第14話 「ただいま」と「おかえり」(1)


 少女は石板に文字を書く。まだ綺麗に書けない文字を使って魔女と筆談をするのだ。


「最近困っていることはあるかい?」


 魔女の問いに少女は考えるように天井を見ると、石板に短い文を書いた。


『言葉を話すことは大切?』


 魔女はそれを見て鼻を鳴らした。


「話すことができても、言葉が通じないやつなんてたくさんいるさ。言いたいことが伝わるなら、その方法は何だっていい。アンタの好きなようにすればいいさ」

『ずっと話せなくてもいいの?』

「話せるようになりたいなら、そうすればいい。家を出て何かをしたいのなら、言葉を話すことも大切になる。……けど、ここにいるうちは誰も話せないことを咎めない」


 魔女は少女の暗い色の髪を撫でる。


「ここは『灯りの家』さ。どんなやつでもこの家は受け入れてくれる。ここはそういうところさ」


 少女は石板をじっと見つめると、文字を連ねる。


『話したくなったら、話してもいいの?』


 その文字を見て魔女は小さく笑う。


「当たり前だ。アンタが話したいと思うなら、好きなように話せばいい。どんな話でも、アタシはアンタの話を聞くよ」


 魔女の言葉に少女は顔を綻ばせる。そして甘えるように魔女の肩に頬を摺り寄せた。

 魔女は仕方なさそうに少女を見る。


「まったく仕方がない子だね」


 そんな言葉でも少女は嬉しそうに笑っていた。

 




 アリスは物置のような狭い部屋で、カトリーナと一緒に寝た。母親と一緒に寝るのは、はじめてのことだった。


「たまにはこういうのもいいわね」


 カトリーナはアリスと離れてから、ひっそりとこの家に越してきたという。


「あの家広かったけど、気持ち的に窮屈だったでしょう?」


 父親が死んだあと、あの家は父親の弟のものになった。弟と仲が良くなかったカトリーナは居心地の悪い思いをしていたという。

 お金をもらって家を出てから実家を頼ろうとしたが、誰も助けてくれなかった。


「薄情な人たちよね。でも、私には子どもがいたから……」


 アリスの一番上の兄は家に残った。カトリーナは次男とアリスだけを連れて家を出たという。


「本当はお兄ちゃんも一緒に連れて行きたかったの。でも、あの子は博識だったでしょう? 勉強もできて、しっかり者だったから当主に気に入られた。あの子の未来を潰したくなかったから、一緒にはいられなかったけれど……きっと、また私たちが帰れるようにしてくれるはずだわ」


 カトリーナはぼんやりとした目で、けれどはっきりとした口調で言った。


「あなたたち二人だけを連れて、家を出たけど、仕送りは次第になくなっていって……だから、私も今は働いているのよ」


 カトリーナは照れくさそうに笑った。


「自分でお金を稼ぐのはすごく大変だわ。でも、いつかあの家に戻るまで頑張りたいの」


 そう言うと、カトリーナはアリスの方に身体を向けた。


「……私のこと恨んでいるかしら?」


 アリスはカトリーナをじっと見た。

 一緒に住んでいたころは、母親がとても大きい存在に見えていた。だが、目の前にいる彼女は普通の女性だった。


 アリスは首を横に振る。カトリーナは安心したように笑った。


「そう言ってもらえて、よかったわ」


 アリスは起き上がると、持ってきていた石板を手に取る。


『もう一人のお兄様はどこにいるの?』


 次男の姿が見えない。カトリーナはその文字を見て、不思議そうに首をかしげる。


「……さあ。どこにいるんだろう?」


 心配している様子のない母親にアリスは疑問に思った。


 カトリーナはそのまま眠ってしまった。アリスは眠っている彼女を見つめ、頬に触れた。

 最後に母親に触れたのはいつだろうか。淑女としての教育を受けているうちに、触れ合う機会はなくなってしまった。


 アリスはふわりと欠伸をすると、母親の温もりを感じながら眠った。





 カトリーナに起こされたのは、まだ誰も起きていないような時間だった。日も昇っていないのに、早く起きるように急かした。


「人に会う約束をしているのよ」


 アリスに昨日着ていた服を着せると、カトリーナは外に出た。


 外で夜を明かした人たちが道端で眠っている。アリスはカトリーナに手を引かれながら、彼らを見ていた。

 街外れの、もっと人通りの少ないところへと歩いていく。


 町外れには行ってはいけないとレベッカたちに言われていた。アリスは立ち止まるようにカトリーナの手を引っ張る。


「大丈夫だから」


 カトリーナはそれだけ言って、アリスの方に目を向けなかった。




 カトリーナが足を止めたのは、街の外だった。そこで誰かが立っている。彼らはアリスたちを見つけるとニヤリと笑った。


「よう、お嬢ちゃん。久しぶりだな」


 声をかけられ、アリスは固まる。そこにいたのは、アリスを攫った男たちだった。

 動けなくなってしまったアリスに対して、カトリーナは堂々としていた。


「逃がしちゃったんだってね?」

「お前が逃がしたんじゃないのか?」

「あんたたちがザルだったんでしょう?」


 カトリーナは男たちの前にアリスを押し出す。何が起こっているかわからないまま、アリスは彼女に目を向ける。彼女は嬉しそうに笑っていた。


「この子はあなたたちから逃げてから、文字も家事も覚えたそうよ。……もちろん、前より高く買ってくれるわよね?」


 母親の言葉にアリスは目を大きく開く。カトリーナの服の裾を引いても、彼女はこちらを見もしない。


「そんなことを仕込む暇なんてあったのかよ?」

「親切な方が仕込んでくれたのよ」


 カトリーナの手を叩くと、やっとアリスの方を向いてくれた。

 母親は微笑みながら娘に言う。


「ありがとう、アドレイド。私、あなたに感謝しているの。……あなたが戻ってきてくれたから、またお金が入るわ」


 何を言っているのかわからなかった。口が開いたままになっている娘に、カトリーナは「ふふっ」と笑う。


「あなたを売ったとき、はじめて知ったの。人間ってお金になるのね。それに、貴族の生まれだからって、それだけで高くなるらしいの。驚いちゃった。だから、次男も売ったわ。でも、あの子はまだ勉強を教えていなかったから大した額にならなかったけれど……」


 そこにいるのは知らない人だった。アリスが今まで接してきた母親ではない。カトリーナは微笑みながらアリスの顔を覗き込む。


「……ねえ、アドレイド。今のあなたはいくらになるかしら」


 彼女は自分の娘を人間として見ていなかった。


「…………っ」


 アリスは彼女の手から逃げ出そうとした。けれども、彼女の手はアリスを掴んで放さない。

 カトリーナはアリスを男たちに引き渡そうとする。アリスは必死に首を横に振って抵抗しようとした。


「あ、あっ……」


 出し方を忘れた声では助けを呼ぶこともできなかった。

 男に腕を掴まれる。その力はカトリーナよりも強く、逃げ出すことができない。


 アリスは必死に空へ手を伸ばした。そして強く願った。


 あの魔女の姿を思い描きながら。




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