断章悲歌 作:日立有紗
一
愛の時代も終わったいま、私は自己の内面をつばなかすことができる。暗涙に濡れた精神を一個の詩集のように抱いて、私は窓辺の籐椅子に腰かけている。ものごとはすべて、完全に終わりまた一から始まるのではなく、破綻と
二
駐輪場の桜がかずかずの自転車に二、三の花弁を与えるころ、私はあなたと出会った。それはちょうど、天窓で枠どられた空のなかを鳥が去っていくのと同じだった。私は無限の散光のもとで、精神のうちに或る一個の影をみとめた。すなわち、指先の感触がおのずから想起されるほどになめらかな髪、端整な横顔に開花するまなこ、その透明で鋭い視線、そういうもろもろの印象をである。砂糖水に浸かり甘くひらいた花々の、目をつぶすほどに
三
すべてはそこから始まった。私がとめる場所をまちがえ、彼女の隣に——三年生の場所にとめたことから。
四
私は元来寡黙で、談笑ということもままならないものだが、あなたといるときだけは快活になれた。それはなぜか。きざなことは言えまい。ただあなたが導いてくれたからである。あなたの発言や反応が、私の次の言葉を引き出すようにできていたことを、私はあとになって理解した。いや、しかし、それは結局、あなたといっしょだから、ということなのかもしれないけれど。
五
踊り場にいるあなたは天使にみえた。採光窓からさす光のかげんで、真っ白に包まれるさまは、あなたに聖徳が満ちあふれているかのようだった。かつは、あなたが一個の墨点にもみえた。純白のなかに呑みこまれ、あえなく消滅するのだ。けれども、仮にも後者だとして、そうやってたよりなげに在るあなたは、次にも消えいりそうなあなたは、かえって天使のよそおいをしているのではあるまいか。天使の舞踏は、かかる露命のきらめきではあるまいか。
六
私はあなたと浜を歩いた。
けれども、私が見たのは、聞いたのは、嗅いだのは、味わったのは、感触したのは、あなたのことだった。
なめらかで艶のある短い黒髪。
そこからのぞく小さな耳。
のびやかなまつ毛。
まっすぐな瞳。
こぢんまりとまとまった鼻。
情感に富んだ湿潤な唇。
そして、海。
ずっとずっと遠くまで渡っている海。
私はあなたを見た。あなたに溶けいろうとした。
七
私たちは二人で同じものを勉強した。フランス語検定五級。私たちは、生まれに二年の月日を隔てているから、差異についてはうんざりするほど知っていた——とくにあの決定的な帰結によって、それを痛感することになるのだけれど。そういうわけで私たちには、同じものに向かって手を取りあって進む必要があった。
駅で待ちあわせて、会場へ行った。電車で数駅先の私立大学だった。
休日の大学の静けさは、巨大な骨格標本の密度とたたずまいをし、裏門から通り抜けていくとき、そのとっつきようのない空洞感はあだかも二人きりの虚構世界だった。
受験する教室が別々とわかって、私に言い知れぬ不安が湧出した。あなたが背中を撫でて、大丈夫と言ってくれたけれど、その言葉は憂鬱の深淵に投げこまれた石のごとく消滅した。
私に本当の安堵がおとずれたのは、試験が終わって、あなたと再会したときだった。
一斉に出ていく人びとのなか、その背筋よい体をいっそうのばして私をさがすあなたの表情に、私は飛びこみたく思った。それは、あるいは迎えの母親に飛びこむ子供と同じで、いまはただ安楽の一隅に還りたいばかりなのだ。私にもその無邪気さがあればよいのだけれど!
