第4話 居場所(2)
アリスが来てから数週間が経った。
彼女は家事を少しずつこなせるようになってきた。家事を任せて、魔女は自身の仕事をしようかと立ち上がろうとした。
不意に魔女の耳がピクリと動く。森の音が聞こえたのだ。村の人間ではない誰かが森の中で会話をしているのだとわかり、魔女はアリスに声をかけた。
「アリス」
食器から目を離さない。聞こえていないのだろう。
アリスは几帳面な性格らしく、家事を行う順番を決めて、必ずその順番にこなしていた。彼女が掃除を終えた後は、いつも物が一定の場所に置かれている。そして、家事を始めると集中してしまうため、声をかけてもこちらを見なかった。
「まったく……仕方ないねえ」
アリスは家事に意識が向いている。少し家を出ても大丈夫だろう。魔女はアリスを横目で見ると、そのまま家を出た。
冬の森は静かだ。生き物が眠り、植物も変化を見せない。木々に実りがないから、他の場所から近づいてくるものも少ない。こんな状況でこの森に来るものは厄介なものくらいだ。
魔女は散歩するように森の中を箒に乗って飛びまわった。魔女は面倒事を嫌っている。だから、面倒事になる前に見つけて対処したかった。
「――おい、そっちにいたか」
「いねえよ。もう死んじまったんじゃないのか」
二人の男が何かを探している様子だった。
そういえば、アリスを拾った日も馬車の音と男たちの声が聞こえたことを思い出す。
「くそ、あの小娘、どこに行きやがった」
「せっかく買ったのにな……」
その言葉を聞いて、魔女は目を鋭くする。箒をゆっくりと降下させた。彼らは魔女の存在に気づかない。背後に来ると、魔女は彼らを見下ろした。
「――アンタたち、何を探しているんだい」
空から声をかけると、男たちは顔を上げた。魔女の姿を見て、大きく目を見開く。男の一人は表情をこわばらせ、震えた声を絞り出した。
「ま、まま、魔女……?」
「ああそうさ。アタシは魔女だよ。この森に何か用かい?」
魔女は目を細めて、男たちの周りを見た。彼らのそばに停められている荷馬車は大きかった。何人も子どもを載せられそうだ。屋根や壁があり、中を見ることはできない。中から音はしないから、今は何も載せていないのだろう。
「いや、あの……」
顔を真っ青にして取り繕おうとする男に対し、もう一人の男は落ち着いた様子で魔女に問いかけた。
「女の子を探しているんだ。見なかったか?」
「知らないねえ。アンタの娘かい?」
「いや……預かった子だよ。知らないならいい。俺たちはもう立ち去る」
そう言うと、男は荷馬車に乗り込もうとした。
「え、いいのかよ、おい!」
置いて行かれそうになった男は魔女と荷馬車を見比べると、荷馬車の方に走っていった。
荷馬車は魔女から逃げ出すように走っていく。それを見届けると、魔女はゆっくりと地面に降りた。
「……やっぱりあの子は攫われた子かね」
魔女は荷馬車の走っていった方を眉をしかめて見つめる。
「な~ん」
黒猫が魔女の足元に擦り寄った。
「おや、ついてきたのかい?」
黒猫は抱き上げろと言わんばかりに、魔女のローブに爪を立てる。
「こら、破けてしまうだろう」
魔女は黒猫を抱き上げる。黒猫は魔女の腕の中で眠そうに目を細めた。
「自分で歩けないなら、出てくるんじゃないよ」
口ではそう言いながらも、魔女は黒猫を抱えたまま歩き出した。
この森は普通の人が寄り付かない。代わりに寄り付くのは獣、誰かに見られたくない物を運ぶ者、そして行き場を失った者たちだ。
アリスを拾ったのはこの森だ。十数年前に娘を拾ったのもこの森だった。
「『灯りの家』が人を求めているのかもしれないね」
自分を拾った紳士が亡くなってから、魔女は一人で生きて行こうと考えていた。だが、魔女の考えに反し、あの家は新しい住人を迎え入れる。
「アタシが拾わなければいい話なんだけどね」
黒猫が腕の中から「にゃあ」と鳴く。
「そうさ。おまえもその一匹だよ。困ったもんだよ」
魔女は森を巡回すると、家に戻った。
