第9話 魔法使いの少年(2)


 エリックは俯いたまま、顔を上げない。アリスは戻ってくると、エリックのカップにお茶を追加した。


「……僕は人間としても、魔法使いとしても中途半端だ」


 エリックは愚痴を漏らすように言った。


「僕は人間の子として生まれた魔法使いだ。人間として生きてきた。両親にも魔法使いであることを隠している」


 アリスはポットを置くと、椅子に座ってエリックを見た。


「本当は魔法使いなのに、人間として生きている。魔法をうまく使うこともできないから、魔法使いとしても生きられない。そんな自分が嫌なんだ」


 アリスは首を傾げると、石板を手に取った


『魔法使いと人間は、そんなに違うの?』


 エリックは石板の文字を見ると、小さく笑う。


「全然違うよ。どちらにもなれない僕は、人間にも魔法使いにも受け入れてもらえない」

『本当にそうなのかな』


 納得していないアリスにエリックは優しく微笑む。


「君はその外の世界を知らないからそう思うんだよ。外に出れば、きっとわかるさ」


 エリックの言葉にアリスは考え込むように唇を尖らせる。エリックは彼女を見ながら、温かいお茶を口にした。




「エリック。今日はいつ帰るんだい? 夕食はどうする?」


 魔女が居間に戻ってきて、エリックに問いかけた。


「暗くなる前に帰るよ」

「そうかい」


 アリスは魔女のお茶を用意する。魔女は一息吐くように椅子に座った。アリスは魔女の裾を引っ張ると、石板を見せた。


『もし私が魔女になりたいって言ったらどうする?』


 魔女は石板を見てから、チラリとエリックを見た。


「魔女は努力してなれるものじゃないからね。どうもしないさ」

『私に素質があったら?』

「アンタの身体に魔女の血が流れていても、アタシはお勧めしないね」

『どうして?』


 不思議そうに見てくるアリスに魔女は眉を下げて微笑む。


「……人間として生きられるなら、それがいいからさ」


 どうしてこんなことを聞いてくるのか、魔女はわかっているかのようにエリックを見た。


「どうしてそんなに魔法使いになりたい?」


 エリックは足を揺らしながら視線を下げる。


「……僕は何者かになりたいのさ。魔法使いでも人間でもない僕は何者にもなれていないから」


 魔女はカップを手に取ると、口を付ける。


「何者かになるというのは、そんなにも大切なことかねえ」


 魔女はおどけたように眉を上げる。


「大切だよ。自分が何者なのかはっきりしないと、どこも僕を受け入れてくれない」

「アンタの親はアンタを受け入れてくれないのかい?」

「そうじゃないけど……」


 魔女はカップを置くと小さく息を吐いた。


「たしかにアタシは魔女だ。それ以前にアタシはアタシだよ。魔女というのはアタシに付いた情報の一つでしかない。だけど、人間はそこを見てしまう。肩書きというやつは厄介だねぇ」