はたして、私たちはともに合格した。フランス語を勉強したかったわけではない。二人でひとつのものに励みたかったのだ。
八
私があなたに教えられることはひとつもない。私のうちにはかずかずのものが蔵されてあるけれど、それは花ではない。これが私とあなたの隔たりだ。そのひとつだ。
九
浜辺を二人で歩いたときの、幾歩か先を行くあなたの背後を思い出して考えた詩(未完成)。
命がいつ始まり
いつ終わるのか
この体で知ることはない
この体には
はじまりもおわりもない
いまや
海波がはこぶ無数のものに
土踏まずに吸着する濡れた土に
あちらこちら思いまよう風に
接吻をゆるしている
永遠がいつ終わるのか知らないけれど
斜光は私をとかし
かえすがえす目をうがち
音だけはまどろまず
私を抱いて眠ろうとする……
十
私はあなたの瞳について、まだいくばくかの観念をもっている。私は誰に対しても目の印象をもたないのだが、あなたとなると、私の脳裡に明瞭なのは目だった。垂れているというよりは平行なかんじのまなこ。それはたしかに大きいけれど、魚のようにむやみと見開かれたものではない。じつに華やかで、星のきらめくようにまばゆい大きな瞳なのだ。……それからまた、その目は無理に広がっているのでもなく、むしろなんだか眠たげにぼったりと座っているかんじがする。なかば閉じているかのような印象をもちながら、静かに丁寧に開いてある。森閑とした樹海の空隙にさす光だ。あなたの目は、そういうおもおもしさをそなえ、なかでもぱっちりとしている。聖堂の円天井のようなおごそかな絢爛ともいえよう。その上に細くもはっきりした眉がある。前髪の合間に象徴的で、それがあなたの表情をすくなからず意味づけるのだと思う。
鼻などは、かえってまったく意識されない。あなたの鼻というのは、居ずまいよく、ただ小さくある。口にしても、ゆるく結ばれているのがほとんどで、本当に大事なことを言うほかではめったに開かれない。いつもじっとたたずんでいる。私はときどき、唇のあまりに湿潤なことに目を見はる。
こうした各部分が位置する顔の上で、あなたの表情というのは年齢に不相応なくらい聡明で大人びている。一個の感情も蔵さず、なんらの観念ももたないとき、あるいはじっとひとつの思考に沈潜しているときなど、あなたの顔はもっとも端正で、さやかだ。私は、その無垢なおもてに、朝方のうたた明るんでいく空のような精気をもらう。私のうちに静かで確固とした力がみなぎり、肺がいっそう自由に呼吸しはじめる。
けれども、反対に、あなたの顔は、年齢に不相応なほど子どもっぽくみえもする。なにものにも興味をもてなくなって、いかにもこの世界は見あきてしまったというふうにふてくされた子どもの顔だ。いまのあなたには、なにもかもがつまらないのだ。私や、あるいはほかの人びとと話すときのあなたにくらべると、ひとり黙っているさなかのあなたは、開かれていながら閉じられてもいる感じ、ゆるやかでもありこわばってもいる感じをいだかせる。そのせいか、あなたは堅固な閉塞感をおび、人を寄せつけない沈黙をしている。
十一
光はむかいの校舎と中庭とに照りつけて、粉っぽい黄色に染めていた。暮れ方のいっとう烈しい日射だった。あなたはそこで待っていた。子どもみたいに無垢な真顔にこそ、聡明な目鼻がきわだつ。
ただ沈黙だけがあり、どこからともなく男子生徒のにぎわいがする。その音の遠さが、私たちが二人きりで孤立していることを思わせた。
「もう半年ちょっとだね」とあなたが言った。
十二
私の胸には校舎があり、幻影のあの人をとり囲んでいる。
だがつまるところ、囚われているのは私だ。
十三
私はあなたを姉妹のように慕いながら、まねるということをしなかった。あなたの清潔であでやかなおかっぱは、私のうちでも特別な地位だった。そこに近づこうとせず、私は私の髪型をつらぬいた。あなたが言ったからだ。あなたは、もっとずっと伸ばしておけばよかった、と嘆いた。私は特別に許された気さくな呼称を使う。
「でも私は、A×××ちゃんのいまの髪型好きだよ。すごくきれい」
「えーありがとう! うれしい!」
「だから私がA×××ちゃんの髪型する」
「だめだめ! Y×××ちゃんはそのまま伸ばして! せっかくロング似あっててきれいなのに、なんか切ったらもったいない気するし」
わかった、維持する、と私は笑ったはずだ。いまでも切れずにいるのはそのせいだ。
十四
あなたは——あなたは、私にならおうとした。すすめた本はすぐに読んで感想をくれたし、私がまだすすめずにいた作家も、しらずしらず読んでいた。前教えてくれたあの作家さんに似た雰囲気の人でさ、とあなたはその名を言った。「やっぱそうだよね、ぜったいY×××ちゃん好きそうだったから、言わなきゃと思って」
あなたのその言葉を、私はたえず反芻した。
十五
私たちは二人で枯れ木を眺めた。葉がすっかり落ちきって、大きな箒のようにもみえる。あなたは、無数の枝が空に向かって方々にのびるさまを、雲を掃きとるためだと言った。現に細かくて薄い雲たちは、梢のあいだに絡まって、動かなかった。
私たちは冷たい青い空気を吸いこんだ。
その深呼吸とともに、雲も梢から離れていくようだった。
十六
私たちの住むところには雪が降らない。だから数年ぶりの積雪ともなると、はしゃぎとおしなのだ。
行きしな、私たちは公園に寄った。一面が未踏の雪原だ。歓喜のうちにそこへ踏み入り、犬のように子どものようにうち震える心の力のまま、腕をふりまわして舞い踊った。降る雪は光だった。ともに舞う星々だ。
そうして私たちは、すくない時間の焦りのなか、大急ぎで雪だるまをつくった。私たちは時間がなくなっていくことを喜んだ。遅刻の憂き目がはっきりしてくると、笑い声や歓声は大きくなった。不格好な雪だるまだけが私たちの勉強であり、遅刻すればするほど正しいことに思われた。
長い距離を走るとき、疲れはなかった。より速く、より速くと駆けてそうして一陣の風になる。それが私たちだった。
十七
生活はよどみなく続き、終わりの日はただ近づいてきた。そのことを私は知っていた。けれども自覚していたわけではない。私にとって二学年の隔たりは口惜しい絶対的距離だったけれど、ふとすると希薄な意味をしかもたなかった。過去はかすんでいく幻影で、未来は肉薄する幻影だ。いずれにしろ幻影なのだ。だからいつまでも嘘みたいなのだ。
十八
私はあなたを癒すことができない。あなたが勉強に感じる苦痛や困難は、私の把握しえない外側にある。私は、単に苦い刺激物という印象だけで共感するばかりだ。だがそんなものは共感にはならない。
固い横顔を黙って見まもるときの無力さといったらない!
十九
あなたが合格したことは、メッセージで知った。そうしてメッセージで祝福した。
沈黙が降りかかっていた。
二十
別れの日。駅までの道のりを走りきって階段を駆け上がる。疲れはない。どうしてか苦しくない。
あなたはプラットフォームにいた。
あなたのほほえみと握手と抱擁を、なぜともわからぬまま気味悪く感じていた。この微笑がなんであろう、この握手がなんであろう、この抱擁がなんであろう。私を置いて去ってゆく愚か者。
ふしぎと、それは舞台装置の大がかりな無味乾燥さなのである。木の板に描かれた太陽のように、光と熱をもたない。私の心意気しだいで、あなたのやさしさすら間抜けた虚構に堕するのである。私は私の罪に黒々と塗抹されて、別離の間際にすら内的に動揺していた。
二十一
歩くことの、これほどの茫漠さと、気の遠くなるような虚しさといったらない!
これはあの人を失ってなおなす歩みだ!
離別ということそのことからも、私は離れていくほかないのだ!
