第6頁 好きな物を知りたい




「えぇ? おませさん?」

「あっ。信じてないでしょ」

「だって……」




 まじまじと松野くんの顔を見ていたら、照れ臭さから、ふっと息が漏れて、その音に松野くんもキョト……とする。正直、面白いところなんて一つも無かったのに、私も松野くんもツボに入ってしまって、笑えてきた。クスクスと声を殺して笑っていると、一息ついた松野くんが「ありがとう」と言った。



「高橋さんの言う通り、好きになった」



 その言葉にカッ顔が熱くなった気がした。覚えててくれたのだ。私の伝えた感想も、それから……。


“私の名前も……”



 松野くんは、野菊の墓を手に取って、パラパラと捲る。




「こういう小説とかも面白いんだね」

「松野くんて……」

「ん?」

「松野くんて、普段はどんな本を読んでるの?」



 言葉がするりと口をついて出る。珍しく息苦しさも感じなかった。




「俺? うーん……そもそも、沢山読んでないんだけど、エッセイとか読む」

「エッセイ?」

「うん。さくらももことか」

「あ、まるちゃん?」

「そう! 【ちびまる子ちゃん】の! 面白いよ」

「へぇ、読んだ事ない……。どれが1番お薦め?」

「え? さくらももこ?」

「……? うん」




 松野くんは、意味を逡巡するように瞬きしてから、ゆっくり質問してきた。何故そんなに呆けるのか不思議だったが、コクンと頷く。私が頷くのを見て、松野くんはハッと口を小さく開けて、頬を赤らめると少しだけ目線を下げた。




「えっと……実際には2つしか読んだ事がないんだ……さくらももこ。でも、【さくらえび】って本は、凄く笑った……気がする」




 今までとは打って変わって、少しだけ自信無さ気に言うと、彼は照れた様にへにゃぁと笑った。そんなゆっくり溶けていく様な笑顔に胸がギュッと縮む気がした。




「中学の時に一回読んだきりなんだけどね」

「……読みたいな、それ」





 無意識の内に自分の口から音になっていた言葉に一瞬焦ったが、特段問題がないと気が付いて、すぐに落ち着いた。私はエッセイなんて、授業でしか読んだ事なかったし、今の今まで面白いと思った事もなかったけれど、さくらももこ先生だし。まるちゃんてギャグ漫画っぽいし。軽快で面白いんだろうなと読んだ事のないジャンルに心を躍らせた。何より、松野くんが照れ臭そうに笑うから……。私も松野くんが感じた面白さを感じたくなった。

 共感したい。私も松野くんがしてくれたように「面白かったよ」って言いたい。そんな気持ちが先行して「読みたい……」なんて言葉が口をついて出たのだ。





「図書室に置いてあるかな……」

「どうだろう? 俺、図書室ここで見かけた事無いけど」

「ちょっと探してみる!」




 言うが早いか、立ち上がって奥に並ぶ本棚へと向かった。エッセイというと、自伝なんかを探せばいいのだろうか? そんなコーナーが設けられているかは、知らないけれど。

 普段、小説の棚にしか行かない私は、それ以外のジャンルの本がどのように置かれているのかも分からない。小説の棚の更に奥、壁沿い立っている本棚にエッセイのコーナーがあるのを見つけた。見つからないなぁ〜と思いながら、黙って探していると、いつの間にか私の隣で一緒に探してくれていたらしい松野くんが、「うちの学校には無いみたい」と言った。

 顔を上げて彼を見る。彼は私の注意が自分へ向いた事を確認すると視線を本棚へ戻して、1箇所を指差す。彼の差した先には、さ行の作家の本が並んでいた。




「さくらももこは、無いね」




 彼の言う通り、そこにさくらももこの名前は無かった。はぁ、と溢した息と共に肩も下がる。




「残念だなぁ」

「まぁ、また機会があったら、手に取ってみてよ」




 明らかに気落ちする私を見て、松野くんは軽く笑いながらそう言った。けれど、ほんの少しだけ、つまらなさそうに彼が唇を結んだように見えて、あれ?思った。

 その場に立ったまま呆ける私を置いて、松野くんは長テーブルへと戻って行く。その手には、いつの間に選んだのか、薄い文庫本が握られていて、彼は席へ着くと表紙を開いた。

 未だ本棚の前に突っ立って、私は松野くんを眺めていた。彼はこうして、遅い時間に図書室で本を読んでいるんだなぁと頭の中で思った。

 

 窓から差すオレンジ色が、また更に色を濃くして、松野くんの髪を黄金色に輝かせる。彼が今度は何を読んでいるのか、とても気になったけれど、読書の邪魔をするのは気が引ける。……そもそも仲が良い訳でもない。


 暫く悩んだ末、私は自分の荷物を持ち、帰る事にした。

 話がひと段落着いてしまったし、また何か話題を振る勇気は持ち合わせていない。しかし、どうにも諦めが付かないので、帰り道に本屋さんへ寄ろうと心に誓い、溜飲を下げた。勿論、【さくらえび】を探すのだ。このふわふわと浮き立つような夢の時間を少しでも持続させる為の悲しい行動だったが、私は存外単純で、一度は萎んだ気持ちも上向き、足取りが少しだけ軽くなる気がした。それでも、本音を言えば、松野くんともっと話がしたかった訳で、結局は本を読んでいる彼の背中に後ろ髪を引かれる。せっかく軽くなった足取りが未練と一緒に徐々に重くなっていく。上がったり、下がったり自分でもどちらが本当の気持ちなのか分からなかった。


 とうとう図書室の出入口の引き戸の前に辿り着いて、戸に手を掛けた時だった。




「またね、高橋さん」

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