第21頁 サーカス
実際、
「茜祢、家で勉強しないの?」
「ワークあるじゃん」
「いや、でもテスト範囲を見直したりさ」
「今日やろうと思ってる教科は持って来てっから大丈夫」
「ふーん、そう」
「アキくんは、自分の心配してなよ。お小遣いカットされるよ?」
「あー……それは、キツいなぁ」
去年の2学期末のテストで赤点が多過ぎて、次の学年末のテストまでの間、小遣いが30%カットを食らった。アレは堪えた……。
「あ」
突然、茜祢がピタリと立ち止まる。足を止めて、俺を振り返る。
「ん? どうした?」
「課題、忘れてた……。図書館行かなきゃ」
茜祢は、すぐにまた歩き始めたけれど、その顔は明らかに面倒くさそうに歪んでいた。
「はぁ? 図書館?」
「今、現国が調べ学習で、今週金曜の授業で、提出しなくちゃいけない」
「へぇー何やんの?」
「中原中也」
「中也? ……あれか! 【サーカス】か! 『頭さかさに手を垂れて 汚れ木綿の屋蓋の下 ゆあーんゆよんゆやゆよん』」
ちょっと前に高橋さんが図書室に置いてあった中原中也の詩集、【山羊の歌】を読んでいたから、記憶に新しい。
知ってる話題が嬉しくて、つい覚えたての詩の一節を口ずさんでしまった。その時、やけに静かなのに気が付いて、横の茜祢を見ると、さっきまで怠そうにしていた重たい瞼が、今はしっかりと開いていた。心底びっくりしました!とでも言いた気な顔をしている。
「……何」
堪らず言うと、茜祢は2度3度と瞬きをしてから、口を開いた。
「アキくんが中原中也を知ってる事にもびっくりだし、出てきた詩が【汚れっちまった悲しみに……】じゃなくて、【サーカス】だった事にもびっくりした」
そう指摘されて、俺は「しまった!」と慌てて口を閉じた。嬉しさのあまり、調子に乗ったのだ。どう考えても、これまでの
ドッドッドッドッと鼓動が早く、大きくなっていく。その音に合わせて俺の焦りも大きくなっていく。
何か言わなくてはと慌てて言い訳を考える。
「え、あ……だってさ! 中原中也って有名だし、資料集にも載ってるし、【汚れっちまった悲しみに……】は、暗くてあんまり好きじゃねーんだもん」
「……資料集って、目を通すんだ。意外だ」
茜祢の一言にまた鼓動が早くなる。
“墓穴だ! 墓穴を掘った!”
資料集も高橋さんに薦められたのをキッカケに最近読むようになった事を思い出して、頭を抱えたくなった。確かにこれまでの俺の行動を鑑みれば、松野智翠と現国の資料集って、絶対セットで思い浮かばない組み合わせだ。
もう何を言っても墓穴を掘る様な気がしてしまって、1人で青くなっていると、茜祢は知ってか知らずか俺を品定めするようにジトーっと見つめていた。何かを感じ取ったのか、何も感じなかったのか定かではないが、暫くすると視線を俺から前方へ戻して、いつもと変わらないトーンで「そう言えば、現国の点数だけは、いつも平均点を取れてたね」と言った。
「ふーむ、【サーカス】か……。じゃあ、課題は【サーカス】にしようかな」
「そうしろ、そうしろ」
茜祢が変えた話題にここぞとはがりに乗っかる。
「【サーカス】も有名な作品だし、何より【汚れっちまった悲しみに……】は難し過ぎる。ただの読書として楽しむならいいけど、調べ学習なら断然【サーカス】をお薦めするね!」
「あ? う、うん……」
高橋さんが【山羊の歌】を読んでいた時に「悲しみが汚れるってどんか感じ?」なんて、詩を読む上では無粋だろうと思う議論をした事があるけれど、「分からないね」で終わったのは、つい先週の事である。あの後、気になってネットで【汚れっちまった悲しみに……】に関する他人の解釈を調べてみたけれど、この詩に関しては、多くを語る投稿者が少ない印象だ。
掴めそうで、掴みどころのない。未知のようで、既知かもしれない。それが俺にとっての【汚れっちまった悲しみに……】だった。【サーカス】の方がよっぽどイメージもし易くて、心擽られる詩だったのだ。要は、分かりやすくて有り難いって話なのだが。
「どっちみち中原中也の詩は、ちょっと暗いけどな。それでも【サーカス】の方が纏めやすいんじゃないかと思うね。情景も浮かびやすいし、ちょっと皮肉っぽいところも好みかな」
「ふーん」
「でもさ、中也があまりにもイケメンイケメンって言われるじゃない? あれ腹立つんだよなー」
先週、高橋さんに中原中也の顔が好きなのだと言われた時の衝撃を思い出す。それもあって、中也を調べたのだ。どんな面してるか拝んでやろうと思って。
俺的には、目が大きくて、顔もつるりとしていて、確かに小綺麗な男だったが、果たしてイケメンなのか?が正直な感想だった。
「芥川龍之介の方が、渋くて格好良い、イケメンだと思うんだけどなぁ……」
「……アキくんて、中也……そんなに好きだったの?」
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