二十二
しばらく日を経て湧いてくる、烈しい感情。抑制しきれず、うめきや涙など、なにかの形をもって顕れ出る。別離の悲しみか? 無為無力の
二十三
私という船の底荷はあなただった。あなたが私に安定をくれていた。だからいま、私は沈没しそうになっている。
二十四
あなたはおどろくほどなめらかな肌をしている。その上に、にきびのひとつさえない。あなたはくすみのひとつさえもたない。
一方で、たしかにあなたは人よりいっそう声が低く、喉に引っかかるような出しかたをする。
それかとて
二十五
私はただ雑踏がきらいというだけで、夏の花火も冬の花火もあきらめた。どうせ彼女には相手がいるのだと見切りをつけた。幸福へ向かう橋を焼いたのである。呪わしい思いなしだ。
二十六
私はひとつだけ罪を犯した、友愛がままならないという罪をだけ、すなわち、より以上のものを授受したく思う罪をだけ。
二十七
失敗はあまたある。その最たるものは、あなたの誕生日を知らないことだ。私には、あなたのために祈る定まった日時すらない。
二十八
返さぬままの画集が、いまも心臓におもりのごとくさがっている。
二十九
幸福に対する恐怖は、谷底から見上げたときに、空に向かって落ちていきそうに思うのと同じである。あるいは、幸福へ跳躍するよりも地続きの不幸を行こうとするのは、地面は確かに感じられるけれど、空はつかみどころなくみえるからである。
三十
底深い崖のきわに立ったときの、あるいは暗い闇のなかを進むときの、焦燥と不安だけが確かである。ともすれば、それだけが人間に供するのであって、安楽・安穏・平和はなにも生み出しえない。
三十一
学園祭の昼すぎ、私たちは空き教室で食事をした。人のいない喧騒と、空気ににじむあなたの声、かおり。
なにを話したのか? すっかり忘れてしまった。大事なのは、あなたと、そのとき感じた幸福だ。
三十二
青春は無知によって成り立つ。したがって、理智を得、自己を律すると、青春は終わる。無知で、無遠慮で、無批判であるあいだだけが、人間の情をはぐくむのである。人が愛によって自己を完成させるのは、まさしくこの時期である。
三十三
人は愛なしには完成しえず、愛なくして生きながらえることもできない。それはつまり、家族の愛と、赤の他人からさずかる愛。
三十四
人は愛によって正しい人生をおくる。愛をもたない人間はゆがむ。愛なき人生は破滅に至る。
三十五
恭敬、敬愛、愛慕、敬慕、……恋慕。こういうものを、人間の青春や生命における浮薄な表徴にさせないためには、実際的な
三十六
私は深海に生きるものであって、太陽の光を知らないのである。それだから私のうちには聖徳の一片だに見出しえず、ふつう人がもちあわせている倫理や経験すらない。あだかも深海魚が光なしで生きるすべを手にしているように、私は別な器官を発達させることで間に合わせてきたのである。それは情念に対する理智である。よって私のもつ思いやりはまがいものであり、真心ではないことを、あえて宣言しなくてはならない。
三十七
ときどき、私は病的なほど自分の内側に潜りこむ。そこは思惟の砂漠だ。無際限に運動できるが、とりとめがない。ここではなにごとも砂にまみれて、いかにも無意味なふうに朽ちていく。
このとき、私はほとんど一個の無にちかい。あるいは、水彩画のような透けた暗色だ。私は総体的に絶望であり、つまり絶望そのものだ。人間の輪郭でぎりぎり存在を保存されている意識自体だ。それだから私という一個のものは希薄で、ややもすると外界と混ざりあってしまう。私は部屋そのものであり、そのかぎりでの世界そのものだった。
三十八
生と非-生とのはざまにあるくぼみに落下し、脱け出せなくなっている。あるいは、現実と夢のはざま。めざめと、ねむりのはざま。
三十九
心は過去の窓辺にもたれかかり、くもり空の淡い光と、冷えきった空気を感じている。
では、体は?
体だけは、とうにそこから飛び去っている。
四十
私は、過去という
四十一
永い無為と闘争と混迷のさなか、私はようやくのことで心を落ち着けている。戦争は終結したが、喜ぶこともなく、悲しむこともない。いまあるのは、死神にいたぶられるだけの時間が過ぎ去ったことでようやく感じる、途方もない疲れと安堵感だけだ。苦しいだけの恋慕ゲームはこうして終わりを迎えるのである。すなわち、これからは弥縫の時間であり、そこには光が射しこんでいるはずだ。いまはまだわずかな光明すら見えないけれど、そうなのだ。
四十二
かつての悲しみは、時間によって延べられていく。薄味の悲しみ。なにかを足すことも、飲みほすこともできない。それはそれ自体としてそのまま薄らいでいくのだ。ほとんど水のような味わいになる日のことを思うと、ひどく虚しい。
四十三
一つのノート。ゲリー・スナイダー「十二月の八瀬」(Gary Snyder〝December at Yase〟亀井俊介・川本皓嗣編『アメリカ名詩選』岩波書店、一九九三年)一部抜粋。
「そして今では、自分が
馬鹿なのか、
それとも自分の業に従ったまでなのか、
知りようもないかもしれない。」
(And may never now know
If I am a fool
Or Have done what my karma demands.)
四十四
精神は季節のように循環できるだろうか。この風と日と、私はひとつになれるだろうか。
四十五
私は私でなくなり、なお私でありつづける。
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