第20頁 末の弟
下駄箱の陰から飛び出したくなる衝動をグッと堪える。胃の中からフツフツと沸くのは、苛立ちだった。
そんな自分に戸惑いを覚えつつも視線を彼女達から外す事が出来ないでいた。俺が此処で苛つくのも、何なら飛び出して行くのも、全てが御門違いだと言う事を、脳は理解している。だからか、やるせさで苦味が全身に広がっていくようだ。
高橋さんがあれだけ動揺を表したにも関わらず、大森はヘラヘラとした調子を変えずに一足先に出口へと踏み出した。すると、それまで黙っていた平井が今日、最新話が放送予定のドラマの話を振る。平井の話に乗った大森は、自分がどれだけそのドラマを楽しみにしているのかという、心底どうでもいい話をそこそこの熱量で語り始めた。それまでの話は、ここでお終いという事なのだろう。高橋さんも、あの怯えたような表情をしたのは、ほんの一瞬で、すぐに穏やかで人の良さそうな笑みを浮かべて、2人の話に相槌を打っている。あまりに自然に、楽しそうに相槌を打つので、さっきの顔は見間違いだったかと疑うほどだ。
図書室以外で彼女を見掛けたのは初めてだったが、微妙な場面に遭遇してしまったらしい。昇降口を並んで出て行く3人の背中を見送りながら、腹の中に渦巻くモヤモヤをどう咀嚼して呑み込もうかと考えていた時だ。
「何してんの」
全くの不意打ちだった。後ろから肩を叩かれて、俺の心臓は縮み上がった。「ひぃぃぃぃっ!」と声になったような、なっていないような悲鳴を上げて飛び退くと、そこには俺のよーく知った顔が、いつも通りの気怠げな目で立っていた。
俺たち兄弟の一応、末の弟にあたる
「な……なんだよ、茜祢かよぉ……。脅かすなって」
「……」
「いや、なんで無言!」
自分を守るように腕を胸の前でクロスした俺は、無表情の茜祢に食って掛かるが、茜祢はツーンとして、我関せずという態度だ。マイペースに話の主導権を持っていってしまう。
「コソコソ何してんの」
「コ、コソコソなんてしてない!」
「してたよね」
有無を言わさぬ妙な圧を感じて「ぐっ」と言い淀むと茜祢は「ゴラムみたいだったよ」とえらく失礼な感想を述べた。
「アキくん、今日はもう帰るの?」
「帰るさ。……茜祢は?」
「俺も帰る」
そう言うと、茜祢は自分のクラスの下駄箱へ向かっていった。俺も手に持ったままだったスニーカーを漸く履いて、茜祢のクラスの下駄箱の前まで行って、茜祢を待つ。同じ家へ帰るのに、態々先に1人で帰るのも不自然かと思って。
成り行きではあるけれど茜祢と2人、肩を並べて正門へ向かって歩いていると、やたら声を掛けられる。
「松野家じゃん。またなー」
「んー」
「誰と誰?」
「
「あーちゃん、今日は不器用な方のお兄ちゃんと一緒に帰るの」
「そう」
「仲良しね〜」
「まぁ、程々にね」
やはり同じ顔が並ぶとそれだけで目立つらしい。というか、いつもより格段に声を掛けられる回数が多い気がする。誰が何と声掛けてきても、全員に対して律儀に返事をする茜祢を見て、こいつが原因か?と思った。
「茜祢って、愛想は無いのに、付き合いは悪くないよな」
「は? 今更何言ってんの? 脳みそ蒸発してる?」
「俺、そこまで辛辣な言葉を言われるような事言った?」
すんごいナチュラルに傷付きながら尋ねるけれど、茜祢はずっと涼しい顔のまま俺を見もしなかった。その間も代わる代わる同級生やら、見知った後輩が声を掛けてきてくれるので、茜袮はそれ全てに相槌を打っている。茜祢がちゃんと返事をしているってのと、声掛けて来る連中が圧倒的に茜祢の知り合いが多いので、俺は手を振るのみに留めた。
校門を出れば、生徒の数はグンと減る。挨拶ラッシュの波も漸く落ち着いた頃、俺の身体にぶつかった茜祢のスクール鞄があまりにも軽くて驚いた。
「茜祢の鞄、やけに軽くないか?」
「アキくんの頭には負けちゃうなぁ」
「だーかーら! なんでそんな意地悪なんだよ!」
茜祢はくすくすと悪そうな顔で笑った。時々見せる、その笑いが俺は好きだった。まるで絵に描いたようなそれは、キャラクター味が強くて、俺はその顔を見ると「まぁいいか」と思ってしまうのだ。同い年の弟に対して、そんな事を思ってしまうなんて、俺は兄バカとかブラコンって奴なのだろうと最近思うようになった。
「で! 真剣に! 鞄の中身はどうしたよ」
「置き勉」
「あー、それはダメだよ、あーちゃんよぉ。あと2週間でテストなのよ? お勉強なさいよ」
「テストで良い点取って、何になるの? 大した意味も無い」
「いやいや、意味しかないでしょ、特進科〜!」
「課題は出してるし、赤点は取らないし、出席日数は足りてるはずだよ?」
「大学生みたいな授業な受け方? 君高校生よ? それに課題出すとか、赤点取らないとか、普通科の最低ラインの話ね!」
「それにアキくんやアオくんより点数は取れてるし」
「それ言う? 腹立つなお前」
茜祢は兄弟の中で、1人だけ勉強が得意だった。それは、小学生の頃からで、よく蒼唯と2人で宿題やワークを丸写しさせて貰ったりしていたのだが、普段バツばかりの俺たちが正解ばかりする物だから、先生達にはすぐにズルがバレた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます