第45頁 兄弟喧嘩
「素敵じゃねーって……。こんなん、意味分かんないし。恥ずかしい……」
「本当に素敵だから! 情景が浮かんでくるもの! 昔って、『少し、歩きませんか?』ってよく使う文言だったと思うんだけど、そこがナイスチョイスだなって。素直じゃない、不器用に自分の気持ちを隠してのお誘いと告白……純文学の世界……日本人らしい!」
「やめてぇぇぇぇ……」
松野くんは、両手で顔を隠して、めそめそと泣く真似をし始めた。
「お散歩ってのも良いよね。大正浪漫感ある。『歩く』って、速度も良いなあ。この時間が続けばいいのにって聞こえてくる気がする」
「それ、幻聴!」
「はあ〜、ロマンチック!」
「だぁぁぁぁ!!! やめっ! やめー! 高橋さん、そこまで!」
「えー……」
「『えー……』じゃない! やっぱり素直が一番だ。『好き』って言うのが一番スマート」
「素敵だったのに……」
「男は黙って『愛してる』って言……ってぇー!」
パシン!という鋭い音が響くのとほぼ同時に、松野くんの頭が大きくて揺れた。
「〜!! いってぇ〜!」
私はその時初めて、自分達以外の人物の存在に気が付いた。後頭部を摩りながら、顔を上げた松野くんの後ろには、松野くんに瓜二つな人。
「何が『愛してる』だ。池に沈めるぞ……」
気怠げな瞼。癖が付いて、ボサッとした印象の髪。そして、この声。
「何だよ、
やっぱり松野茜祢くんだ。茜祢くんは、松野くんの返答が気に入らなかったのか、目元をピクリと動かして舌打ちをした。
「あんたさ、何してんの……? 何考えてんの?」
「え? あー……うーん……」
「一時休戦はどうしたよ、ヘタレ」
「うえっ!? ちょ、ちょっと!」
「帰るよ。買い物頼まれてるし……」
「それは、“お前が”頼まれてんだろ!」
松野くんはそのまま、弟の茜祢くんに引き摺られて行く。呆然とする私に茜祢くんは会釈をし、松野くんは「高橋さん、ありがとう! ごめんね! また学校で〜!」と叫んで見えなくなった。
見えなくなる寸前、また松野くんが頭をポカリと叩かれているのが見えて、思わず笑ってしまった。
◇ ◇
「ねぇ、何してんの? 隠す気あんの?」
未だに茜祢に叩かれた頭が変な感じだ。
「そんなしょっちゅう会ってたら、三つ子と言えど、流石にバレるから。相手の事、馬鹿だと思ってんじゃないの?」
刺々しい茜祢の声が容赦なく耳に突き刺さる。高橋さんの事を馬鹿だと思っているとか、そんなつもりは一切無かったから、俺は面食らってしまって、まともな返事が出来なかった。買い物袋を下げて俺の少し先を歩く茜祢に対し、そんなに目くじらを立てられる様な事だろうか?と思う反面、茜祢の言っている事は、尤もだと思う俺も居て、口をへの字に歪めるくらいしか、抵抗を示す方法が思い付かなかった。
「あ……茜祢ぇ……」
「チッ……何?」
キッと鋭い目付きで振り返る茜祢を何とか宥めて、この場を収めようと口を開く。
「わざとじゃないしさー。ね? 怒る程の事じゃ……ね?」
「はぁ……」
そんな俺の思惑も虚しく、茜祢は明から様な溜め息を吐いて、また俺に背を向けた。
「『お前には関係ねーだろ』って言いたいんだ? ……本当におめでたい……」
「いや、言ってないし! 彼女とは、たまたま会ったんだってば! それに会話したのだって、本当に久しぶりなんだぞ」
「そういう事じゃない。分かってる? あんた嘘吐いてんの。しかも誰のフリしてる? 彼女のクラスメートでしょ? いつバレてもおかしくないんだよ」
「……」
返す言葉も思い付かなくて、黙る俺に構わず、茜祢は続ける。
「彼女が人見知りだって事と俺達が一卵性だから、3人揃わなきゃ違いが分かんないから成り立ってるだけじゃん。あんたの腹が決まるまで、彼女と接触しない時間があるって事がどれだけ有り難い準備期間なのか、分かってんの?」
「……」
「しかも、俺だって全部知ってて、アキくんに話を合わせてるんだから、共犯なんだよ、要は。関係無くねーの」
「……」
「自分で自分の首締めて、どうすんだ」
茜祢の言っている事は正論で、俺が軽率だった。それなのに俺の中で、何かがぐるぐる渦巻いて、変な気持ち悪さで茜祢の言葉に集中出来ない。黒くて嫌な感じのする物が自分の中に見え隠れして、堪らなく居心地が悪かった。
——————茜祢は、良い。あいつは賢い
腹の底からふつふつと嫌な記憶が湧いてくる。小5の夏。じいちゃんの初盆。茜祢の貰った【風の又三郎】。
——————学歴は大事だ。一般常識や教養として、本を読みなさい。茜祢の役に立つはずだ。
——————俺も読みたい!
——————
「————……んだ……」
「あ゛?」
「話したかったんだよっ……!」
口から飛び出したのは、言い訳でも何でもない、ただの我儘だった。
「……な、何を開き直ってるんだ!」
俺の反論に一瞬呆けた茜が負けじと声を荒げる。
「逆ギレかよ!」
「うるさいっ! 俺だって、よく分かんねーよ!」
「こんの……!」
茜祢が肩を揺らしながら、此方へ近付いてくる。すぐ目の前で立ち止まって、鋭い視線で睨み付けられる。呼吸も忘れて、俺も茜祢から視線を外さなかった。茜祢の視線が「これ以上は、言わせねーぞ」と訴えてくるけれど、余計に悔しくなって、俺は口を開いてしまった。
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