第5話 魔女の娘(1)
魔女の薬。
良く効く薬のことを人々がそう呼ぶようになったのは、数十年前のことだった。
街の人々は魔女の薬を買い求める。その薬を本当に魔女が作っていることも知らずに。
「魔女は人間に嫌われているのに、どうして母さんは人間のために薬を作るの?」
調合室で薬を作る魔女に、人間の少女が尋ねた。
「アタシがそうするって決めたからさ。それ以上の意味はないよ」
少女は納得できない様子だった。眉間に皺を寄せて首を傾げる。金色の長い髪が彼女の動きに合わせて揺れた。
「母さんは薬を作るの好き?」
「嫌いじゃないね」
「ずっと作っていたい?」
「まあ、そうだね」
「……そっかぁ」
魔女の返事を聞いて、少女は考え込むように腕を組む。
「ねえ、母さん」
「何だい?」
「私、勉強をいっぱいしたい」
少女の言葉に魔女は噴き出して、声を出して笑いだす。
「アンタが? 勉強を? 食事だって落ち着いて取れないくせに?」
肩を揺らして笑う魔女に少女は「もうー!」と声を上げた。
「私だってできるよ!」
少女の言葉に魔女は笑みを浮かべた。
「なら、やってごらん」
少女は顔を輝かせてうなずく。
その日から少女は必死に勉強をした。相変わらず「できない!」とよく泣いたものだが、それでも諦めずに勉強を続けた。
魔女が育てた人間の少女が大人になり、灯りの家から出て行ったのは数年後のことだった。
アリスがこの家に来てから、三か月が経った。
彼女はほとんどの家事を覚えた。もうそばで見ていなくとも、彼女は決められた手順で火事を進めていく。むしろ、そばにいた方が邪魔になっているようにすら感じられるようになった。
「アリス、調合室にいるからね」
それだけ伝え、アリスに掃除を任せて調合室にこもる。しばらくは彼女に付きっ切りで、薬作りがままならなかった。そろそろ商人が怒ってくるだろう。その顔を思い浮かべながら、魔女は息を吐き、調合の準備をしていく。
準備ができて、調合をはじめようとすると、アリスのいる部屋からゴンッとすごい音がした。
「すごい音したけど、何事だい?」
額から流血している様子を見て魔女はため息を吐く。
「まったく、アンタはそそっかしいんだから! 仕方がない子だね!」
魔女はぶつくさ文句を言いながら手当する。少女は手当してもらうと、嬉しそうにへらりと笑う。
「少しは痛がる素振りでも見せたらどうだい」
魔女は息を吐くと、手当した額を軽く叩いた。
アリスが掃除を再開したのを見て、魔女は調合室に戻ろうとした。だが、外からひづめの音が聞こえて足を止める。
「とうとう来たねえ」
魔女は肩をすくめて、嫌そうな顔で窓の方に目を向ける。
ひづめの音が家の近くで止まると、人の足音が聞こえた。ノックの音もなく、扉が開かれる。
「お邪魔するわよ」
そう言って入ってきたのは、身なりの良い女性だった。金色の髪を結い上げた成人女性であるにも関わらず、履いているのはズボンだった。
「アンタは……またそんな恰好をして……」
魔女は呆れたように額に手を当てた。
「誰にも見つからないように、早朝に出てきたから大丈夫よ」
女性はふふんと鼻を鳴らすと「それよりも」と魔女を睨んだ。
「この三か月、薬の納品が少ないと聞いたけれど、いったいどういうことかしら?」
「アタシにだって用事はあるんだよ。いつも通り作れるわけじゃないさ」
「用事って……仕事でしょう? 何よりも優先すべきことだわ」
「ほかにも優先するべきことはあるよ。仕事人間のアンタにはわからないことさ」
「ほかに優先するべきことって……」
文句を続けようとして、魔女の見ているものに気づいた。魔女の視線を追うと、幼い少女がいる。
女性は首をかしげてアリスを見つめた。
「あら、この子……あなたの隠し子?」
「アタシの子に見えるかい?」
「見えないわね。とても賢そうに見えるもの」
「アタシだって賢いさ」
魔女の言葉に女性はため息を吐く。アリスを見ながら女性は眉を下げて笑った。
「まったく……そういうことなら仕方ないわね」
女性はアリスに手を差し出す。
「はじめまして。私はレベッカよ。よろしくね」
アリスは目を瞬かせて、レベッカの手を見た。そして魔女の方を伺う。
「それは挨拶だよ。反対の手を出して、相手の手を握るんだ」
アリスは自分の手を見つめたあと、手を差し出した。レベッカはその小さな手を握る。
「あなたの名前は……」
「アリスだよ」
「この子に聞いたのだけれど」
不満そうなレベッカに魔女は言う。
「言葉を話せないのさ」
魔女はアリスに石板を渡す。アリスは石板を受け取ると文字を書きはじめた。
『わたしの名前はアリスです』
何度も練習したであろう手つきで書かれた文字を見て、レベッカは驚いたように目を開く。けれどすぐに目を細めた。
「……そう。はじめまして、アリス」
レベッカは魔女に勧められる前にテーブルに着いた。魔女はそれを咎める様子もない。
「アリス、お茶を出してやりな」
魔女に指示され、アリスは迷うことなくお茶の用意をはじめる。
彼女の様子を見て、レベッカは感心したように息を漏らした。
「テキパキした子ね。買ったの?」
「買うなら、最初から使える子を買うよ。その子は家事もできなかったんだ」
「あら。でも家事を教えたんでしょう? それに文字まで教えた」
「当たり前だろ? アタシは使えない人間を家に住ませるほどお人好しじゃないんだ」
「……ふふっ、そうね」
アリスがお茶を出すと、レベッカは微笑んでお礼を言った。
「ありがとう。あなたも座ってちょうだい」
アリスは空いている席を見つけると、自分の分のお茶を用意して座った。
「この子はどこで?」
「そこらへんで見つけたのさ」
「野良猫でも見つけたみたいに言わないの」
「野良猫みたいなもんだろ?」
魔女はそんなことを言いながら、カップに口をつける。
「やっぱり、まだ子を捨てる人はいるのね。最近は飢饉を脱したというのに」
「金のない人間はたくさんいるさ。どこかで攫われて売られたのか、それとも……身内に売られたのか」
「……嫌な話ね」
レベッカはアリスに目を向ける。背筋を伸ばしてお茶を飲む様子を見て、「あら」と声を漏らした。
「行儀がいいのね。お茶の飲み方が綺麗だわ」
「アンタは行儀が悪かったからね」
魔女がそう言うとレベッカは頬を膨らませた。魔女は気にした様子もなく言葉を続ける。
「それに物覚えも悪かった。家事も文字も全然覚えられなくて、よく泣いていたね」
「もう。昔のことなんだからいいでしょ」
アリスは顔を上げて二人を見比べた。それに気づいたレベッカは苦笑いをすると魔女を見る。
「……私もね、この人に拾われて育てられたのよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます