交換小説

見咲影弥

本編

 桜舞う、ではなく埃舞う季節である。



 新生活に向けた準備をしながら、ふとそんな文句を思いついて独り笑った。実際その通りだ。棚を動かすと大きな綿埃がひょっこり出てくるし、本の上にはうっすら乗っかっている。カーテンレールの上には層までできていて、指で触ると指紋が残った。至るところで見つかる奴らをさっと払おうとすると、ぶわっと辺りに埃の粉が舞う。鼻がむず痒くなるので、マスクをして荷造りに取り組んでいる。


 僕は今、引っ越しの準備をしている。家を出て、大学近くのマンションで一人暮らしをする。そのために部屋を片付けているのだが、これがなかなか進まない。部屋の中を探ってみると懐かしいものがごろごろ出てくるのだ。これはあの時の、などと思い出に浸っているうちに数時間経っているなんてこともある。やっちまったと思う反面、そんな時間も悪くないかと思ってしまう自分もいるのである。


 まぁそういうわけで、僕は今日も作業を進めていたのだが……。そんな時だ、ある1冊のノートを見つけたのは――。


 それは本棚の最下段にあった。使い終わった沢山のノートに隠されるように仕舞われていた――色褪せた青色のノート。見覚えのあるものだった。


 それは、ある人との思い出が詰まったノートだった。

 

 頁を捲ると、やや黄ばんだ紙に拙い文字がびっしりと並んでいた。その文章は数行おきに筆跡が変わる。粗雑で大小のばらつきがある文字とまるっこい小さな文字が交互に繰り返されている。


 それは小説だった。

 僕一人で紡いだものではない。

 彼女と二人で紡いだ小説。

 

 不器用な文字を指でなぞって、あの頃のことを回想する。

 

 *

 僕に初めての創作仲間ができたのは、小学3年生の頃だった。その仲間というのが彼女だった。彼女は同じクラスの子で、教室以外でも学校の図書館でよく会っていた。そこで好きな作家さんが同じだったことで意気投合したのである。更に、彼女が僕と同じ趣味を持っている、小説を書いているということを知り、僕らはあっという間に仲良くなった。図書館以外でも、休み時間の教室でおしゃべりをしたり、書いた小説を互いに見せ合ったりするようになった。僕らはどちらもノートに小説を書いていた。彼女のノートは決まってお洒落な表紙の大学ノート。しばしばそのノートを交換して持ち帰って家でじっくり読む、なんてこともした。彼女の字は細々としているものの整っていて、とても見やすかった。僕の字はというと、当時硬筆に通っていたものの走り書きの悪筆は直らず、翌日、この字何て読むの、と聞かれることがしょっちゅうあった。


 同じ作家さんの小説が好きではあったものの、僕らの書いている小説のジャンルは少し違った。僕はその頃既にミステリーにどっぷりだったので、なんちゃってミステリーばかりを書いていた。彼女の作品はホラー系統のものが多かった。しかし、好みは似通っていたので、僕は彼女の小説を面白く読むことができた。彼女がそうであったかは分からないが……。


 僕にとって小説を書くことはあくまで趣味だった。でも彼女は違った。彼女は、小説家になりたいと周りに公言していた。授業で書いた七夕の短冊にも、彼女は「小説家になれますように」と書いていた。自分の夢に正直な彼女が輝いて見えた。同時に凄く羨ましかった。僕は当時既に卑屈な人間だった。自分の趣味を他人に明かすのは恥ずかしいことだと思っていたし、趣味のままでないといけないような気がしたから、短冊には書けなかった。でもその時、僕も彼女と同じように小説家になりたいと心の中で確かに思った。


 最初に合作をしようと持ちかけたのは僕だ。一度やってみたいと思っていたのだ。彼女も乗り気で提案に食いついてきたので、早速僕らは小説の構想を練り始めた。そして、大胆にもミステリーを書こうということに決めた。僕等が共通して好きな小説がジュヴナイルミステリーだったからである。合作でミステリーを書く、今考えると何とも無謀な挑戦である。互いが構想を完璧に把握・理解しておかないと書くことができないものだ。だが、僕らはそこら辺を全く詰めることなく、大まかな流れだけをつくって早速書き出した。大筋はというと、人工知能研究に勤しむ大学生達が「人工知能」を名乗る何者かによって、絶海の孤島に閉じ込められ……というなかなか斬新なストーリー。決まっていたのは本当にその部分だけだった。つまり、誰が死ぬとか誰が犯人とか、トリックとか謎とか真相とか、何も決まっていない状況で書き始めたのである。行き当たりばったりでいいじゃん、と軽い気持ちで始めた合作だったため、面白いものができたらそれでよかった。案の定、僕らの合作はとんでもない作品になってしまうのである。


 合作に使うノートは、僕が創作用に買っていたものを使うことにした。頁の半分くらいが書けたら交代、相手にノートを渡す、というルールで、だいたい1日おきくらいに交換しよう、と僕らは約束した。交換日記ならぬ、交換小説である。


 ラッキーなことに、合作を始めた時、席替えで丁度彼女と席が前後になった。その頃の休み時間は毎度のように椅子を後ろに向けて打ち合わせをしたり、相手の書いているところを見たりしたものだ。冒頭部分は昼休みをまるまる使って二人であーだこーだ言いながら書いていった。


 最初は何ともおどろおどろしいミステリーの冒頭を書けていたのだ。嵐で迎えが来なくなり、研究所に閉じ込められた大学生達。そんな彼らを突如モニターに写った「人工知能」が恐怖のどん底に陥れる……というまぁまぁ本格的な内容。最初はうまくいっていた――筈だった。だが、物語は途中でとんでもない方向に進んでしまうのである。


 早いうちに白状してしまおう。物語を歪めたのは、僕だ。僕がこんなシリアスな展開の中につまらないギャグを入れたせいである。総ての始まりは、小説内のあるキャラである。作中に月原さんという登場人物がいたのだ。その人物を物語の鍵を握る重要キャラとして使おうと彼女と打ち合わせしていた。その月原さんを、僕はあろうことか、こんにゃくを常時所持している奇人キャラにしてしまったのである。今読み返すと、ちっとも面白くない、真顔になってしまうような内容なのだが、当時の僕は渾身のギャグだと自信を持っていて嬉々として彼女に見せた。そして本当に有り難いことに、当時の僕らの「面白い」の基準は同じであった。彼女は椅子から崩れ落ちるほど大爆笑してくれ、こういうのもありじゃん、と絶賛した。もしここで彼女が全然面白くない、と言ったならまだまともな作品になっていたかもしれない(他責思考)。だが、彼女は僕のギャグを褒め、そして事もあろうに彼女もギャグ路線へと走り始めた。


ストレス発散に皿を割りまくる月原さん。

絶望的にマズい料理をつくる月原さん。

こんにゃくを人の口に詰め込む月原さん。

研究仲間にアッパーをかます月原さん。


一応弁明しておく。僕は何度かシリアス路線への変更を試みたのだ。しかし、尽く失敗に終わった。ノートが僕の元に帰ってくる度月原さんのアクが強くなり、物語が変人エピソードに侵食されていった。主人公も霞むようになり、最初の設定をガン無視した、月原さんが主役のギャグ小説になっていた。気づいた時には、もう遅かった。重要キャラだった月原さんはただの変人に成り下がってしまっていたのである。


 だが、これはこれで悪くない、と僕は思ってしまった。彼女と同じ物語を紡いでいるだけで僕は楽しかったのだ。暴走したり話が変な方向に曲がったりするのが合作の醍醐味じゃないか(個人の考えです)。彼女が書いているのを待つ時間は楽しかったし、自分の書いた部分を読んでもらうのも嬉しかった。良くないことだが、授業中も交換小説の続きを書いていた。出来上がったら付箋にメモを残して後ろにこっそり渡す、というスリル満点なこともした。とても充実した時間だった。



 物語が佳境に差し掛かる頃、作中で月原さんが「人工知能」であるということを明かした。(もはや月原さんが犯人でないとおかしいくらいの奇人ぶりで、異様なまでの存在感だったのだ。)月原さんは研究所に爆弾を複数仕掛けており、暗号に従って爆弾を見つけないと次々爆発してゆくという鬼畜なゲームを仕掛けるのだった。最後が爆弾というところが、まあ何とも小学生らしい発想である。「人工知能」って何、というのは全く回収されないままだし、爆弾を仕掛けた動機も何もかも分からずじまい、ミステリーとは……という状態である。後はもうギャグで突っ走ろうという魂胆だった。そしてお子様でも分かるような簡単な暗号を解いて犯人のアジトに向かい、物語はクライマックスに――




というところで、僕らの物語は終わってしまった。それ以降は総て白紙のまま。了の文字すらない。僕らの物語は、唐突に終わりを迎えた。


 何故、物語がクライマックス間近にぷっつりと終わってしまったのか。僕は、はっきりと覚えている。


 原因は、彼女の飽きだった。


 ある時を境に、彼女の執筆スピードが格段に遅くなった。交換が2日おきになり、3日おきになり、とうとう1週間ノートが帰ってこなくなった。彼女のところに出向き、最近遅いけど進んでる?と聞くと、彼女は、書けてない、と返した。

「なんかさ、飽きちゃったの」

それから彼女は軽い口調でさらっと僕に告げた。


「もう終わりにしよ」


でも、と反論はできなかった。確かに、こんなつまらないギャグ小説をこれ以上続ける意味などなかったから。いや、僕にはあった。彼女との交換小説が楽しかったから。でも、彼女にとってはそうではなくなってしまったのだ。あぁ、もしかして……と僕の脳裡を、ある疑念が掠めた。彼女は小説に飽きたんじゃなくて、僕とのやり取りに飽きたんじゃないだろうか。随分頻繁に交換を催促していたものだから、それをうざったいと思ったのかもしれない。僕は嫌われたのだと思った。そんな疑いを持ってしまった以上、無理を言って続きを書いてもらうのは気が引けた。僕はそっか、としか言えなかった。彼女の一言で、僕らの紡いだ世界は呆気なく幕引きとなったのである。


