第10話 街へおでかけ(1)


「あなたは貴族の娘ですから、決して自分の立場を忘れてはいけません」


 暗い色の髪を持った貴婦人は目の前に座る幼い少女に言った。


 綺麗な服に身を包み、磨き抜かれたカトラリーを手に取る。貴婦人も貴族の娘として学んだことだ。


 同じ髪色を持つ少女は真剣な面持ちでその人の話を聞いている。


「椅子に座るときは背筋を伸ばして」


 そう言われて、少女は背筋を伸ばす。


「カトラリーは音を立てず、優雅に食事をすること」

「お、お母」

「上手く話せないなら口を開くのではありません」


 ピシャリと言われ、少女は黙った。そして、見本を見せる母親の姿を見て真似をする。


 母親の振る舞いをじっと見つめている様子を見て、母親は目を細めた。

 娘は上手く言葉を紡げない。話すことが難しいのなら、口を開く必要はないと教えたのは母親だった。下手に口を開いて、恥を晒すよりずっといい。


 だから、一人の女性としての立ち振る舞いを教える義務があると考えていた。娘がどこかへ嫁ぐことになった際、それが彼女の強い味方になると信じていた。


「テーブルマナーも立ち振る舞いも、いつかあなたのためになります」


 娘は彼女の言葉にうなずく。それを見て、母親は柔らかく微笑んだ。


「努力家のあなたですから、きっと素敵なレディになれますよ」





「母さん。今日、アリス借りていい?」


 ノックもせずに扉が開かれる。顔を出したのはレベッカとエリックだった。


「アリスは物じゃないよ。アタシじゃなくて本人に聞くんだね」


 魔女の言葉にレベッカはアリスと向き合った。アリスは一通り家事を終えて、お茶を飲んで休憩しているところだった。


「アリス。私たちと街へ行かない?」


 レベッカの誘いにアリスは首をかしげる。レベッカの後ろからエリックが言葉を足した。


「街へ買い物に行こうと思うんだ。きっと婆ちゃんのことだから、アリスの物を買っていないのだろう?」

「そうそう。アリスの着ている服だって、私が昔着ていた物のおさがりだし、カップも靴も全部使い古し!」


 レベッカが呆れたように魔女を見る。魔女は気にした様子もなくお茶を啜る。


「使える物を使って、何が悪いんだい」

「どうせなら、自分専用の物が欲しいでしょう?」


 レベッカはそう言うと、アリスを見た。


「アリス。私が服を買ってあげる。靴も新しいものを買おう。あと、美味しいものも一緒に食べたいし、それに……」


 要望ばかりをあげる彼女にアリスは困ったようにエリックに目を向けた。視線を受けてエリックが笑う。


「母さんは娘に憧れているんだよ。アリスが嫌じゃなかったら、僕たちと一緒に出かけよう」


 アリスは魔女の様子を窺うように目を向けた。


「アンタが決めることだ。家事も終わっているんだから、好きなようにすればいい」


 魔女の言葉にアリスはレベッカたちの方を見た。そして、笑顔でうなずく。

 それを見てレベッカは嬉しそうな声をあげた。


「それじゃあ、三人で出かけましょう!」


 レベッカに手を引かれ、アリスは魔女の方を見た。


「アタシは行かないよ。街は好きじゃないからね。アンタが楽しんで来れば、それでかまわないよ」


 さっさと行けと言わんばかりに、魔女は手を振る。アリスは魔女に手を振り返すと二人と一緒に家を出た。



 

「あの家じゃ良い靴を履く機会は少ないかもしれないけど、ひとつあるといいわよね」


 レベッカはそう言って靴屋に連れてきた。アリスは珍しそうに店の中を見ている。


「あら、レベッカ。いつの間に娘ができたの?」


 知り合いなのか、店の人が声をかけてくる。レベッカは嬉しそうに笑いながら答えた。


「違うわ。私の妹みたいなものよ。この子に合いそうな靴を持ってきてくれる?」


 店の人はアリスの足の大きさを測ると、靴を見繕いに行った。


「ついでにエリックも靴を見てきなさい。成長期ですぐに合わなくなるんだから」

「僕の分は一緒に選んでくれないの?」

「自分に合うものを選ぶのも商人の勉強よ」


 エリックは肩をすくめて、手の空いている店の人に声をかけに行く。入れ違いになるように、さきほどの店の人がアリスの靴を持って戻ってきた。


「三つ見繕ってきたわ。他にもいいものはたくさんあるわよ」


 靴を並べていく。すべて踵の高い靴だった。

 アリスはじっと靴を見つめると、ひとつのものを選んだ。


「それは今、一番人気があるのよ。いいものを選んだわね」

「でも、踵の高い靴履けるかしら?」


 ハラハラとしているレベッカをよそに、アリスは靴を履いた。ゆっくりと立ち上がると、アリスの背筋はピンと伸びる。姿勢が優雅になり、ゆっくりと歩く姿も綺麗で、危なっかしさもない。レベッカが目を見張って見ているのに対し、お店の人は華やいだ声を上げる。


「まあ! 貴族のお嬢様みたいね!」


 店の人は、アリスの足の形に靴を作り直してくれると言う。アリスは靴に履きかえると、いつもの姿勢に戻った。


「母さん、僕の靴はこれがいい」


 戻ってきたエリックはレベッカの表情に首をかしげる。


「どうしたの?」

「……いいえ。何でもないわ」


 そのあともアリスは人気の服を自ら選んでみせた。アリス自身にも似合っており、何となくで選んだものではないとわかる。


「アリスには商人の才能があるかもしれないわね」


 食事処に入ったレベッカは唸るようにして呟いた。


「母さんに聞いたけれど、家事も文字もすぐに覚えたというし、勉強させたらきっといい商人になると思うわ」


 アリスは背筋を伸ばし、カトラリーを器用に使ってお菓子を食べている。レベッカはアリスの方に身を乗り出した。


「ねえ、アリス。あなた、エリックの嫁に来ない?」


 レベッカの言葉に、エリックは咳き込みはじめた。


「か、母さん、何言ってんだよ!」

「だって、こんなに出来た子は滅多に現れないもの。アリスだったら、母さんのことも大切にしてくれるから、今後も薬を仕入れてくれるだろうし……」


 将来を想定してブツブツと呟く様子に、エリックは不満そうな顔をした。


「僕だって、婆ちゃんのことは大切に思っているよ」

「じゃあ、あなたはうちの店を継ぐ気があるの?」

「それは……」


 エリックは店を継ぐことを躊躇っていることを口にしたことはなかった。だが、母親はわかっているようだった。


「私も将来を自由にさせてもらった身だから、あなたの選んだ道を尊重したいと思っているわ。けれど、その選択が私や店の人たちにも影響があることを忘れないでちょうだい」


 エリックは何も言えず黙り込む。レベッカはそんな息子をちらりと見てから、またアリスと向き合った。


「アリス。ゆっくり悩んでね。私はあなたの選択も尊重したいのよ」


 アリスはうなずくことも首を横に振ることもせずにレベッカの顔を見つめた。



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