き出し、送迎車に当たると、そのまま踏みつぶした。
間一髪、運転手も難を逃れた。
「反対派は、月を爆破したいと考えている」
襲撃者に追われて逃げ回り、その後も事情聴取などがあり、ようやく長官室に入った時には、日が傾いていた。
サンジヴが淹れたお茶を飲みながら、リーシャは襲撃について意見を述べた。
星間航法の完成ではなく、月の爆破を主張する連中が、自分を狙ったのだ、と。
「でもそれでは、都市を焼き尽くす無数の『シティキラー』に分裂するだけ。
その後は、巻き起こる粉塵で太陽が遮られ、氷河期が来るわ。
解決にはならないのよ」
襲撃には、惑星を救う方法だけでなく、ドゥルガー家の家督相続が絡んでいる。
サンジヴはそう考えているが、口には出さなかった。
「私はテロンを救うために努力しているのに、襲うなんて」
リーシャは怒りが収まらないらしく、サンジヴにいつまでも愚痴を垂れていた。
三日後、リーシャの生活が、一変した。
軌道ステーションに上がることが、許されたのである。
襲撃で危機感を覚えたサンジヴが、リーシャを軌道ステーションに移すことを、周囲に説得して回ったのだ。
軌道ステーションであれば、人の出入りも完全にコントロールできる。
という、警備上の理由を盾に、ついに宇宙に行く許可を、勝ち取った。
サンジヴの報告を聞くと、リーシャは喜色満面の笑みを浮かべたのだった。
**
宇宙エレベータのカーゴに乗り、ステーション目指して登っていく。
打ち上げではないので、安全性は極めて高い。
軌道ステーションから見下ろすと、
緑を含んだ、
リーシャは、陽の光を浴びる惑星テロンを、長い時間、眺めていた。
「あのね」
リーシャは、小さな声で、サンジヴにだけ聞こえるように囁いた。
「宇宙船には興味があるけど、正直、テロンのことはどうでもよかったの。
この世界は、私の悩みを聞いてくれない。
だから、私にも、関係が無い。
大切なものだと、頭では分かっているけれど、実感がわかない感じ」
青い惑星を指さして、
「でも、この光景を見て、これを守りたいと思ったの。
他人事ではない、自分事として、この
連れてきてくれて、ありがとう」
そう言って、サンジヴの腕に触れた。
サンジヴは、リーシャを見つめ返すと、無言で頷いた。
**
テロン人は、重力の謎を解き明かしつつあった。空間を歪めて人工重力を発生させることで、亜光速での航行が可能になる。究極的には、ワープが可能になる。
人工重力の発生には、ごく小規模であるが、成功していた。
課題は、宇宙船としての実用性だった。宇宙船自身で人工重力を作り出しながら、加速を継続しなければならない。
これまでの実験は、人工重力の発生が不十分だったり、発電系統が動かなかったり、船体が崩壊するなど、工学的な要因で失敗が続いていた。
さらに、先の襲撃の影響で、計画が3ヵ月遅延した。
反対派を黙らせるためにも、明確な成果を示さなければならない。
静止軌道上で、ようやく次の実験船が完成した。全長は30メートルほど。
息詰まる緊張のうちに、実験が始まった。
軌道ステーション内で、リーシャもフライトチームを見守る。
カウントダウンが0になると、実験船が動き出した。
徐々に加速し、肉眼では見えなくなった。
実験船は、青いレーザーを照射している。
速度が上がるにつれて、ドップラー効果で光の波長が変化する。
青い光が、赤味を帯びた色へと移ろう。
「赤方偏移を確認・・・繰り返します。赤方偏移を確認!」
管制官が、大事なことなので2回言った。
「光速の70%に到達しました。成功です!」
リーシャの瞳が、嬉しさで潤んだ。
「おめでとうございます、お嬢様」
サンジヴが声をかけると、照れくさそうに、
「ここでは『長官』なのよ」
と言って、手を握った。
それから、手を離すと、
フライトチームを祝福するために、飛び出していった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます