第12頁 「また明日」は、もう言えない




 2人してキャッキャッと騒ぐ。ガッツポーズをして、パチパチと小さくハイタッチをした。ここに司書の先生が居たら、きっと「静かに!」と怒られてしまうだろうが、そんなのは気にしていられないくらい、本当に嬉しくて、楽しかった。





「4冊とも一気に借りていくの?」

「ううん、家では読めないから、図書室こことか近所の図書館とかで一気読み」



“ん?”



 彼の言葉に違和感を持ったが、すぐに受け流した。どこで、どう本を読もうと、その人の自由なのだから。

 私は、好きな本は手元に置いておきたい性質だから、本は借りるより買う派なのだが、そんな人ばかりであるはずがない。




「高橋さんは、図書室とかで読まないの?」

「あ……よ、読むよ」




 正直に言うと、借りて帰って家で読むので、人を待っている時くらいしか図書室で本を読む事はないのだけれど、彼と会う口実が欲しくて、咄嗟に嘘を吐いてしまった。そんな私の内情など知らない松野くんは、私の返答に顔を明るくして、心なしか声もワントーン上がったような気がした。




「本を持ち歩かなくていいのは、楽だよね」

「そ、そうだね」

「高橋さんて、チャリ通?」

「ううん、私は電車」

「まじで!? 遠い所から来てるんだね」

「乗るのは一駅だから、自転車でも来れるんだけど、自転車は嫌で……。松野くんは?」

「俺は、歩き。歩いて来れる範囲だし」

「そうなんだ」

「うん。俺の家からさ、学校に行くのとは反対側に図書館があるんだよね。そこは図書設備が結構充実してるからよく行くんだ」

「ん? 松野くんのお家って、どっち方面?」

「うん? えっと、学校の東? お宮さん方面って言って分かるかな?」

「それって、しじみ坂熊野神社?」

「そう!」

「え! その図書館なら、私も電車から見えるよ! 御宮ノ下図書館じゃない?」

「それー!」

「松野くん、あそこら辺に住んでるんだ……」

「うん、そうなの」





 どうやら松野くんのお家は、私の最寄駅と学校の間にあるらしい。意外と近くに住んでいる事に驚いた。




「俺らん家って、意外と近いのかもね」



 松野くんも同じ事を考えていたらしく、笑ってそんな事を言った。

 その時、図書室のドアが開いて、司書の先生が入ってくると私達2人を見つけて、声を掛けてきた。





「もう図書室閉めるけど?」

「あ、すみません。もう出ます」




 そう言って松野くんが立ち上がる。私も荷物を持って立ち上がった。





「それ、貸し出す?」




 長テーブルに広げられた文庫本を見つけて、先生が言う。松野くんは「いいえ、しまいます」と先生の質問にテキパキ答えると、本を持ち上げる。そのまま本棚へと身体を向けようとして、彼はハッとしたように私を振り返った。




「高橋さん! ……って、明日は……図書室ここ、来たりする?」




 遠慮がちにそう質問される。私は嬉しさから、身体がカッと熱くなって、また胸がぎゅーっと苦しくなった。

 明日も来ると即答したかったけれど、のぞみちゃんの顔が引き止めた。明日は大事な友人と先約があるのだ。




「明日は……友達と約束してて……」

「あぁ、そっか……えっと、その……あ、あははは……」





 照れたのか気まずくなったのか、この空気を誤魔化すように笑った松野くん。私も気まずいような、恥ずかしいような気がして、顔を上げる事が出来なかった。せっかく松野くんが「図書室へ来るの?」と聞いてくれたのに……。

 私はそれを無かった事にしたくなくて……次の約束に繋げたくて、勇気を振り絞った。



「月曜日は、本を借りに来ます……」

「そ、……そっか」

「ま、松野くんは……いつも、その……何曜日は来ますか?」




 尋ねた瞬間、元々高くなっていた体温が更に上がった気がした。血が沸騰するのではないかと心配になるくらい、顔から目から喉から、腹や耳まで熱くなって、心臓も凄い速さで血液と酸素を回し始めた。

