第40頁 縁の地で、君を見つける





 2階建てらしい図書館は、窓が少なく薄暗かった。1階には、児童書や絵本のコーナーがあり、学校の図書室にあるような長テーブルが沢山置いてある。館内には、古い本独特の甘い匂いが漂っていて、私は少しずつ自分の口角が上がっていくのを感じた。ドキドキと胸を高鳴らせながら、日本文学の棚を探す。初めての場所は勝手が分からないし、心細いから、自分が慣れ親しんだ作品達に会いたくなるのだ。しかし、1階をぐるっと一周してみても見つからない。どうやら2階のようだ。


 予想通り、日本文学の棚は2階にあった。この図書館は、本棚に隙間無く、ぎっちり並べられている。冊数は相当のものだろう。やはり慣れない場所では、慣れた物に惹かれてしまうらしい。目に飛び込んできた【野菊の墓】をまず手に取ってしまった。自分でも苦笑してしまう。手に取った【野菊の墓】の表紙を見た時、「え?」という小さな声が聞こえた。




——————……バサッ……



 本を落とした時のような大きな音が響いて、音の出所を見る。そこには、驚いた顔して、慌てたように足元に落ちている本と私を交互に見る松野くんがいた。



「ま……つの……くん」

「へっ……え!? 高橋さん!?」




 彼は、更に素っ頓狂な奇声を幾つか上げてから、足元に落ちている本を拾う。それから、神妙な顔をして、此方に数歩近付くと小声で「どうして此処に?」と聞いてきた。



「今日は、夏期講習が無かったから……」



 そこまで言ったところで思い出す、今日の自分の格好……。Tシャツとジーンズ。超ラフ……。途端に恥ずかしくなってきた。しかも今日は暑いから、前髪をピンで留めていて、いつも以上におでこが見えている。家を出る寸前に迷ったのだ。せめて、前髪のピンだけは、外そうかと。もう少し他所行きのお洋服に着替えようかって。直感には、従っておくべきだった。




「え! 高橋さん、夏期講習行ってんの!?」

「うん」

「へぇー、そうなんだー……じゃなくて、びっくりしたよ。こんな所までどうしたの? ちょっと遠いよね?」

「前に松野くんが、図書館ここの図書設備が充実してるって言ってたから、来てみたくて」

「そう言えば、話したね。覚えてたんだ」

「うん、そうみたい」



 本当は今朝、急に思い出したのだけど、そこは黙っておく。そうしたら、松野くんが照れたみたいに「へへっ」と笑ってくれたから、黙っておいて正解だったなと思った。



「ここ凄いね。本が沢山ある」

「やっぱりそう? 古いし、汚いけどさー、ここに来れば大体の物は置いてあるから」

「人も多いね」

「そうなの? 人は何処もこんなもんじゃないの?」

「こんなに居ないよ〜。ガラガラなんだから」

「そうなの!?」



 松野くんは、丸くて大きな目を更にまん丸にする。久しぶりに見る松野くんにホッとした。正直、2学期になるまでは会えないだろうと思っていたので、嬉しい。



「……」

「……」



 けれど、そこで何となく会話が途切れてしまった。少し気まずい沈黙が流れる。



「……あー……高橋さんは、何か借りるの?」

「え。まだ、決めてない……」

「そうか……」




 松野くんは、私達の間に流れる空気を断ち切るように、やけに明るい笑顔を浮かべるとさっき落とした本をヒラヒラ動かした。




「じゃあ、俺はこれで。こいつを借りてくる」

「あ……呼び止めて、ごめんね」

「いや、呼び止めたのは、俺」




 松野くんは笑って、「では、ごゆっくり〜」と手を振り、本棚の向こうへと消えて行った。

 これは、ラッキーだったと思う。少し熱を上げた自分の頬に手を置く。頬の熱が掌に移る頃、その手を口元へと滑らせた。我慢できず歪んでしまう、にやけ顔を隠すためだ。

 せっかく来たのだし、何か借りて帰ろうと、先程思わず手に取ってしまった【野菊の墓】を棚に戻す。せっかく足を伸ばして、松野くんゆかりの地へ来たのだから、馴染み深い日本の作品ではなく、今まで敬遠していた海外文学に挑戦してみようと思い、本棚を移動しようとした時だ。



「高橋さん!」




 後ろに手を引かれ、名前を呼ばれた。振り返ると、そこに居たのは松野くんで、少し緊張した面持ちで立っていた。掴まれた手首から彼の熱が伝わり、すぐ近くで彼の顔を見てしまった私の心臓は、大きく跳ねる。それと同時に耳が遠くなるくらい一気に血が上ってきて、顔が赤くなった。身体中の血液が頭部に集中しているのか、頭が爆発でもするんじゃないか?と心配になる程だった。





「あの……高橋さん、この後は、時間空いていたりする?」

「え? この後?」

「うん……」





 松野くんの声が普段より硬く聞こえるせいか、私まで体が強張って、声が硬くなっている気がする。何だか、喉も渇いてきた。



「良かったら、なんだけど……ちょっと話せるかなって。久しぶりな気がするんだよね、話すの」


“え? 何これ。こんな……え?”




 痛いくらいに心臓が跳ねている。だって、こんな事が起こるだろうか? こんな夢見たいな……! 嬉しさのあまり、私は泣きそうになってしまう。松野くんが誘ってくれているのだ。答えは、一択だ。



「空いてます!」

「ほ、ほんと?」

「私、お話したいです……!」




 この時には、服の事も、前髪の事も、すっかり頭から抜け落ちていた。松野くんは、目をキラキラと輝かせて、満面の笑みを浮かべた。



「あ、あの、じゃあね、2階の奥に飲食OKのスペースがあるんだけど、そこならお喋りしても、小声なら大丈夫だから、其処へ行こう。あっ! 本は、ゆっくり見ててくれて良いからね」

「うん。ありがとう、松野くん」

「俺、取り敢えずこいつを借りてくるね」




 そう言うと彼は、また姿を消した。去り際の彼の言葉を頭の中で反芻して、ハッとする。



“あの本、まだ借りてなかったのか……。と、いう事は……”




「戻ってきてくれたの……?」





 元々、おさまっていなかったのに、心臓がバクンッ!と爆発してしまったんじゃないかと疑う程、大きく跳ねた。




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