第43頁 海外文学に触れる3




「この人もアメリカの作家だ」

「あ、そうなの?」

「【スタンド・バイ・ミー】もアメリカのお話じゃない?」

「うん、それはそう。ホラー小説の巨匠、スティーブン=キング!」

「松野くん、ホラー小説読むの?」

「全然。映画を観た事あるからだよ」



“そう言えば、毎年夏になると、よくテレビで放送してるな。私はまだ観た事ないけれど”



 手元の【スノーグース】は、紙も茶色く変色していて、あの古い本独特の甘ったるい香りが私の鼻腔をくすぐってくる。



「はあ……良い匂い」

「え」





 うっかり呟いた独り言に松野くんが反応した。




「古い本て、甘い香りがしない?」




 そう尋ねると、松野くんは目をキラッと輝かせた。



「する! 俺、好き!」

「私も好きなの」

「本当に!? 嬉しいな。俺の周りでは、不評だったんだよね。臭いって」

「そうなの? 甘くて良い匂いだと思うのに」

「でしょう?」




 変な所で意気投合してしまった。でも、これが良かったようで、そこから普段の感覚を取り戻し、スラスラと言葉が出るようになった。夏休みに入ってから、まだ1週間しか経ってないけれど、松野くんと話したのは、教室でのぞみちゃんが彼を呼び付けた時以来だし、ちゃんと話したのは更に前だから……約3週間ぶりだ。久しぶりのお喋りは、話題に事欠かなかった。内容は、本の話ばかりだし、他愛も無い事だったけれど。




「え、【銀河鉄道の夜】って夏の話なの?」

「そうだよ! 夏至祭の話だもん。あれ? 前に話した時に言わなかったっけ?」

「言ってないよ?」

「でも、小学生の時とか、授業でやらなかった?」




 今は、夏に読みたくなるお薦めの小説について聞かれたので、宮沢賢治の【銀河鉄道の夜】を薦めていたところだ。



「授業でやったのは、カニのやつだよ」

「【やまなし】」

「そうそれ! 俺の先生、『暗記するまで帰らせない』とか言って、居残りさせられた事あるよ」

「暗記!? 流石にそれは、無かったな」

「あり得ないよね? 死ぬ気で覚えたわ。もう忘れたけど」




 松野くんは、当時の出来事が相当嫌だったらしく、不貞腐れたような顔して、頬杖をついた。




「宮沢賢治は……読む気になれない」

「……もしかして、トラウマ……的な?」

「……どちらかと言えば、意地」

「ふふ、何それ」




 変な所で意地っ張りなんだなと、笑ってしまった。




「でもね、【銀河鉄道の夜】は、面白いよ。有名なだけあると思う」

「うーん……そうかぁ……そう言われると、読みたい気もするんだけど……」





 ……ほんの一瞬だけれど、松野くんの表情が曇ったような気がした。酷く辛そうな、何かを思い詰めるような曇り顔は、私に夏休み前の気落ちしていた松野くんを思い出させた。これ以上、宮沢賢治の話をするのは憚られて、私は極力明るい声で、話題を変えようと話を振る。



「松野くんは、夏に読みたくなる本って、何?」

「俺?」




 松野くんの顔から、曇りが霧散する。それにホッとしつつ、コクコク頷くと松野くんは、腕組みをして「ふーん」と考え込んだ。



「……俺はね、【真夏の夜の夢】かな」

「それ、絶対聞いた事ある……。誰が書いたの?」

「シェイクスピアでーす」

「そう! シェイクスピア! 松野くんの十八番だね」



 彼は本当に海外の小説が好きらしい。今回、彼が借りた物も話題に出している物も、殆ど海外の物だ。私も何か、彼と共有出来るものはないか?と頭をフル回転させる。読んだ事のある本の中から、外国人作家の作品を探した。



「高橋さん、どうしたの? 難しい顔してるよ?」

「うん……」

「……?」

「あ!」

「っ!? え、何……?」

「私、【星の王子さま】好き」

「……へ?」




 松野くんは、パチパチと2回瞬きをすると、口をキュッと結んで私をジッと見つめた。彼の頭上に幾つもの『?』が見えるような気がする。



「あ、いえ……その……えっとね! 私も何か外国のお話で読んだ事あるやつないかなって思って、考えて……その……」




 松野くんは、その先を促すように頷きながら、黙って話を聞いている。




「それで思い出したの。松野くんは【星の王子さま】は、好きですか……?」



 例の如く、最後の方は尻すぼみになっていった。松野くんは、そんな私の顔を覗き込むようにして、目を合わせると、目をキラキラと輝かせて楽しげに笑った。



「俺、読んだ事ないんだ〜」

「あ……そ、そうなんですか……」

「でもね、すっごく気になってた!」



 私は、ホッと胸を撫で下ろす。



「読んでみてほしいな……」

「なんか【星の王子さま】って王道過ぎて、今更手に取るのも照れるっつーかね」

「でも、死ぬまでには読んで欲しい一作!」

「そう言えば、テレビで【星の王子さま】のドキュメンタリーみたいなの、やってたよね?」

「それ、一昨日の?」

「うん!」

「邦訳についての番組だったよね。あの……キツネと王子さまが出会う場面の訳が、日本語には無い表現なんだとか……。『なつく』……だっけ?」

「それそれ〜、そんなん。邦訳家によって訳が違うのは、当然の事なんだけどさ、なんかね『おお〜!』って思った」

「松野くんは、今まで同じ本で違う訳の物を読んだりした事ある?」

「ないない。つーか、意識した事が無かったし」



 松野くんは、自分が今日、図書館で借りた【スタンド・バイ・ミー】を手に取ると「山田順子」と邦訳家の名前を呟いた。







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