 彼女から受け取ったノートを持って僕はすごすごと引き下がった。最後の頁を開くと、僕が書いた部分で止まっていた。彼女は1文字も書いていなかった。こうなったら自分一人で完結まで書こうと思った。でも、鉛筆を握っていざ書き始めようとすると、その気は失せてしまった。僕は彼女との交換小説がしたかったのだ。彼女と二人で書くことに意味があった。一人で書き上げて何になる。虚しいだけじゃないか。僕らの世界は、ここで終わったのだ。この物語は永遠に未完だ……それでいいじゃないか、もう――。


僕はノートを閉じた。猛烈に悔しかった。泣きたくなった。僕にとって彼女は、趣味が合って仲良くなった唯一の友達だった。そんな彼女に、突き放されるようなことを言われた。それもあっさりと、これまでの楽しかったことなんかなかったかのように、彼女は交換小説を投げ出した。飽きちゃったの――彼女の放った言葉が頭の中で何度も繰り返され、その度に僕の心は抉られる。いち物書きとしてのプライドも貶された気分だった。悔しくて、悔しくて、仕方なかった。


 後になって分かったことなのだが、彼女が交換小説をやめたことにはもうひとつわけがあったようだ。クラスの他の女子から聞いたことだが、当時、僕らに関するある噂がクラス内で実しやかに囁かれていたのだそうだ。ノートを交換している場面を見たクラスの女子が、僕らが秘密の交換日記をしていると勘違いし、付き合っているのではないかという噂を流していたらしい。無論僕らはそんな関係ではなかったし、ラブラブ日記を交換していたわけでもない(とんだ誤解である)。しかし、そうした噂が流行ったもんだから、彼女はグループ内で冷やかしにもあっていたという。あらぬ疑念を持たれたくないというのも交換小説をやめた動機なのではないかと推測した。そうであったとしても悲しいことには変わりないのだが。


 いずれにせよ、交換小説は、僕にとっては苦い結末になってしまった。もう続きは書かない、そう決めてノートを捨てようと思った。でも僕にはできなかった。彼女との大切な思い出だったから。一応残しておくことにしたが、目のつくところにはおきたくなかった。見返したくもなかった。あの頃のことを思い返しても辛い気持ちが込み上げてくるだけだから。本棚の一番下の段、その奥に仕舞うことにした。ノートを隠すように、教科書や学習帳を並べていく。こうして青色のノートは見えなくなった。苦い思い出はノートとともに棚の奥深くに封印されたのである。


 月日が経つにつれ記憶は薄れてゆき、そのノートの存在すら僕は忘れてしまった。彼女との繋がりもめっきり薄れた。趣味のことを話すこともなくなった。中学校は同じだったが特に絡みもないまま、高校でバラバラになった。今、彼女がどこで何をしているのか、僕は知らない。



 そして今日――記憶の蓋に被った埃を払い、僕は再びあの頃の懐かしい記憶を呼び起こしたのである。あの頃と呼べるほど過去になってしまった彼女との日々――次第に記憶の輪郭を取り戻し、褪せた色が蘇ってゆく。


 *

 改めて読み返してみると、何とも稚拙な文章である。今すぐにでも修正をかけたいような部分が度々見られ赤面してしまう。でもあの頃の僕らはこの作品に自信を持っていた。思い返すと何だか微笑ましくなる。苦い記憶として封印していた彼女との日々だって、あの頃と言って懐かしむことができるようになってしまった。自分のことながら感慨深く思う。


 例のノートは、実家の本棚に仕舞っておいた。今日の記憶に埃が被った頃、またこのノートを見つける、そんな未来に期待して奥の方に隠した。もし、描いた未来が訪れたなら――その時僕は何を思うだろう。また今日のように回想に耽るのだろうか。それとも恥ずかしくなって捨ててしまうだろうか。創作自体が黒歴史になっている可能性だって十分ありえる。その時はその時だ。黒歴史大放出、未来の僕へのサプライズである。



 窓を開けると温かな空気が部屋に流れ込み、僕の頬を擽った。埃の舞う麗らかな春、ついでに花粉も舞いやがって鼻がもぞもぞして仕方ない。マスクのワイヤーを鼻の形に沿ってきゅっと押さえてから、また荷造りに戻る。


 この部屋には、まだ多くの黒歴史が眠っている。もしかすると、これからまた香ばしいものを掘り当ててしまうかもしれない。


 上等だ、いくらでもかかってこい。そのくらいの心持ちでいる。


 だって、埃舞う春は、懐かしい「あの頃」に思いを馳せる季節なのだから。


【了】





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