第38頁 終業式の放課後



「その……ごめん」

「……」

「もうしないよ。しないから」

「……はぁ、もういいよ。智翠に速記部は鬼門だって事も覚えた」




 相変わらず、此方に一瞥もくれないけれど、作品を穢した俺の悪行は、一旦溜飲を下げてくれるらしい。そんな話をしている内に家へ着いていた。蒼唯は、俺を振り払うような勢いで玄関で玄関の鍵を開けると「ただいま」と言いながら、さっさと家に入っていった。俺も後を追って、家の中に声を掛けると珍しく茜祢の声が聞こえた。リビングに入ると、ソファーに座ってテレビを見ていた茜祢が、テレビから視線を外さずに声を掛けてくる。



「母さんは、買い物だよ」




 聞いてもいないのにそう言うと、今度はキッチンを指差した。



「フルーチェ、食べていいってさ。冷蔵庫の中ね」




 蒼唯は、茜祢に返事もせず、キッチンの流しに弁当箱を出すと、さっさと2階へ上がって行った。バタンといつもより強めに戸の閉まる音が響いたのを聞いて、茜祢がようやくテレビから視線を外し、こちらを見た。




「……何? 機嫌悪いの?」

「んー……悪いと言うか……」

「アキくんが、怒らせたんだね」



 茜祢がじとりと俺を見る。



「アオくんも短気だし、お互い様何だろうなぁとは、思うけど」




 随分と含みのある言い方をして、茜祢は深い溜め息を吐いた。そして、空気を変えるように声の調子を変えた。




「そういえば今日、あの子に会ったよ。図書室の」

「おい!!」




 茜祢の言葉を遮って黙らせ、俺は2階の蒼唯へ意識を集中させる。耳をそば立てるが、自室から出てくる気配は無い様なので、今度は出来るだけ声を落として、続きを促した。




「小さい声で頼むよ。いつ会ったの?」

「なんか、終業式中に倒れたとかで」

「え!?」

「保健室に運ばれて来た」

「えー!? てか、あーちゃんはなんで保健室に居たの?」

「俺も具合悪くて」

「だ……大丈夫なん? 2人とも」

「うん。寝たら良くなったみたいで、友達と一緒に帰って行ったよ」

「そ、そう……」





 何だか、俺の知らない所で、高橋さんが松野家と関わっていると思うと、冷や汗が出る。




「というかさ……アキくん、まだちょこちょこ会ってるよね?」





 ギクリと肩を震わせてしまった。こんなに分かりやすいアクションをすれば、答えを言わずとも、答えてしまったようなものだろう。



「しかも、本当の事話してないよね?」

「……」




 無言は肯定と同義だ。茜祢は、心底呆れたと言う。




「はあぁ〜。俺はてっきり、もう全てをゲロったんだと……」

「ほ、本当の事は、きちんと話すつもりでいるよ」

「ふーん。まぁ、俺はアキくんの秘密がバレるようなヘマはしないから、今日は大丈夫だと思うよ」

「ありがとう……」




 茜祢の気遣いに対してのお礼だったが、当の本人は、お気に召さなかったようだ。眉根を寄せて、俺を睨め付けるように見据える。



「いや、有難うじゃなくて」

「……」

「最近、アオくんに張り付いてるのは、知ってるけど、あんたのすべき事は、それじゃ無いでしょ」



 茜祢の言いたい事も分かるけど、でもこのままでは、俺の知らない所で、これまでの嘘が露呈してしまいそうで、気が気じゃないのだ。こんな事を言えば、また茜祢を怒らせると思い、何も言えずに黙っていたが、茜祢がどんどん説教モードへ移行しているのを察して、仕方なく言い訳をする。



「実は、高橋さんが最近、教室で蒼唯と話したらしいんだ」

「うん」

「その時は、一言しか話さなかったみたいで、特に何も無かった様子なんだけど、これは……ヤバいな、と」

「うん。普通にヤバいね」

「それで、蒼唯の同行を探るべく、行動を共に……」

「うん、うん……って、んな阿呆な!」




 茜祢がカクンっと肩を落とす。




「どうして、そうなっちゃうのよ。大体、アオくんにくっ付いていたからって、交流は阻止出来ないでしょ。クラスが一緒なんだから」



 それは、その通りなのだが、分かって欲しい。もう不安で、居ても立っても居られないという事を。




「何かしてないと発狂しそうで」

「それなら、彼女と誠実に向き合いなって」

「面目無ぇ……」




 茜祢は、チラッと視線を階段へ向けて、蒼唯が降りてくる気配がない事を確認すると、真剣な面持ちで、俺を見据えた。



「焦るのも分からなくないけど、落ち着きな」

「うん……」

「幸いにも、今日から夏休みで、お互い交流は無くなるわけじゃん。アオくんも、アキくんも」

「うん……」

「猶予も少し、伸びたわけだし」

「うん……」




 俺の弱気な返事に茜祢が眉を顰めた。




「アキくんさ、もっと自分の事を大事にした方がいいよ」

「……はぁ?」




 目の前の渋い顔から発せられたのが、あまりに優しい言葉で驚いた。てっきり、「シャキッとしろ」だとか、「反省しろ」だとか、分かりやすい苦言が飛び出すと思いきや、苦言は苦言でも、予想の斜め上であった。

 驚き過ぎて、飛び出した「はあ?」は、凄く感じが悪かっただろうに、茜祢は気にした風もなく続ける。



「自分で自分の首を締めるのは、自分を大事にしてないからだよ」

「……いや? 俺が、馬鹿だからじゃないか?」

「違う」

「違うの?」

「アキくんは、馬鹿じゃないもん」

「え? ……えぇ!?」




 茜祢は、また真剣な面持ちで此方を見据えている。

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