 また、ピタリと無音の時間が訪れなのも、私の緊張を助長した。時間にしたら長くはない、一瞬の沈黙だったとしても、私からすれば緊張で青くなるには充分な長さであった。




「えっと、月曜と……水曜と木曜」




 いつもより少し固い声音で、でもいつもの松野くんと同じ、優しい話し方だった。それまで止めていた息をふっと吐くと、身体が新しい酸素を取り込んだのが分かる。チラッと松野くんを見ると、彼も視線を右へと流していて、頬がほんのり赤かったように見えた。

 それは、部屋全体をオレンジに染めている夕陽のせいかもしれないけれど。




 また一瞬の沈黙が流れた後、さっきより幾らか力強い声がした。




「じゃあ、俺はこれを片付けてくる」

「う、うん」

「帰り道、気を付けて」

「うん……」



 彼は、4冊の本を抱えて、今度こそ本棚へと歩き出す。そしてまた足を止まる。




「またね、高橋さん」




 彼が私を振り返る。




「また明日、松野くん」





 私が小さく手を振ると、彼はどこか切なそうに微笑んで、私に背を向け、本棚の影へと消えた。















◇ ◇






 スリッパが床を擦る音が遠ざかっていくのを聞いていた。


 帰り道、せっかく別れた彼女と鉢合わせないように、彼女が確実にこの部屋からいなくなるのを待ちながら、本を片付ける。それでも先生を待たせているから、彼女が来客用のドアから出て行ったのを音で確認すると、すぐに本棚の陰から出ていく。司書室に向かって「お待たせしました」と声を掛け、俺も図書室を後にした。



 昇降口へ向かって歩きながら、俺の頭の中には幾つものクエスチョンマークが浮かんでいた。




“なんで……次はいつ会えるのか、聞いたんだろう……”



 嘘を貫き通すつもりなら、これ以上会ってはいけなかったのだ。そんな事は、子供でも分かるのに。

 そもそも俺は今日、彼女が図書室に来るのを待っていた。


 図書室あそこへは、本を読みに来ているのに今日の俺は、一文字だって活字を追っていなかったじゃないか。何を持ってきても集中出来なくて、時計と出入り口ばかりに視線を投げていた。どんなに彼女に来られては困ると自分自身に言い聞かせても、俺の取る行動の一つ一つは、ずっと彼女が来るのを待っていた。

 息を切らせた彼女が図書室へ飛び込んできた時、全ての憂鬱が消えて無くなるみたいにパッと明るい気持ちになったのだ。一等仲の良い友達を見つけた時のような、嬉しくて、愉快で、温かい、そんな気持ち。




「一体何だったんだ……」




 呟いた声は、誰もいない渡り廊下によく響いた。図書室から出て階段を上がり、2階の渡り廊下で立ち止まる。窓から外を見下ろすけど、高橋さんの姿はもう何処にも無かった。それにホッとして、また歩き出す。



 自分が嘘を吐き続けるのが、辛くなっている事を自覚している。だって、前回は言えていた“クラスメートの松野蒼唯”としての「また明日」が言えなかった……。


 もうこうなっては、一刻も早く手を引かなければと思い、図書室での読書を諦めて、近所の図書館一択で行こうと決意する。



“うんうん、そうだ。それが良い”




 どうせ蒼唯と高橋さんが教室で話す事は少ないのだ。今手を引けば、多少の違和感はあれど、何となく有耶無耶になるはずなのだ。


 忘れよう。




——————月曜日は、本を借りに来ます。




 忘れよう……。




——————書店には、いっぱい種類があってね、松野くんが読んだのは、どれだったんだろうって考えながら見てたの。



 もう、終わりに……




——————でも、どれを選んでも、きっと面白いんだろうね。








 そう言って笑った彼女の顔を、声を、思い出してしまったら、どうしようもないくらい悲しくなって、息するのもままならない程に苦しくなった。

 両手で顔を覆うとその場にしゃがみ込む。苦しくなった息を整える為に深呼吸を繰り返した。


 吹奏楽部の演奏が始まり、暫くして途中で演奏が止む。

 その後、また演奏が再会した。それを合図に俺は立ち上がって、のそのそと歩き始めた。ドロドロモヤモヤとスッキリしない物を胸の内に抱えたまま、口の中で「もう終わりにしよう」と何度も何度も唱えながら、歩いた。




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