第3頁 気になるあの子




「どうも、こういうのは敬遠しがちで」




 そういうと松野くんは、また本のページをペラペラと開いた。




「でもちょっと引き込まれたなぁ。まだ冒頭しか読んでないんだけどね」




 少し決まり悪そうに笑って、こちらへ視線を戻すと「どんな話なの?」と大きな目を子供のようにキラキラさせながら、尋ねてくる。

 この本に興味を持ってくれている事が分かる。それが嬉しくて、ニヤけてしまいそうになるのを必死に堪えた。キラキラとした眼差しが眩しすぎて、彼から目を逸らしてしまう。




「初恋の人との思い出話なんだけど、純真無垢って感じのとても綺麗なお話だよ。超純粋なんだけど、展開早くて退屈しないし! ……えっと、私は。……あと、短いから純文学とか古い文体の小説を読み慣れなくても、読むのが苦じゃないんだよ!……私は」





 松野くんが、ふふっと噴き出すように笑った。何か変だっただろうか?と不安になって、恐々と彼の表情を窺うが、見る限り悪い感情は無いようだった。





「ふふふふ、全部『……私は』って言うんだもんなぁ。うん、でも気持ち分かるよ」




 松野くんは、「主観だよって言いたくなるよね」なんてフォローを入れてくれるが、そんな気遣いが更に私を気恥ずかしくさせている。頬が熱くなるが、一旦無視する。




「切ないけど……読んだらきっと好きになる……と思う。……わた……————」

「好きなんだね」




 捲し立てるように、自分が早口になっていくのとは反比例するように、徐々に下がっていった視線が彼の言葉で弾かれたように上げる。松野くんと視線がかち合うと、彼はニッと歯を覗かせながら破顔した。

 突然言葉を遮られたから、ウザがられたのではないかと青くなったけれど、彼の笑顔からは、そんな空気は微塵も感じられない。寧ろ、全部を肯定してくれているような……そんな優しい笑顔だった。


 驚きで何も言えずにいる私を他所に、松野くんは手に持っていた【野菊の墓】を目の前の本棚へと戻す。





「明日はこいつを読むよ。教えてくれて、ありがとう」





 ……どういう訳か、私はこの、自分とは一切趣味が合わないだろうと思っていたクラスメートから目が離せなかった。ぼんやりと立ち尽くす私の横を松野くんがすり抜けて行く。何か言わなければ……と漠然と思い、口を開くが、何も浮かばず、声すら出せない。また唇がわなわなと震えだす。





「あ!」





 後ろで上がった声に震えが止まる。慌てて振り返ると先程、私の横を通り過ぎた松野くんも、こちらを振り返った。



「これ、落とし物。高橋さん」



 差し出された彼の手には、いつ落としかたのか、私の図書カードがあった。




「あ、ありがとう……」



 手も声も極力震えないように意識しながら受け取ると、彼は私に背を向けて出入り口の扉へと歩いて行った。図書室を出て行く際、「そんじゃ、また明日ねー」と残して、ガラガラと古い引き戸が閉まった。彼の挨拶に返事も出来ず、呆然としていた私は、ハッと我に帰る。



「……あ、名前……」



 ちゃんとクラスメートとして覚えていてくれたのか……このカードを見たのか……。きっと後者だとは思うけれど、名前を呼んでくれた事がとても嬉しかった。

 受け取った図書カードへ目を落として気付いたが、カードを持つ手が震えている。心臓はバクバクと煩くて、呼吸も空気も張り詰めいるのに足腰からは力が抜けて、私はヘナヘナとその場にしゃがみ込んだ。人見知りなのに無理して喋ったせいだろうか。その日の私は、少しおかしかった。













◇ ◇



“……ま、まーじでビックリした!”





 図書室を出て、昇降口へ向かっていた俺は、自分の下駄箱へ辿り着くと同時にガクンと膝をついた。心臓が脳にあるのではないかと疑う程、鼓動が大きな音で響いているし、ばっくんばっくんいう度に視界が揺れる気がする。息苦しさも襲ってきて、俺自身も無意識のうちに手が制服の胸元をくしゃりと握り込んだ。

 この時間帯なら、図書室に生徒なんて来ないだろうと踏んで、わざわざ学校に残っていたというのに、まさか同学年の奴が来るだなんて。動揺しすぎて嘘吐いちゃったよ。蒼唯あおいとか言っちゃったよ?俺、智翠ちあきじゃん!



 俺たち兄弟は、この学年ではちょいとした有名人。双子は聞くけど、三つ子ともなれば物珍しいようで、顔も名前も全く知らない相手にも、此方の名前は知られているのだ。また一卵性の兄弟の為、同じ顔が3つ並ぶわけで、絵面がかなりウケている。そんな物珍しい三つ子の3人中2人は、完全なる馬鹿ときている。そんな馬鹿2人の内の片割れが実は読書家で、図書室が好きですとか、古くなった本の独特な甘ったるい匂いが好きですとか……そこまで考えて、羞恥心からふるりと震えが走る。



“何それ! 気持ち悪っ!”



 自分で自分に内心でつっこんでしまう。



“どんなギャップ狙ってんの!? 本読む癖に馬鹿とか救いようが無い! むしろイタい!”



 と、まぁ上記のような俺なりの理由で、俺は自分が本を読む姿を誰にも見られたくなかった。それは兄弟に対しても同じで、活字とは縁も所縁も無い2人に「智翠ちあき、キャラじゃなくない?」とか、絶対に言われたくなくて、家でも本は読まない。じゃあ、何処で読むかというと、放課後の図書室や図書館だったわけだ。なのに今日は、図書室の閉まるギリギリの時間にまさか3年の奴が来るだなんて……。


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