第41頁 海外文学に触れる






「読みたいもの、見つけた?」



 本を借り終えたらしい松野くんが、ドイツ文学の棚の前で悩む、私の隣に並んだ。




「うーん……」

「高橋さんが海外文学なんて、珍しいね」

「うん。せっかく夏休みだから、いつもと違う事してみたくて」

「そっか〜」




 すぐ隣で小さな笑い声が聞こえた。勿論、松野くんなのだけれど。



「高橋さんて、明るいよね」

「へ……?」




 何を言われたのか、理解出来なくて、間抜けな声を出してしまった。だって、明るいって? わたしが? 聞き間違いではないか?と考えて、それが事実であり、たった今現実に起こった事だと理解した時、私は勢い良く松野くんに向き直った。そんな私の反応に、松野くんは不思議そうな顔をして、ゆっくりと首を傾げた。



「私、暗いよ! 超地味だし、言葉追いついてないし、全然明るい性格じゃないよ!」



 後退りながら、随分と慌てて喋ったから、図書館にいるのに、つい声が大きくなってしまった。けれど、そんな事にも構っていられないくらい動揺してしまって、両手を顔の前でぶんぶんと忙しなく振って、精一杯否定する。

 松野くんは、ぽやんとした顔で、慌てふためく私を見ていたけれど、徐々に半笑いになっていき、遂には肩を小さく震わせて、くつくつと笑い始めた。そんなに私は、変な顔をしているだろうか? とにかく伝えたい事だけはハッキリさせようと思い、もう一度「いや、本当に暗いんで! 私!」と言い放った。



「そこまで? くっ……ふふふ」

「だって……! ……うん……そこまで」



 何を笑われているのか分からないけれど、現在進行形で笑われている事も、本来の自分とは掛け離れた印象を持たれていた事も、全部が気まずくなった。



「高橋さんて、俺と話してる時も結構テンパってるよね?」

「えっ……!?」



 今度は、図星を突かれて心臓が縮み上がる。私は自分を人見知りだと理解しているが、松野くんにはその事を悟られないように振る舞ってきたつもりだったのに……。



「ちょっと失礼な物言いになっていたらごめんだけど、高橋さんは、大人数で騒いだり、賑やかなのは苦手な方なんだろうなって勝手に思ってたの」


“……合ってる……”


「でも、高橋さんて発想がポジティブというか……きっと、根が明るい人なんだなって思う」



 松野くんは、くしゃりと顔を綻ばせて、私から視線を外すと目の前の本棚を見上げた。



「だから、大人しいそうに見えて、愛嬌のある人だな〜なんて、偉そうに思っとりました。すみません」




 そう言って、何と形容して良いか分からない表情を浮かべる松野くんの横顔を眺めながら、私は何も言えずにいた。頭の中では、彼の言った事が、色んな単語に分解されて、散らかっている。


“根が明るい”

“テンパってる”

“愛嬌がある”


 全く飲み込めず、凄く恥ずかしいという事以外、何も分からなくて、遂に現実逃避を始めた。彼の横顔を見ながら、目が大きくていいなぁ……と。松野くんは、目が大きくてぱっちりしているから、こんなに薄暗い図書館の一角でも、瞳がしっかり光を捉えて、キラキラしている。キラキラと輝く、松野くんの瞳を見つめる私を現実に連れ戻したのは、彼の一言だった。



「ところで、海外文庫って何処の国にするの? ドイツ文学?」

「え!?」

「え……?」



 びっくりして大袈裟な声が出てしまった。流石の松野くんも私を見て首を傾げた。



「何でもない! あの……何処の国がとか、何が良いとか分からないから……」

「いっぱいあるもんね」

「松野くん、何か良いのないかな?」

「うーん……」



 松野くんは考えながら、少しだけ天井を仰ぐ。



「ちょっと前に読んだのが、良い話だったよ。アメリカの話だったかな」

「はい! それ読みます!」

「早いなあ」

「どういう話?」

「主人公は、『速く飛ぶ』って事に浪漫を感じていて、『飛ぶ』って事と真剣に向き合っているんだけど、仲間のかもめ達は、『飛ぶ』のは、魚を獲る為で、それ以上でもそれ以下でもないっつって、ジョナサンのやってる事は無意味だって笑うんだ」

「ジョナサン?」

「主人公のかもめの名前」



 松野くんの話を聞きながら、アメリカ文学の本棚へ移動する。



「速さもそうだけど、如何に飛ぶかって事を追求する、かもめ達の話だよ。感情を揺さぶられるような起伏は、俺には少なかったように思うけど、気持ちの良い話だったな〜」

「飛ぶ事……」

「俺、最初に読んだ時は、意味が分からなくてさ〜、1年位時間を置いて、もう一度読み直したんだ。そうしたら、びっくりする程、読後の気分が爽やかで、今ではお気に入りの1冊なんだ」



 松野くんは、「高橋さんは、俺なんかよりずっと頭が良いから、一回で内容もちゃんと入るかもね」と言って笑う。それは些か、買い被りすぎでは?と思って、反論したけれど聞く耳持たずといった様子で、彼は笑うだけだった。アメリカ文学の棚まで移動して、私達は足を止め、件の本を探す。



「アメリカ人作家なんて初めて。というか、アメリカと文学がそもそも結びつかないの」

「知ってるタイトル多いと思うけどな。今回お薦めする【かもめのジョナサン】は、正確には文学の括りではないみたいだけど、アメリカ文学の代表作といえば、マーガッレト=ミッチェルの【風と共に去りぬ】とか、スコット=フィッツジェラルドの【グレートギャッツビー】とか」

「知ってる! 読んだ事ないけど。【グレートギャッツビー】は、映画で観たよ。アメリカ文学なんだね」

「映画か……って、それ凄い古いよね? 高橋さん、古い映画も観るの?」

「時々ね」

「渋〜」

「渋い? 渋くは……無いかと」

「そう? ……でも高橋さんに何かを教えてるみたいで、変な感じ。いつもは教えて貰うばかりだから」

「そうかな? でも楽しいよ」

「本当? なら、良かった」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る