第3話

天狗。山に住む人々の畏れを一身に集めるその器は大きく、山のあらゆる自然現象がこの妖怪に結び付けられるほどだ。

人間が山に抱く畏怖そのものとも言える大妖怪が、いま私たちの目の前に立っていた。

彼の後ろに構えた庵の戸を叩くまでもなく、私たちを待ち構えていたようだ。


「来たか、ツルベ」


ツルベというのはチャッカマンの名前だろうか。家族に乾杯の人ではなく、井戸の水汲みに使う道具のほうが由来だろうが、前者のイメージが強すぎて正直かなり気が散る名前だ。

ただ、それより気になるのは私たちが来ることが分かっていたかのような彼の口ぶりだった。


「お前に刺さった矢は、いわば狼煙よ。それがあれば、お前の動きは手に取るようにわかるわ」


「な、なぜこんなことを」


困惑と怒りが同時に沸き、尋ねる声が上ずった。


「そんな死に体の妖怪が話すことを真面目に聞くような暇な人間は、この町でお前だけだからな」


「な、なんっな、ああ!」


思わぬところから核心を突かれ、音が玉突き事故を起こしたように意味のある言葉を一つも発せなかった。

確かに私は、矢が刺さった時、何か目的を持ってあの場所を歩いていたわけではなかった。というか、人生でなにか目的を持っていたことがあるかと聞かれると、ありま千円と答え尻を巻いてに逃げるしかないのである。

身から出た錆だとでも言うのだろうか。いや、こんな横暴を許してはいけない。暇人の尻なら矢を刺して良いという事は決してないのだ。

もはや動揺を隠すことはできないが、最小限まで小さく深呼吸をする。


「私が暇なのはいいとして、なぜわざわざここに来させたんだ」


「そいつを確実に始末するためよ。その姿は見ものだが、妖力が弱すぎてどこにいるかわからん。逃げられてしまってからどうやって見つけるか思案していたのだ」


天狗はこうして話している間にも、とてつもない威圧感を放っている。単純に山のような体躯によるものもあるが、それだけではないなにかを肌に感じる。妖力というものかもしれない。

そんな存在がここまで警戒するということは、ツルベの力はまさしく大妖怪というにふさわしいものだったのだろう。

不意に、天狗が扇を取り出す。よく見ると大きなヤツデの葉だった。そこに言葉や合図はなく、戦いの始まりを告げる鏑矢を射るものもいない。


次の瞬間、地面と空が逆転した!

体が空に落ちていく。と思いきや地面に激突し、逆転したのは自分の視界だと気づく。

痛みで動けないなかで、なんとか状況を理解しようとする。木々の枝が激しく揺れていることと、空気が唸るような音から、風で吹き飛ばされたということは推測できた。


「まずい!あいつ、まっとうに天狗だぞ!」


「それこそが奴の最も恐ろしいところです」


ツルベがこともなげに言う。自分が元凶なのに何をそんなに落ち着いているのだろう。

天狗が再び扇を構えた。


「どうしよう!みんな普段どうやって天狗倒してるんだ!」


「一瞬でも力が戻れば、奴が力をためている間に倒せるかもしれませんが……」


どうやら、あの扇にはクールタイムがあるらしい。確かに、無制限に使えたらとっくに死んでいるだろう。

ツルベの力が戻れば天狗に対抗できるだろうが、力の源を天狗が持っている限りそれはかなわない。


「なにか企んでいるようだが、扇を振った後を狙う気なら、儂は仕掛けてくるのを待つとしよう」


当然といえば当然だが、相手も自分の隙を理解している。

これはいよいよ詰みに近いか。

諦めかけた次の瞬間、私たちと天狗の間になにか投げ込まれた。

それは煙を噴き上げながら周囲を白く染め上げていった。


「諦めるにはまだ早いッス」


「あなたは、油すまし!」


「弁償のかわりにあいつを倒すのに協力するッス」


後輩キャラだったんだ。

バスでの出来事を思い出すと、彼の油で火をつければ、かつてのツルベの力を引き出せるかもしれない。怪我の功名とはまさにこのこと。

この煙も彼の能力だろうか。


「これはバスから盗んだ発煙筒です」


何やってんだこいつ!

追求しようとしたとき、再び強い風が巻き起こる。

煙を払おうとした天狗が、扇を使ったようだ。とっさに木にしがみついて必死に踏ん張る。

煙が晴れ、私たちの姿が天狗に丸見えになる。しかし、同時に風も弱まり、天狗も無防備になった。


「今ッス!」


油すましの合図とともに走り出す。走る私の頭上を背後から何かが飛び越え、天狗に直撃した。


「油だと!」


もちろん油すましが投げたものだ。

ツルベに火を点け、ようやくチャッカマンとしての正しい姿になる。そして油まみれの天狗を燃やさんと手を伸ばした時、不意にツルベが叩き落された。

天狗は大きな翼を躍動させ、私の手をはたいたのだ。

よく考えると、日本を代表する妖怪なのだから接近戦が強くてもなにも不思議はない。逆に勝てると思ってた自分の方が、今日遭遇したどんな怪奇より不思議だった。

体勢を立て直した天狗が、扇を構える。今度こそお終いだ。

しかし、私たちの攻撃を完全にいなしたはずの天狗の服に、小さな火が灯っていた。


「あっ、すみません火の粉が……」


「輪入道!」


お前は助けに来たとかじゃなくて通りがかっただけなのかよ。

しかし、火が付きさえすればこっちのものだ。

ツルベの能力によって火はたちまち天狗を包むほど成長し、薄暗い森を煌々と照らす。


「火を消してほしかったらツルベの大事なものを返すんだ!」


「わ、わかった。儂の負けだ……」


「あの、すみません服弁償します」


「い、いやいい……」


やっぱ輪入道ってちょっと避けられてるのかな。。




どうやらツルベが奪われたものは、名前の通り釣瓶だったようだ。


「道具が化生して妖怪になることはよくあるんです」


相変わらずチャッカマンのまま話しているが、しばらくすれば元の姿に戻るようだ。

ふと尻の矢がひとりでに発火し、驚く間もなく灰となって散ってしまった。ツルベの力によって矢だけを燃やしたようだ。


「また人ん家のゴミ勝手に燃やすのか?」


「いえ、今回の件で流石に懲りたのでしばらく自重します」


しばらくしたらまたやるのか……


「あなたはどうするんです?」


「そうだなぁ」


今回の件でいろいろ感じたことはあるけれど、帰ったらやろうと決めていたことがある。


「この町変だから引っ越すよ」


「それがいいですね」

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合戦 山の怪 春雨倉庫 @6gu

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