 にゃあ、と足元で鳴き声が聞こえた。黒い猫が魔女の膝の上に飛び乗る。テーブルに脚をかけて、黒猫は顔を出した。

 猫はテーブルの上のものに興味を示す。魔女は前に手を置いて、それ以上出てこないようにした。


「本当は肩書きなんてものない方がいいのさ。けれど、存在してしまう。そこに選択肢はほとんどない。猫はこんなにも自由なのに、人間は不自由だね」


 自分が呼ばれたとわかったのか、黒猫は顔を上げて魔女を見た。魔女は優しい瞳でエリックを見ていた。


「アンタは人間にも魔法使いにもなれる。自分で道を選ぶことはできるかもしれないけれど、道を選ぶことは容易いことじゃない」


 魔女は黒猫を抱き上げると、床に下ろす。下から不服そうな鳴き声が聞こえた。


「アタシたちは一人で生きていくわけじゃないからね。どの道を選んでも、責任がついてくるものさ。……アンタは本当に魔法使いになりたいのかい?」


 エリックは真剣な顔で答える。


「……僕は母さんみたいに勉強が得意じゃない。父さんみたいに他人と話すのが上手くない。なら、魔法の素質ならあるのかもしれないって」

「魔法の素質もなかったら?」

「…………」

「アンタは逃げているだけだよ。魔法を逃げる先に選ぶなら、それは馬鹿がすることさ」


 魔女は目を細める。その表情は自身の過去を思い出しているようだった。


「種族の違い、身分の違い、宗教の違い……。人は自分と違うものを違う生き物だと思い、差別するものさ」

「それでも僕は……魔法を学びたい」


 空になったカップをテーブルに置くと、魔女は立ち上がった。


「……まあ、アンタのいう素質ってやつはあるかもしれないね。どうしたってできないことはあるから。魔法に興味があるなら見せてやるさ。おいで」


 そう言って、調合室に案内してくれる。


 調合室は薬草の臭いがした。棚にはたくさんの薬草が並んでいる。初めて入ったのか、エリックは臭いに顔を歪ませる。


「薬の作り方は、ほとんど人間が作るものと一緒さ。だから、薬草の知識や調合の知識が必要となる。魔法使いになるからって、勉強しなくていいわけじゃない」


 魔女は既に調合されて、瓶に詰められた薬をテーブルに置いていく。


「魔女の薬は仕上げに魔法をかけるのさ。見ていな」


 魔女はぶつぶつと呪文を唱えながら、両手を広げる。彼女の足元には魔法陣が浮かび上がった。魔法陣からキラキラとした光の粒が浮かび上がり、それは薬の上へと降り注ぐ。


「ハァッッ!!!」


 魔女が声を張り上げると、薬が光を発した。そして、その光は薬の中に吸い込まれる。


「こうやって魔女の薬は出来上がるのさ。アタシはこの魔法を見たのは一回だけだよ」

「一回?」


 エリックは驚いたように目を見開く。魔女はそれを見て笑う。


「そうさ、一回だけだよ。師匠はアタシに薬の作り方を教えてくれた。けれど、アタシと初めて会った数日後に処刑されたんだ」

「…………」


 エリックは黙り込む。魔女はそんな彼を見て、懐かしそうに目を細める。


「……さっき、アンタはレベッカのことを勉強が得意って言ったね? それは違うよ」

「どうして? 母さんは女性なのに、父さんと一緒に商人をやっているじゃないか」

「あの子は負けず嫌いなだけさ。レベッカとアンタの父さんとは幼なじみでね。アタシの薬を扱う商人の息子として家にやってきたのさ。負けず嫌いの二人は顔を合わせると、お互いに勝つために競って勉強をしはじめたんだ。要領が悪いあの子は泣きながら勉強していたよ」


 エリックは理解できないと眉をしかめる。


「でも、母さんは今勉強が得意じゃないか」

「得意じゃなくて、やり方を身につけたんだ。あの子はずっと商人になりたがっていたからね。長年勉強し続けて、知識を得ていった。それだけのことだよ」


 魔女は薬をしまうと、エリックの方に向き合った。


「アンタが魔法使いになりたいというなら、また見に来ればいい。魔法使いにならないとしても……また家に来ればいいさ。林檎のパイくらい、いつだって作ってあげるよ」




 エリックは考え込んだ様子で、家を後にした。彼の背中を見送りながら、アリスは尋ねる。


『あなたはどうして魔法を選んだの?』


 彼女の問いに魔女は眉を下げて笑う。


「最初から決めていたからさ。アタシは魔法を使って生きるってね。魔法や魔女が悪者扱いされてもその考えは変わらなかった。……それだけの話だよ」


 アリスは少し難しそうな顔をしながら、首をかしげる。


『私もいつか自分の道を選ぶのかな』

「道はいつでも選ぶことはできる。何も選ばないという選択もできるが、成長したいと思うなら、興味のあることを考えてごらん」


 アリスは難しそうな表情を崩さないまま、うなずいた。




 エリックが次来たとき、彼はまだ道を選びきれていないようだった。だが、彼は気にした様子もなく言う。


「どの道を選ぶのも自由なら、全部学んでから選んでもいいよね? 僕は商人の勉強も魔法の勉強もする」


 彼の答えに魔女はクククッと喉を鳴らした。


「欲張りなやつだね。……そういうやつは嫌いじゃないよ」


 そう言いながらも、魔女はエリックに魔法を教えなかった。




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