第22頁 天使の正体




 腕を組んで、うーんと唸っていると隣の茜祢あかねが呆けたような声で、そう言った。話す事に夢中になっていて忘れたが、俺は墓穴を幾つも掘っていたらしく、それこそ、いつその穴に落っこちてもおかしくないような状況だったのだ。思い出したように、また心臓がドッドッドッドッと大きくて早い鼓動を刻み始める。というか、この焦りや状況を忘れるなよ!!と自分にツッコミを入れたい心境だ。




「詳しいよね? 中也」

「え、いや? これくらいは一般常識の範囲っしょ?」

「そう、か……?」



 うっかりいつも高橋さんと話す時のような調子で喋ってしまった。未だ納得のいっていない様子の茜祢は、宙を見上げながら首を傾げていた。苦笑いでその場を誤魔化そうとする俺の顔を茜祢は、ジトーと見ていたけれど、その内に視線を前へと戻した。

 前を向いた茜祢の表情からは、何を考えているのか全く掴めない。そんなに俺の事に興味があるようにも見えないけれど、茜祢は感が良い所がある。この会話を糸口に俺が蒼唯あおいのなりすましをしている事とか、バレてしまわないか、不安が胸を過った。



「人の顔をじろじろ見るのは失礼じゃないかね?」

「お前が言うか」



 そんな不安を消し去る様に笑顔を作って、家へと帰った。















 茜祢と下校した日から2日経った。来週は期末テスト1週間前だから、部活動もテスト勉強の時間を取る部が多くなるし、休みになる部活だってある。そうしたら図書室は、テスト勉強をする生徒で溢れかえるだろう。他人の目がある所では、読書もなりすましも出来ないから、暫くは高橋さんと会えなくなるなぁ……。



 俺たちの秘密の読書会は、別に約束をしている訳ではないけれど、一応自分が丸々2週間は、図書室に顔を出さない事を伝えた方がいいのかな?と考えている。



“俺が来るか、来ないかなんて、彼女には関係無い事かもしれないけれど……”




 自分で思った癖に、ズーン……と気分が下がっていくのを感じて、呆れてしまう。

 部活の開始時間になり、人気のなくなった校舎を歩いて図書室へ向かう。7月初週ともなれば気温も湿度も随分と高くなって、汗が止まらなくなる。図書室は、冷房完備と言っても、設定温度は28℃で、あくまで「外よりマシ」の程度である。首元のボタンを2つ外したシャツの襟をはたはたと動かして、服の中に風を入れながら、暑くはないが涼しくもない図書室へと思いを馳せた。



 きっと、高橋さんは今日も先に図書室の長テーブルに腰掛けて、本を読んでいるんだろう。

 


 辿り着いた図書室の戸を開けて、中へ入る。やっぱり今日も静かで、いつもの場所に彼女の背中が見えるだけ。そわそわと忙しない自身の胸の内に、俺はつい苦笑してしまう。自分の首がどんどん締まっていってる事を理解しているし、1秒でも早く、こんな事はやめなければいけないのに、好きな物の話が出来るって、楽しくて仕方ないんだ。

 俺はいつものように高橋さんの斜め前へ鞄を下ろして、本棚へ本を取りに行く。この落ち着く時間の中で、俺は思う存分文字を追って、物語の世界へ想いを馳せるのだった。





 残り少なかった【伊豆の踊り子】を読み終えて、手元の本から視線を上げると、俺の斜め前に座る高橋さんと目が合った。なんだか気恥ずかしくて、それを誤魔化す様に彼女に笑いかけると、それまで眉を八の字にして強張った顔をしていた高橋さんは、安心したような照れたような、それらが混ざったみたいな笑みを溢した。



————ふにゃん……




 そんな効果音がよく似合う笑い方だった。こうして2人で会って話す事にも慣れて来たらしい高橋さんは、自分から俺に声を掛けてくれるようになった。今までだったら、俺が声を掛けるまで、決して彼女の声を聞く事は無かったので、最近はそれが嬉しい。

 ふにゃんと笑った高橋さんは、未だは緊張しているのか、少々上目遣いに俺を見ながら、口を開いた。



「この前ね、松野くんのお兄さんの体操服を拾ったよ」

「え……」




 高橋さんの言葉に、俺は心臓が大きく脈打つのを感じた。




「それって、いつ? 誰の?」

「え? うーん……火曜日……だと思う。智翠ちあきくんの」

「!?」



“やっぱり! やっぱり拾ってくれたのは、高橋さんだったんだ!”





 平静を装いつつ、俺は心の中で、手放しに喜んでいた。本当は、この“なりすまし”が強制終了に追い込まれるような危険な状態だった訳だが、彼女の肉声で聞く、初めての自分の名前に浮かれてしまって、そんな事まで頭が回らなかった。




「1組が移動教室で、智翠くんには直接会ってないけど、同じクラスの人に預けてきたの」





 お互いの知らないところでだけど、嘘のない繋がりに俺はいたく感動してしまった。




“普通に嬉しい……”


「ちゃんと渡ってくれてたら良いんだけど……」

「……ちゃんと受け取ったよ。感謝してる」

「え?」





 キョトンと俺を見る高橋さんに笑いかける。




「智翠、家に帰ってからずっと言ってたよ。『マジで助かった』って。『誰か分からないけど、天使だ』って。高橋さんがあいつの天使だったんだね」

「て、天使って……。あの、私だって事は内緒にしておいて下さい……」

「え? なんで?」

「私なんかじゃガッカリされそうで。天使乙ーって」

「ないないないない! 有り得ない!」



 俺本人が言ってるんだから、それだけは有り得ない。





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