第3話 居場所(1)


「――この家はどうして『灯りの家』と呼ばれてるんだい?」


 幼い魔女の問いに紳士が笑う。


「本当は別の家につけるはずの名前だったんだ」


 紳士は懐かしそうに目を細めた。


「私の大切な人が言っていたんだ。暖かな部屋で温かい料理を用意して、灯りのついている家で家族を出迎えたい。いつか子が独り立ちをして家を出て行くまで、居場所となるような家にしたいと、そう言っていたんだ」

「へえ、そうかい」


 魔女はそれ以上聞かなかった。その『大切な人』がどうなったか知っていたからだ。


 パンにかじりつく。この家に来てから、温かな料理を口にしてきた。紳士は料理ができなかったから、ほとんど魔女が用意したものだ。その料理を口にすると彼は微笑んでくれる。舌が肥えているはずなのに、魔女の料理に嬉しそうにしてくれるのだ。

 魔女が出掛ければ、紳士が帰りを待ってくれている。彼が出掛ければ、魔女も灯りを消さずに待っていた。


 家族の真似事だと二人ともわかっていた。けれど、それが二人の居場所になっていた。


「……いい名前だね。アタシは好きだよ」


 魔女の言葉に紳士は嬉しそうに微笑む。


「私もそう思うよ」


 彼はそう言うと、手を止める。


「この家には私たちのような人の居場所となってほしい」


 魔女には理解ができなかった。どうして知らない人を助けるのか。人間は信用できない。すぐに手のひらを返す。罪なき者を殺す。

 けれど、うなずいた。魔女自身、人間の彼に手を差し伸べてもらったからだ。


「……そうだね。この家は『灯りの家』だからね」


 紳士は目を細めてうなずく。


 彼が亡くなったあとも、魔女は彼の言葉を考え続けた。




「アタシの言葉はわかるのかい?」


 幼い少女はうなずく。暗い色をした短い髪がわずかに揺れた。返事をしようと口を開いた。


「っ……」


 口から声が出て来ず、彼女は顔をこわばらせた。その表情は声を出せないことに対する戸惑いだけでなく、声を出すことに対する躊躇いもあるように見えた。


「無理に話すことはないよ」


 魔女の言葉に少女はビクッと肩を震わせ、泣きそうな顔で口を閉じる。


「……話したくなったら、話せばいい。話したくないなら、話さなくていい。アンタの好きなようにすればいいのさ」


 その言葉に少女は意外なことを言われたように顔を上げた。だが、魔女はそれに気づかず、考え込むように腕を組む。

 この子どもが言葉を話せない理由はわからない。だが、話せないからと言って、不便はない。家事ができればいいのだ。


 魔女は棚の中から何かを取り出す。


「今日からこれを使いな」


 差し出したのは石板だった。幼い子どもが字を勉強するときに使うものだ。魔女は石筆を持って、石板に文字を書く。


「こうやって文字が書ける。アンタ、自分の名前は書けるかい?」


 魔女の問いに少女は首を横に振る。


「文字は?」


 再び首を横に振る彼女に魔女は気にした様子もなく言う。


「じゃあ、覚えな。アタシが教える」


 普通の人間は文字を覚えない。文字を勉強するのは貴族か聖職者、地主階級、商人くらいだ。

 不思議そうにこちらを見る少女に、魔女はフンと鼻を鳴らした。


「アタシも昔に教えてもらったんだ。そこらへんの人間より、勉強はできるよ」


 魔女は指で顎を擦ると少女をちらりと見た。


「それにしても、名前を呼べないのは不便だね」


 魔女は少女をじっと見る。


「……アリス」


 少女は目を瞬かせる。魔女はもう一度言った。


「アリス。今日からこれがアンタの名前だよ」


 頭の中で反芻しているのか、少女は胸に手を当ててうつむく。


「嫌なら、名前をさっさと教えることだね」


 魔女は綺麗な文字を石板に書く。


「これがアンタの名前さ。書けるかい?」


 アリスは魔女の字をじっと見つめると、隣に自分の名前を書いた。線に不安定さがあるものの、正しく書かれていた。


「へえ。上手いじゃないか」


 魔女は次々と文字を書いていく。アリスはそれを見つめると、同じように書いていく。アリスは物覚えが良いらしく、一度で文字を覚えてしまった。


「アンタ、頭が良いんだね」


 魔女の言葉にアリスは目を瞬かせると、嬉しそうに笑みを浮かべた。


 魔女は彼女のことを少し物覚えが良い子くらいにしか思っていなかった。だが、アリスの物覚えの良さは字だけに限らなかった。


 アリスに家事を教えるようになった一週間後、魔女はテーブルの上に置いてある料理を見て、驚きの声をあげた。


「……もう覚えたのかい?」


 そこには初日に一度だけ作り方を教えた料理が置かれていた。


 アリスは魔女を見ると、お茶を淹れて魔女の前に置いた。座るようにと椅子を引いてくれるので、魔女は腰を下ろす。アリスも向かいに座った。

 食事に手を付ける。焦げていないし、味付けも教えたとおりにできていた。


「これを一人で作ったんだろう?」


 魔女の問いにアリスはうなずく。魔女は彼女を見つめて表情を緩めた。


「アリス」


 アリスは顔を上げると、魔女を見つめ返した。


「……よくできているよ」


 その言葉にアリスは口端を上げて目を細めた。機嫌良さそうに食事を続ける。


 魔女はそんなアリスを見て息を漏らした。


 物覚えが良すぎる。一度教えると、大抵のことはできた。

 家事を教える魔女の手つきをじっくり見ながら真似をする。それだけで覚えてしまうのだ。技術が必要なことは何度もやらせたが、それでも普通の子どもより何倍も早くできるようになった。

 普通の子どもらしくないと言えばそうなのだろう。けれど、それがアリスという子なのだ。


「まあ、こういう子もいるだろうね」


 魔女はそう思い、食事を続けた。




 アリスは文字を覚えると、魔女と会話するように努めた。


『こんにちは』


 彼女との会話はこの言葉からはじまる。魔女はそれを見て、自分も石板に文字を書く。


『こんにちは』


 そう返せば、アリスは一生懸命文字を連ねた。まだ長文を書くのが難しいようで、短い文で返事が来る。


『あなたの名前を教えてください』

「…………」


 魔女は少し考えてから、その質問に返事を返す。


『自分の名前を書けるようになったらね』


 アリスは顔を輝かせると、自信満々といった様子で文字を書いた。


『アリス』


 拙い文字で書かれた名前に、魔女は小さく笑う。


『アンタの本当の名前だよ。早く書けるようになるんだね』


 その言葉にアリスは眉を寄せて、唇を尖らせた。不満げな表情を見て、魔女は少し意地悪をしすぎたと反省する。アリスの頭をポンポンと叩き、口を開いた。


「少しずつ、いろいろな名前を覚えていけばいいさ。その中に、アンタもあるかもしれないからね」


 そう伝えてると、アリスは頬を緩めて二回うなずく。彼女は物覚えがいい。きっと、すぐに本当の名前も書くことができる。それに、子どもの成長は早い。きっと、すぐに魔女の助けがいらなくなるだろう。


「……早く覚えられるといいね」


 この子がいつまでここにいるのか、そのことを考えて、魔女は少し視線を下げた。



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