第11話 街へおでかけ(2)
店を出ると、三人で街の中を歩いた。
アリスは視線をきょろきょろとさせて歩いている。レベッカはそんなアリスの手を取った。アリスは彼女を見上げる。
「転ぶといけないから、繋いで歩きましょう。いいかしら?」
アリスはうなずくと、また視線を街へと向けた。
街の中だけでもいろんな景色が見えた。魔女の住む家とは違い、背の高い建物があれば、横に長い建物もある。レンガ造りの家や木造の家も並んでおり、その間を歩く人々の恰好も様々だった。薄手の一枚の服を着た者、何枚も重ね着をした者、髪飾りを着けた者もいれば、布をふんだんに使ったスカートを身に着けた者もいる。
「この街は商人や職人が住んでいるの。私たちの住む家もあるわ」
歩いている場所は店のような建物が立ち並んでいる。アリスたちと同じように客が店の中へと入っていった。
「今度は私たちの家に来てちょうだいね。あなたの興味のあるものがあるかもしれないわ」
「あと、街の外れは危ないから行ってはだめだよ」
エリックの言葉にアリスは首をかしげる。レベッカは頬に手を当てて、眉間に皺を寄せた。
「貧民層……働いて食べていけない人たちがたくさんいるの。そういう人たちは何をするにも躊躇いがないわ。だから、決して行ってはだめよ」
エリックは街の奥を指差す。そこには店よりも大きな建物が見えた。
「貴族様たちが住むのはもっと向こう側。たまにお忍びで街に来ることもあると聞いたけど、どうなんだろうね?」
アリスは周りを見渡すと、大きく目を見開いた。
「…………っ」
不意にアリスの手がすり抜ける。
「アリス!」
彼女は誰かに駆け寄って、その人の手を取った。
「アリス、どうしたのよ!」
レベッカがアリスに追いつく。アリスに手を掴まれた女性は、信じられないものを見る目でアリスを見ていた。
「……アドレイド?」
女性はアリスに向かって問いかける。アリスは嬉しそうにうなずいた。
「……そんな、どうして」
困惑した表情を見せる女性にレベッカは近づく。
「あの、もしかして……あなたはその子のお母さんですか?」
レベッカの問いかけに、女性はハッと顔を上げた。
「え、ええ。そうよ」
気持ちを整えるように女性は深呼吸をする。そしてぽろぽろと涙を零しはじめた。
「ごめんなさい。驚いてしまって……もう戻ってこないと思ったから」
女性はアリスの手を取ると、彼女に尋ねた。
「抱きしめてもいいかしら?」
アリスはうなずく。女性は嬉しそうに彼女を抱きしめた。
「……戻ってきてくれてありがとう」
アリスの母親はカトリーナ・フォワードと名乗った。
「フォワードって、この街に住むお貴族様……」
「今日もお忍びなのよ。内緒にしてちょうだいね」
カトリーナは少し恥ずかしそうに笑う。
「お忍びでアドレイドを連れてきたのがいけなかったの。彼女は私が目を離した隙に人さらいに連れていかれたわ」
悲痛な面持ちにアリスは心配そうに母親の顔を覗き込む。カトリーナはアリスの頭を軽く撫でるとレベッカと向き合った。
「今回は娘を助けていただいて、何と言ったら良いか……」
「いいえ。私たちは彼女を保護した人の家族です。お礼は本人に言ってほしいですが……気難しい人なので、お礼を受けてくれるかは私から確認しますね」
「ありがとう。……アドレイドを連れて帰りたいの。いいかしら?」
その言葉にレベッカとエリックは顔を見合わせた。レベッカがおずおずとした様子で言葉を返す。
「私たちが保護したわけではないので……本人に一度聞いてもよろしいですか?」
カトリーナは不思議そうな顔をした。
「どうして?」
「最後の別れもしたいでしょうし……」
エリックは親同士の会話を聞きながら、アリスの方に目を向けた。彼女は不思議そうに目を瞬かせている。そんな彼女にエリックは尋ねた。
「ねえ、アリス……いや、アドレイド。お母さんのもとに帰りたい?」
アリスはその問いに首を横に振った。
その様子を見ていたカトリーナは信じられないという表情をした。レベッカは慌てたようにアリスの横に立った。
「突然のことで、この子も戸惑っているんだと思います。だから、一日だけお時間をいただけないでしょうか?」
レベッカの言葉にカトリーナはうなずいた。
「……わかったわ。明日、連れてきてちょうだい」
待ち合わせ場所を決めると、レベッカたちはその場を後にした。
帰りの馬車の中、レベッカはアリスに尋ねる。
「どうしてお母さんのもとに戻りたくないの?」
アリスはレベッカをじっと見つめる。彼女からは答えは出て来なかった。
魔女の家に帰ると、レベッカは今日のことを話した。
「本当に偶然だけれど、アリスの母親が彼女を連れて帰りたいと言うのよ」
魔女は「ふうん」と話を聞くと、アリスの方を向いた。
「アンタ、アドレイドっていうのかい? 似合わないねえ」
「ちょっと母さん。聞いてるの?」
「聞いているさ。この家から出るって話だろう?」
魔女はアリスの淹れたお茶を飲むと息を吐く。
「灯りの家は、去る者を拒まない。好きにすればいいさ」
アリスは石板を魔女に見せる。
『ここに残りたい』
魔女はちらりとそれを見ると、「おすすめしないね」と言った。
「ここは居場所のない者たちが住むところだ。アンタには居場所がある。なら、そこに戻るべきだよ」
アリスは視線を下げる。彼女はそれ以上書き込まず、石板を置いた。
エリックは心配そうに彼女を見る。
「それでいいの?」
「…………」
アリスはうなずかない。けれど魔女はそれを無視した。
「服は好きなものを持っていけばいい。まあ、貴族様のところで着られるものなんてないだろうけどね」
「服は今日買ったものが上等だから、それでいいかしら。靴は……仕方ないけれど、まだできていないから持っていけないわね」
大人たちは決まったことのように話を進めていく。エリックは不満そうに眉をしかめた。
「アリスの気持ちを尊重するんじゃなかったの?」
レベッカは困った表情をして、エリックと向き合う。
「……本当は、私も嫌よ。アリスが嫌がっているんだから。でもね、お貴族様には簡単に逆らえないの」
そんな母親にエリックは納得できないという表情を向ける。
「……あなたの気持ちもわかるわ」
レベッカはそれ以上、エリックに取り合わなかった。
「アリス、持っていきたいものを選びましょう。私も一緒に詰めてあげるわ」
アリスとレベッカは荷物をまとめはじめた。エリックは魔女に視線を向ける。
「婆ちゃんはそれでいいの?」
「…………」
魔女は何も答えない。だが、その目はずっとアリスを見つめていた。
次の日、アリスは馬車に乗って街へと向かった。魔女はついていかないと言い張って、家に残った。
「……幸せになりな」
魔女がアリスに言ったのは、その言葉だけだった。
約束の場所へ向かえば、カトリーナが一人で待っていた。
「付き人はいらっしゃらないのですか?」
レベッカの言葉にカトリーナは困った表情をする。
「お忍びで来ていたことを知られてはいけないのよ」
レベッカは不思議に思いながらも、アリスを引き渡した。
アリスはじっとレベッカたちの方を見ている。けれども、カトリーナに連れられて、その場を去っていった。
レベッカたちと別れて、カトリーナは息を吐いた。
「ここから少し歩くの。大丈夫かしら?」
アリスがうなずくのを見て、カトリーナは彼女の手を取った。
カトリーナは街の外れへ向かって歩いていく。街並が変わっていき、歩いている人たちの服装も変わっていった。薄汚れた格好をした人たちに視線を向けられる。上等な服を着ている自分たちは妙に目立った。
カトリーナに連れられて着いたのは、昔住んでいたところではなかった。薄汚れた建物で、中に入るといくつもの部屋がある。集合住宅のようだった。
カトリーナは迷うことなく、一つの部屋に入った。そして、アリスと向き合った。
「……アドレイド。本当に帰ってきてくれてありがとう。うれしいわ」
母親にそう言われて、アリスは嬉しそうに笑う。カトリーナはアリスに視線を合わせる。
「こんなにも大きくなって。文字も家事も覚えたのでしょう? 本当にすごいわ」
物置のように狭い部屋でカトリーナは娘を抱きしめた。
「これでまた、あなたの価値が上がったのね」
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