第23頁 絶叫図書室
「もし、そんな事を言ったら、俺が鼻フックしちゃいそう」
「ふっ……それ痛いよ」
吹き出した高橋さんは、口元隠しながら笑っていた。揺れる肩と細められた目に、此方も頬が緩む。笑う彼女に安堵してしまうのは、一昨日昇降口で見掛けた彼女の怯えた顔だとか、寂しそうな笑みが脳裏にチラついているからだろうか。
“自信……無いんだなぁ……”
俺は慌てて頭を振った。例え、それが事実であったとしても、そんな事を考えるのは、とても失礼だと思ったからだ。
今、俺と話していて、何かを諦めたような寂しい顔じゃないのなら……笑っているなら、それでいい。一頻り笑うと、高橋さんはとても柔らかな笑顔で、真っ直ぐ俺を見つめた。
「松野くんは、優しいね」
その言い方が変に大人びて聞こえて、言葉に詰まってしまう。まるで知らない人の様な雰囲気に圧倒されて、沈黙が流れる。
——————ガラ……
その時、図書館の戸が開く音がした。そちらに目線を向けるとよく知った顔が現れる。ソレと目が合った瞬間、俺は呼吸を忘れてしまう程を衝撃を受けた。
“あ……
「松野くん?」
彼女は、出入口に背を向けているから気付いていないようだ。
見つめ合う、同じ顔。この世の終わりみたいな顔した俺に首を傾げる高橋さん。彼女の呼び掛けにも答えられず、俺は固まったまま……。
「……珍しいね。こんな所で」
冷や汗をかいて固まる俺に、茜祢は目をぱちぱちと瞬かせた。その声には驚きが滲んでいる。茜祢の声に高橋さんが振り返る。
「あ……」
「どうも」
小さな声を漏らした高橋さんに、茜祢は会釈すると、さっさと本棚の方へと消えていった。本棚の陰に消えていく茜祢の背中を黙って見送りながら、俺の頭の中は大混乱である。
“なんで? なんで茜祢がこんな所にいるんだ?”
思わず両の手が頭へと伸びて髪を掻き混ぜる。そして、ハッとした。
“中原中也!!”
一昨日、今週末提出の調べ学習の話をしていた事を思い出した。そりゃ、学校の図書室にも本を探しに来るだろうさ。ただ、俺はてっきり、茜祢は書籍の多い、図書館まで行くだろうと思っていたのに……なんで、図書室!? だって、図書館より絶対書籍揃ってないよ!?
「松野くん」
高橋さんの声で、俺は自分の世界に入り込んでいた思考を現実世界に戻す事が出来た。ガクガクと冷や汗もんの俺とは対照的に、高橋さんは心なしか、目を輝かせながら俺に小声で話しかけてくる。
「今の人って、お兄さん? 弟さん?」
「あ、えっとぉ……」
動揺しているのもあったと思うけど、兄弟って言っても同い年だし、実際は上も下も意識して生活なんてしないから、蒼唯と茜祢って、どっちが先に生まれたんだったか……一瞬分からなくなった。
「お……弟の……茜祢」
「弟さんかぁ! もしかして、智翠くんなのかな?と思って」
絶叫。勿論心の中で。
しかし、俺の魂からの「やめてぇぇぇぇぇ!」なんて、高橋さんに分かるはずもなく、茜祢の消えた本棚の方から、ガタンっと大きな音が聞こえてきた。まるで誰かがすっ転んだみたいな音に「茜祢の奴、絶対に聞いてる」と確信を持つ。もう直ぐにでもこの場所から逃げ去りたいのを何とか堪える。
誤魔化さなければ。……どっちを? いや、そりゃ高橋さんだろ! 高橋さんに話を合わせるんだ! 俺は、今! 松野蒼唯なのである。
コンマ数秒を間に何を取って、何を捨てるかを決めて腹を括る。そして、姿の見えない
“頼むから、俺を名前で呼ばないでくれよ……”
「お兄さんがいて、弟さんがいるって事は、松野くんは真ん中っ子なんだね」
「う……うん、そう」
——————バサバサバサ……
今度は本棚の奥から、大量の本が床に落ちるような音がした。高橋さんも其方を気にして「大丈夫かな?」なんて言ってるし。俺はガクリと項垂れてしまった。だって茜祢の奴、絶対に聞こえてるでしょう。全てが筒抜けでしょうよ。
「でも、同い年だしどっちが上とかないか」
「うん。誰が上とか下とかないけど、何となく自分が何番目に生まれたって事くらいは、頭の中にあるかな」
「へぇ〜」
「使わない情報だけどね」
「智翠くんの事をお兄ちゃんって呼んだ事はないの?」
「あー……むかーしむかしは、あったような……」
——————ガタッ……
“……もうやめよう、茜祢! 俺、発狂しそう!!”
冷や汗と表情筋の引き攣りが止まらない俺を見て、何かを勘違いした高橋さんがシュンとして言う。
「根掘り葉掘り聞いたりして、ごめんなさい……」
「う、ううん! 全然いいんだよ。何でも聞いてよ」
「ねぇ」
俺と高橋さんの間に割って入った茜祢の声は、この静かな図書室に嫌に良く響いた。呼吸が止まる。
首を少し動かせば、すぐ隣に茜祢が立っている。見上げると、茜祢は表情筋一つ変えずに、いつも通り気怠げな瞳で俺を見下ろしていた。
「俺、課題図書を借りに来ただけだから、もう帰るけど、蒼唯くん!は、どうする?」
態とらしく蒼唯の名前を強調してくる。決まり悪さと苛立ちで片方の口角だけが、ヒクヒクと持ち上がってしまう。茜祢は、この状況で俺に話を合わせてくれている訳だから、些か理不尽な感情である事は分かっているが、どうにも抑えが効かない。
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