家に入ると、家の中が散らかっているのが見えた。アリスが小さくうずくまっているのが目に入った。
「これは何事だい?」
アリスは顔を上げて魔女を見た。目元に大粒の涙を浮かべる。ふにゃと顔を歪めると魔女のほうへ駆け寄った。涙をポロポロと流しながら、魔女の服にしがみつく。怪我している様子はない。直接、誰かに危害を加えられたわけではないようだ。
「何があったんだい?」
部屋を見れば、棚がすべて開けられ、中身が床に散乱している。扉も全て開けられており、何かを探していたような痕跡があった。魔女は警戒するように周りを見渡す。
「誰か来たのかい?」
アリスは首を横に振る。魔女は目を大きくすると少女を見た。
「……じゃあ、棚の中身を出したのはアンタかい?」
そう聞けば、彼女はうなずいた。
「どうして?」
アリスは顔を上げると、石板の置いてあるところまで行って、文字を書いた。
『あなたがどこにいったのかわからなくて』
どうやら魔女が突然いなくなったことに不安を覚えたらしい。
魔女にはよく理解できなかった。少し離れたぐらいで何ともないだろうと思った。理解できないが、彼女の中ではとても重要なことだとわかった。
「……仕方がないねえ」
魔女はぐずぐずと泣いているアリスの頭を撫でた。
「家事に集中してるから、何を言っても聞こえないと思ったんだ。次からはちゃんと声をかけるよ。……悪かったね」
しゃがんでアリスの目線に合わせる。優しく背中を叩きながら、魔女は言い聞かせるように話した。
「今は無理にとは言わない。けれど、少しずつ慣れていくんだよ。いつか、アンタもこの家を出ることになるのだから」
アリスは首をかしげる。
「『灯りの家』は誰かの居場所になる。けれど新しい居場所を見つけたら、出ていくものだ。娘というのはそういうものだし、それが『家』なんだから」
その言葉を聞いて、アリスは石板に文字を書く。
『あなたはずっとここにいるでしょう?』
いつもより震えている文字に小さく笑う。
「アタシにはここしか居場所がないからね。出て行けないのさ」
アリスは魔女をじっと見る。そして文字を書いた。
『じゃあ、私もここにいる』
「……そうだといいねえ」
しゃくり上げるアリスを横目に見ながら、片づけをする。今日はもう調合はできないだろう。
「今日はお茶を飲んでゆっくり過ごそうか。お茶を用意してくれるかい?」
アリスは涙を拭ってうなずくと、お湯を沸かしに行った。
その日、アリスは魔女の近くから離れなかった。魔女が立ち上がると、アリスも立ち上がる。歩けばその後ろをついてきた。
「まったく……犬でも飼った気分だよ」
魔女はどこかへ行くときはアリスに声をかけるようになった。彼女が家事に集中しているときでも声をかけてから調合室へ行く。集中していて話が聞こえないかと思っていたが、聞こえているようだった。声をかけてから部屋を離れたときは、慌てる様子は見せなかった。
アリスは家事をしながらも、一定の間隔で魔女の様子を伺いに来る。最初はわからないことでもあるのかと、顔を見せるたびに「何かあったのかい?」と尋ねていた。
だが、特に用事のないことが多いため、魔女も顔を上げて目を合わせるだけにするようになった。
そんなある日、アリスは珍しく石板を持って調合室に来た。
「どうした?」
石板に書いてある文字を見せる。魔女はその文字を見て、口端を上げた。
「はいはい。わかったよ。家事に戻りな」
魔女の言葉に、アリスは手に持っていた石板を見つめる。魔女の方に駆け寄ると、その石板を押し付けた。
「…………」
真剣な表情につい受け取ると、アリスは満足そうに笑みを浮かべて、居間へと戻っていった。
「……まったく、仕方ないねえ」
魔女は笑いながら、アリスの書いた文字を指でなぞった。
『あなたがいる場所が私の居場所だよ』
その文字に、魔女は眉を下げて微笑んだ。
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