第12話 灯りの家(1)
目の前で家族が処刑された日。魔女は涙がこぼれないように、自身に魔法をかけた。
泣いてしまえば、自分が魔女だということを公言するようなものだからだ。
「魔女が処刑されるってよ」
民衆たちが指差す方に家族が立っていた。なぜ自分一人が民衆たちに紛れて立っているのか、魔女は理解できなかった。
家族の足元に火がともされる。彼らは熱さと焼かれる苦しさに声をあげた。耳を塞ぐことは許されない。目を閉じることも許されない。
「…………」
泣くこともしない自分が非情だと思った。自分の身を守ることを優先して、家族の死に涙を流さない。胸のあたりが黒いもので埋め尽くされ、息苦しさを覚える。胸がつかえたように気持ち悪さを感じた。
処刑を喜々とした様子で見ている民衆たちの中で、魔女は口をおさえた。
「……うっ」
どこからか嗚咽が聞こえた。しゃくりあげるような声に魔女は視線を向ける。
泣いていたのは隣に立っている紳士だった。彼は周りの目もはばからず、ボロボロと涙をこぼしている。それを見た瞬間、魔女の心がスーッと軽くなった。
……泣いてくれている人がいる。
魔女だからと迫害され、処刑される。そんな自分たちのために泣いてくれる人がいる。
「これ、よかったら」
魔女はハンカチを紳士に渡した。彼は魔女を見ると、驚いたように目を開く。そして、いつくしむように目を細めた。
「……君にも必要なようだね」
魔女は泣いていなかった。けれど、紳士はハンカチを取り出して渡してくれる。魔女は眉をしかめる。
「……アタシは泣いてなんかいないよ」
「泣いているさ」
紳士は眉を下げて微笑む。
「私にはそう見えるよ。……優しい子なんだね」
魔女は首を横に振る。今の自分に相応しくない言葉だった。
「優しくなんかないよ。薄情で非情だ」
「……そうか」
紳士はその言葉を否定も肯定もしなかった。彼は魔女が布に巻かれた杖のようなもの背負っていることに気づいた。
「君はあの魔女たちのことを知っているのかい?」
「……とても立派な魔女だった」
紳士は目を細めると「そうか」とだけ答えた。
「……君は行く当てがあるのかい?」
「ないさ。けれど、生きなければいけないからね」
「ならば、『灯りの家』に来るかい?」
「『灯りの家』?」
「ああ。そこは、誰でも受け入れる特別な家なんだ。私もそこに住んでいる」
「アンタも居場所がないのか?」
魔女の問いに紳士は眉を下げて微笑んだ。魔女はそれ以上追及せず、尋ねた。
「代償があるんだろう? アタシに何をしてほしいんだ」
「薬を作ってほしい。人を助ける薬を」
不可解な表情をする魔女に紳士は笑う。
「理解できないだろう。けれど、これはきっと君の……私のためにもなることだから」
紳士は魔女に手を差し出す。
「一緒に来てくれるかい?」
魔女はその手を叩く。
「三食の食事付きならね」
魔女の返事に紳士は満足そうにうなずいた。
「やっぱり、あの母親怪しいわよ」
レベッカは灯りの家に着くなり、そう言い放った。
「アンタ、貴族様には逆らえないんじゃないのかい?」
「エリックの前だから、そう言ったまでよ。本当は何も納得してないわ。今、こっそり店の人を使って調べさせているところよ」
娘の行動に魔女は呆れたように息を吐く。
「やめな。アンタの都合で店の人間を使うんじゃないよ」
「だって、怪しいじゃない。あの母親は娘を心配して探していたと言っていたけれど、お貴族様の家から娘がいなくなったというお触れはなかったわ。普通、街総出で探すものでしょう?」
「立場的に言えなかったんじゃないのかい? 隙だらけだったと公言するものじゃないか」
「それに、お貴族様が街を歩いているものかしら?」
「お忍びだったんだろう?」
「それでも、護衛くらいいるものよ」
レベッカはブツブツと考え込んでいる。一度決めたら譲らない。レベッカの悪い癖だった。そんな娘に魔女は言った。
「あの子が幸せに暮らしてくれるなら、それでいいじゃないか」
「あなたはあの子が心配じゃないの?」
「……家族のもとへ帰ったんだ。何も心配じゃないよ」
魔女は娘の顔を見ない。レベッカは仕方なさそうに息を吐く。
「母さんは家族を特別視しているようだけれど、私はそう思わないわ。……ろくでもない親はいるもの……私の生みの親も私を捨てた」
レベッカは親に捨てられた子供だった。飢饉で食べるものがなくなり、子供は間引かれる。彼女はその一人だった。
「たしかに子供を大切にしてくれる親もいるわ。母さんもそうだったから。……でも、どうにも怪しいのよ」
「どうしてそう疑うんだい?」
「女の勘よ」
レベッカはそう言って立ち上がる。
「母さんが家族に憧れてるのは知ってる。でもね、家族のもとにいれば幸せでいられるとは限らないわ。母さんは現実をもっと見るべきよ」
「魔女の娘のくせに商人を目指したアンタの台詞かい?」
「魔女の娘だけど、商人になった人間の台詞よ」
レベッカは玄関に向かうと、魔女の方に振り返った。
「アリスに幸せになってほしいのはわかるわ。私も同じだもの。けれど、もしあの子が幸せになっていなかったら、どうするつもりなの」
「……あの子の名前は『アリス』じゃないよ。もう家の子じゃないんだから」
魔女の言葉にレベッカは「もう!」と声をあげる。
「わからずや! あなたが知りたくないって言っても、私は調べたことを伝えに来るから! 待っていなさい!」
そう言ってレベッカは地団太を踏むように家を出て行く。バタンッと大きな音を立てて扉が閉まった。
その様子を見て、魔女は苦笑いをした。
「家の物に当たる癖は治っていないようだね。まったく。この古い家が壊れてしまうだろ」
魔女は誰もいなくなった家をぼんやりと眺めた。
「にゃあ」
鳴き声が聞こえて目を向ければ、黒猫がひょいっと魔女の膝に上がった。
「ああ、おまえがいたね。おまえもいつか、ここからいなくなるのかね」
黒猫は黄色い瞳を細めると大きな欠伸をする。その姿を見ると、魔女は頬を緩めた。
この家は元々自分の家ではなかった。自分を拾ってくれた紳士の住んでいた家だ。
紳士は魔女に勉強を教えた。そして、薬を作っていた魔女に会わせてくれた。その魔女は魔法の使い方を教えてくれた。だが、数日後処刑された。
おそらく、自分はその魔女の後釜だったのだろう。
紳士は魔女の作った薬を商人に売った。魔女と商人の顔も繋いでくれた。魔女の薬が売れるようになって、その紳士は満足したように息を引き取った。
彼は魔女狩りを憎んでいた。その原因となった魔女のことも憎んでいたはずだ。
なのに、彼はいつも微笑んでいた。
「本当にわからないね。人間っていうものは」
魔女の言葉に黒猫は耳をぴくりと動かした。
「あの子を見つけたとき、また面倒なことに巻き込まれたと思ったんだよ」
魔女はふぅ、と息を吐く。荒々しい口調で言葉を続けた。
「人間なんて拾うもんじゃないね。ただでさえ狭い家がもっと狭くなっちまうし、ひとりでゆっくりもできやしない」
魔女は普通の人間よりも寿命が長い。魔法を使えば使うほど、魔力が体に馴染み、その分だけ生きるエネルギーを得られる。魔法の使い方を知らずに、人間として死んでいった者が時折羨ましくなるくらいに。
人間と一緒の時間を生きられない。彼らは自分の半分以下の長さしか人生を歩まないからだ。
黒猫は大きな瞳で魔女の顔を覗き込んだ。
「アタシは面倒なことは嫌いだからね。これでいいんだよ」
言い聞かせるように話す魔女を猫はただ見つめていた。
「『灯りの家』はどんな人も受け入れるが、去ることも拒まない」
魔女は猫を撫でる手を止めると、皺だらけの目元を細める。そして小さく呟いた。
「……きっと、親のもとで幸せに暮らしているはずさ」
自分を生かした紳士はすぐに死んだ。拾った娘も自分の手から離れて、人間の世界で生きている。そして、あの少女も……。
「人間は嫌いだよ」
魔女は小さくそう呟いた。
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